●○-風吹く街で-○●

簸川平野のど真ん中「風吹く街で...」
恵みに生かされてるクリスチャンぴーちの日記です。

飲酒運転死亡事故

2006年03月28日 | 交通事故
こちらに掲載した記事を謝って削除してしまったようです。
ごめんなさい。また、思い出したら書きますね。

6年くらい前にあった「鳥大生事故死」についての感想でした。3名の若い学生(女性)が飲酒運転の車にトンネル内で、正面衝突されて亡くなりました。私はたまたま、その子たちの内2名のお母さんと知り合い、どんな経緯でその後の人生を歩まれたかを知り、ここに書きました。

思い出した所から書いていきたいと思いますm(_ _)m


うつ病-周囲の対応について-

2006年03月27日 | こころの健康

今日は珍しく、私もうつ的な状態になったので、うつ病について実際的なことを書いてみました。専門家ではないですので、重要な部分については医師と相談してくださいね。


世間一般では、反省する事はとても大切な事とされています。
しかし、鬱病患者にとっては、危険な場合があります。
「自分が間違っていたんだ」と思うことが、自己嫌悪につながり病状を悪くします。
そもそも鬱という状態は、憂鬱の極致でありネガティブな思いの世界ですから、そんな時に自己嫌悪に陥れば、ダメージが莫大なのは当然です。
さらに、関係のない事でさえも自分のせいにしがちです(それは、個人差がありますが)
。もともと鬱病になりやすい気質の人が、責任感が強く真面目で几帳面な人が多いので、当然と言えば当然でしょう。
本人は、なるべくその件に関して考えないようにして遠ざけ、自分の身を守りましょう。

そして、家族の方は最初の時点では、当人が悪いと思える場合でも反省を促したり、叱ったりせずに保留にして、優しく見守って快復を待ちましょう。健康な人にとっては少しもどかしいように思われますが、鬱病が病気であると認識し、本人の苦しみを理解して上げて下さい。
「失敗は成功の元」は、鬱病の世界では「失敗は鬱の元」なのです。それでなくても、自己嫌悪の固まり状態ですから、肯定的な言葉かけを必要としています。本人より、周りの人たちが出来るだけポジティブな考えをするようにして下さい。結構、悲惨な状態が続きますので、周りの人も引きづられます。

同じように、「もっとポジティブな考え方をするように」と薦めるのも残酷な事なのです。なぜなら、鬱病は何らかの原因によって、脳に不調をきたした病気だからです。ポジティブな考えが出来る状態なら、当然この病気にもなっていないはずです。「鬱状態」というのは、ひたすら「苦しみ」の固まりであると理解して下さい。ですから、「反省」は例えそれが正当な場合でも、後に持ち越して健康な判断が出来るようになってからが望ましいでしょう。

しかし、病気が快方に向かい良くなれば、「鬱病であった」と言う経験は何物にも変えがたい財産になります。この辺りで、本人にも「前を向くこと」を勧めて下さい。でないと、ずっと「希望のない状態が当たり前」「仕方ない」「諦め」に浸ってしまい、這い上がる気持ちを全く失ってしまいます。全てを人任せに・・・全てを人のせいに・・・主体性のある生き方が出来なくなってしまいます。

病状が良くても、悪くても「心の向き」を変える事には関係ないようです。
せっかくの能力や人生を無駄にしないためにも、「出来る事から、ちょっとづつやろう!人生を大切にしようよ。」と言う、方向に気持ちを持って行って、普通の人となんら変わらないような、夢を持てる歩みを促して下さいね。


