●○-風吹く街で-○●

簸川平野のど真ん中「風吹く街で...」
恵みに生かされてるクリスチャンぴーちの日記です。

隠れた事を

2016年01月19日 | 思うこと


私は、人に誤解されたり、人に理解されない事がとても悔しい性質でした。

ドラマでも誤解を受けたまま、死んでしまった話しや、

誤解されたまま、投獄された話しになると悔しくてたまりませんでした。

ドラマを観ていてもそうですから、まして自分が誤解を受けた時などは、

声を大にして思いっきり!弁明したものです。



また、自分のした事が誰にも評価されない事も腹立たしく思うタイプでした。

実力もないのに、人の上に立つのも好きな方でしたし、

自分に自信がないので、自慢もよくしていました。



ですが、最近ふと気付いた事は、

「私の事や、私のした事が誰にも評価されなくてもいいや」

と、自然に思っている事です。

もし誰にも知られずひっそりと生きて、ひっそりと死んでもいいな…。

もし今、ちょっとでも何か出来ているとしたら、それは神さまの恵み。

そして誰からも感謝されなくても私は幸せだと。



もちろん根底には、イエスさまが全てを知っておられるから。

と言う事があるのですが、

それよりも強く思うようになったのは、イエスさまの愛の中にいるなら、

他のモノは、いらないなって事でしょうか。

人からの賞賛も、人からの感謝も、認められることも…。

人気のない谷底で咲く一輪の花のように、ただひっそりと咲くのもいいな。

私の目の前にイエスさまが居て下さっているなら、

そこが私の最高の場所だと思えます。

神さまは、隠れた事と隠れた場所を喜んで下さいます。

ちょっとだけ、ホントのクリスチャンになったらしいです。




「あなたは祈る時、自分のへやにはいり、

戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。

すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。」

(マタイによる福音書 6:6)

心の明け渡し

2016年01月07日 | 思うこと
ふと、以前とても苦しんだ事柄について思い出しました。

それは、「私は、まともな人間ではなくイエスさまに迷惑ばかりかけている。」

「私は、まともに生きていけないし、その自信もない。」

「私は誰よりもダメな人間だ。」

と言う事でした。

そして苦しんだ挙句に分かった事は、

「私は、イエスさまの憐れみと恵みなくしては、生きていけない。」

と言う事です。

それは今でも変わりません。



私は、精神的にも信仰的にも、とても弱く惨めです。

しかし、ここにイエスさまの恵みが流れて来ることを知りませんでした。

なので、自分を自分で救おうと頑張ったのです。

頑張れば頑張るほど空回りして、私は完全に潰れてしまい、

私は、自分の力を諦めたのです。

私には分からなかったのですが、その苦しみは神さまの愛の御手でした。



その時に、初めて神さまの愛が分かったのです。

イエスさまが十字架で死んで下さったのは、このダメな私のためだと。

そして、この私から救って下さるのはイエスさまだけだと。

私の悩みは、何よりも自分自身でした。

この不自由な自分から自由になりたかったのです。

ダメな自分から‥惨めな自分から‥

救いは、十字架にありました。

イエスさまが、全てを負って下さったのです。

完全に正しいことが出来て、完全に私を救って下さるのは神さまだけです。



ですから、私は神さまに信頼することにしました。

と言うより、神さまに信頼するしかありませんでした。

イエスさま!こんな私ですがよろしくお願いします。

あなたが、私をダメだと言われるなら、もう希望はありません。

あなたが良いと思われるようにして下さい。

この時が、私の初めての明け渡しでした。

ここから、私の本当の信仰生活が始まったのです。

-謹賀新年-(*^-^*)

2016年01月01日 | 日記
あけましておめでとうございます。





(第一コリント6:12)

すべてのことは、わたしに許されている。

しかし、すべてのことが益になるわけではない。


すべてのことは、わたしに許されている。

しかし、わたしは何ものにも支配されることはない。






今年の目標は、「信仰と愛による従順」です。

私の長年の懸案だった「従順」に手をつけようかと思います。