夕暮れ

2006年03月25日 | 思うこと

夕暮れを、いるも一人で眺めるのが好きだった。

暮れていく空の向こうを思うのが怖かった。

自分には出来ない事がいっぱいあって、

ちっぽけな、儚い奴だと言っているようで・・・。



誰にもどうにもならないことが、いっぱいあって、

助けてくれる人もなく、孤独が真実なんだと

気づかせてくれた。あの赤い空は・・・雲は・・・。

怖かった、怖いと言えない底深い井戸を覗くように。



裏切ったり、裏切られたり、弱い人を責められもせず、

悲しい色した涙だけが、こころに溜まっていくだけで。

逃げる事など許されず、諦めだけが救いだった。

怖かった、捨てられることだけが、私を震わせた。



しかし今や、あの夕暮れの向こう側では、朝日と名を変え

人々に光を与え、温もりを与え、希望となり、

悲しみと恐怖の涙をぬぐい去っているのだと知った。

夜は果てしなく夜ではなく、暗闇も支配を終える時が来る。

突き落とされたと怯えた所には、暖かな支える手があったのだ。

チャンスがネギ背負って来たⅡ

2006年03月24日 | 家族

昨日の続編です。


今日で終業式。迎えに行くと娘が本を大切そうに持っていました。娘がなりたい職業になるには?と言う本でした。

私 「なに?それ?」
娘 「古典の先生から借りてきた」
私 「へぇ~~~。良かったね~。それで、昨日の話どうなった?」
娘 「あの先生、あんなに良い人だとは思わんかったわぁ」

古典の先生は、娘が受けようと思っていた大学の他に、数校カリキュラムの充実している学校を調べて下さっていました。そして、「センター試験では、この科目とこの科目をこれだけ取れるようにして。弱い科目を補えるようにね。」「この大学は一番良い感じだから、ここを目指してみて、無理な時はここにして。。。。」「ここは推薦があるらしいから、聞いてみたら良いよ。」「○○さんが頑張ってるかどうか、たまに担任の先生に電話して聞いてみるよ(笑)。」etc.


そして、その先生がもっと素晴らしいのは、娘を信頼してくれて、その分野の先生に後を託して下さったことです。
「この子は、きっと何か出来る気がするんだ。だから、後はよろしく頼むよ。」

古典の先生は、この春に移動になります。


チャンスがネギ背負って来た(笑)

2006年03月23日 | 家族

今日、娘を迎えに行くと、娘がいつものように淡々と・・・

「ねえねえ、ちょっと聞いてよ。」

「ん?なに

「今日、職員室に担任の先生と、副顧問に用事があって行ったらね。3年の担任だった先生が『○○さん、今年の3年にあなたと同じ夢を持った人がいてね、いろいろ大学を探したから、休憩時間に来なさい』だって~」

「スゴイじゃん!どうしたらいいか?迷ってたのにね。近くにそんな人いないし

「うん。いろいろ教えてくれて『明日の放課後までに、大学の資料を全部集めとくから取りにおいで。』って」

「『3年が卒業したから、僕は暇だから・・・(笑)』なんだって。それが、あの1年の時の古典の先生だよぉ(この古典の先生によって成績がよかった)」

「う~ん、志のある所に道は開かれるね~。すごい事だよぉ



「あきらめずに準備をしている人間だけに、チャンスがあります」

ある人のブログからぱくって来ました。ははっ!


この後、どうなるかは分かりませんが、娘はとても恵まれています。周りに外国人や、大人の素晴らしい人だらけです。でも、彼女は何もしないで、ラッキーだけを待っているだけではありません。努力をしています。優しさを持っています。
唯一、平和主義者で、思っている事を言わないタイプでした。しかし、先日は「正しい事を正しいと、はっきり言った!」ようです。少しづつ成長してくれるでしょう


苦しみについて

2006年03月22日 | 思うこと

みなさんは、作家の「三浦綾子」さんをご存知でしょうか?近年亡くなられました。代表作は「氷点」「塩狩峠」「道ありき」でしょうか。


私が、三浦さんを思い出したのには訳があります。
最近、私はとても調子が悪くて、寝ている事が多くなりました。苦しい事もしばしばです。「苦しいなぁ~だるいなぁ~」って言っても、治る訳でもなく、家族にも迷惑をかけている手前、あまり辛いとは言えないので、途方にくれます。 そんな時に三浦さんを思い出したんです。


彼女は長期入院で、ギブスベッドに固定されていたのにもかかわらず、自分の入院で、経済的に困っている家族のために、寝ながらアイデアを考えて、民芸品を従姉妹に作ってもらい、売って収入を得ていました。
彼女のところにお見舞いに来る人たちは、逆に元気をもらって帰ったそうです。分かる気がしますよね。寝ていて、全く動けないのにも関わらず、気持ちが「前を向いている」のですから。

最初にこの本を読んだ時には、私は高校生でしたので、この個所にあまり気が止まりませんでした。でも、今私も三浦さんほどではないにしても、動けない身になって彼女の生命力と言うか・・・生きる方向性に感動します。「動けないから~」「~だから出来ない」・・・よく考えもしないで決め付けてしまいます。 ○○が出来なくても、違う何かが出来るかもしれません。人を励ます事だって出来るし、誰かの力になる事だって出来るのです。三浦さんは、獄中にいる囚人と文通をしておられたようです。

その後、奇跡的に回復され、結婚もされ、新聞の公募で小説が入選して作家になられたのですが、私はその「氷点」の構想はすでに寝ておられる時に、漠然と持っておられたのではないか?と思っています。
その後も「病気のデパートよ」っておっしゃってましたが、スゴイ人生を最期まで力強く全うされました。


私も病状や状況ではなく(それは、そう簡単には変わらないと思いますので)「向いている方向」をしっかりする事が重要だと思いました。


聞こえる耳、通じる言葉

2006年03月21日 | こころの健康

先日、こんな事がありました。
Rieちゃんの所にいたら、彼女の友達が来られて一緒に話をしていました


Rieちゃんと私は。。。

私 
「主人がね、『これからはなるべく気を付けて否定的な言葉を言わないようにしようと思うんだ気をつけていないと、人は自然に否定的な言葉や考えをするからね。』と言ったの。」

Rieちゃん「それは素晴らしい事ですね。幸せだって言ってたら幸せは寄ってきますよね~

私 「Rieちゃんはいつも肯定的なことを言ってますモンね~。スゴイとおもいますよ。」

Rieちゃん「ですよね。なるべく言うようにしていないと、冗談でも否定的な言葉を聞いていると気分が悪くなるんですよ

私 「良いことですよね~」

と、弾んで話していました。
が・・・その友達は「蚊帳の外」状態で、理解できないようでした。いろいろな事情で理解する気力が無いのかもしれません。
いつか分かって下さればいいと思いました。


そこで、思ったのですが、人間には聞き分ける耳があるそうですね。どうでも良い事は聞かずに、大切なことを拾って聞いているらしいです。
何で、いつも耳の遠いおばあちゃんが、お金の話をすると聞こえるのかしら?(笑)な~んて事はよくあります。
また、悪口を言っているとよく聞こえるとか言いますよね。

私たちが話している言葉も、通じる人と通じない人がいます。同じ日本語でも、分からないんですよね。
良いこと、大切な事は「よく聞き取ることの出来る耳でありたい」と思いました。


潜在意識の願望?

2006年03月20日 | 思うこと

小さい時からよく見るゆめがあります。

とても素敵な男性がいて、私をいつも守ってくれるんです。
その人は私をスゴく愛してくれていて、私もその人をとても愛していますでも顔とかは、全然見えなくて存在だけが分かるんです。時に子供だったり、時にキムタクだったり(笑)。ごく、たま~に主人だったり・・・(まるで、付け足したようだ・笑)。
でも、違う人ではなく「その人」なんです。なぜか「その人」は私がいないと生きていけなくて、私も「その人」がいるだけで、幸せなんです。

よく見る夢なので、あれは誰だろうって思うんですが、どうやら実在の人物ではないような気がします。私の潜在意識の中の強い願望かなぁ(笑)

神さまが私を愛して下さっているような気がします。ありがとう


息子育て

2006年03月19日 | 家族

後、1ヶ月・・・息子を責任を持って育てなければいけません。
何で後1ヶ月???ですか?20歳になります(笑)。

息子は今頭を打っている最中です・・・のようには見えないけれど
多分、大丈夫だと思っています。

息子はおじいちゃん、おばあちゃんにとって特別な孫でした。どこの孫も可愛いとは思いますが、主人の姉が20歳で亡くなったので、孫は2人だけなのです。その上、主人は遅く生まれた子供で、主人も結婚がやや遅く、年を取ってからの孫ですから、目の中に入れても痛くない・・・と言う可愛がりようでした。
実はそれで、私たちは実家を出て暮らすことになったのですが・・・。
甘やかし方は尋常ではありませんでした。私は義両親とはうまくいっていましたが、子育てに於いては大変でした。

そのせいだけではないのですが、息子は金銭感覚が甘くて「車検代」「自動車税」「スタッドレスタイヤ代」など計算に入れてなく、先日の事故もあって、お金の無い生活をしています。なのに、ちょっとあるお金を友達とつかったりするので、注意しました

ところが、主人が甘いのです!私はムムムッ!です。
最初は腹を立てていたのですが、理由を考えてみました。
先日、子育てで書いた垣根(柵)の位置が私と違うのです。主人の方が広いのです。甘やかしているようには見えますが、勝手に頭を打つようにもなっているのです。言うべきことを言ったら、後は自分が頭を打つまでは「言っても分からない」のです。よく考えたら私も若い時はいろいろあっても、本当に自分が「頭を打たない」と分からなかった事だらけでした。
今も分からないって?・・・確かに。。。(苦笑)

仕事もすぐに辞めたいのに辞めないのです。理由は、責任感と情です。そんな事を言ってる場合じゃないでしょ???と思うのですが、後に残った先輩たちにどれだけの負担が行くかを知っています。
すぐに代わりはいないので、穴が開きます(辞めるんだからそんな事はいいだろぉ~)。
そして、なぜか?上司には恵まれませんが、同僚には恵まれ仲良くしています。行き先のおばちゃんにも可愛がられています。

私たち親は、後は本人が苦労しようとも見守って行くことにしました。
多分、頭を打つでしょう・・・その時に手当てをする準備をしておきます。


月を見た孫悟空(ドラゴンボール)

2006年03月18日 | 家族

みなさん、ドラゴンボールをご存知ですか?

孫悟空は、普段はとってもイイ奴なんですが、満月を見ると巨大なサルに変身して、心も凶暴になり暴れまくります。そのときの記憶はないので、自分を育ててくれた「じっちゃん」を自分が踏んづけてしまいます。
そう思うとちょっと、悲しい物語だったんですね


ところで・・・
先日、実家に久しぶりに寄ったので、父に話しかけました。
私が痩せているので「どげなかい?」「痩せたかや」と心配して「大事にせや」と優しい言葉をかけてくれました。
この前、父の兄である叔父の葬式にも私は行けなかったので、謝って主人が行ったことを伝えておきました。

と、このように穏やかで優しい所もあり、無口な父ですが、私が小さい頃はアルコール中毒症一歩手前・・・。
お酒が過ぎると「月を見た孫悟空」のように、大変貌しました。
飯台はひっくり返す・・・包丁を持ち出す・・・母を殴る・・・テレビをひっくり返す(壊れた・・・)・・・コンセントに金具を入れてテンパールを落として真っ暗にするetc・・・
私は恐怖で「ご飯が砂の味」がした。と言う経験をしました。父が遅く帰るとドキドキでした。

このような幼少期を送ると、大人になってから精神的な問題が起きる場合があります。アルコール中毒患者に虐待を受けた子供に対して、アメリカで最初に、総称してアダルトチルドレン(AC)と呼ばれるようになりました。


しかし、それを最近では幅を広げて受け取る人が多くなり「私はACだから(仕方ない)」と言う事を言う人が多くなりました。あまりそれを強調すると危険な考えになると思います。「私はACだから、こうなったのも親のせい」と、責任転嫁、理由付けに使われるからです。

私は、以前にも話したように、息子を愛せない・・・いらだつ理由が両親に対するものから来ていると判断して、両親と思い切って和解しました。父には手紙で「父が怖かった。でも本当は愛されたかった」母には「病気で苦しい中を育ててくれてありがとう!」と言いました。

ACは確かに問題はありますが、病名ではないので乗り越えるための通過点・・・ハードルです。認めたら前に進まなければ、意味がありません。

そこからがスタートなんです