●○-風吹く街で-○●

簸川平野のど真ん中「風吹く街で...」
恵みに生かされてるクリスチャンぴーちの日記です。

あなたは自由

2007年06月28日 | こころの健康

自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。(ガラテヤ5:1)

序.自由のない時・・・・
 
●飛べないツバメ。

先日、犬の散歩をしていると、飛べないツバメが道路に横たわっていました。見てみると、どうやらまだ生きているらしく息をしていました。でも、飛ぶ様子もなく、このままここに置いていたら、猫か何かに食べられてしまうかも知れないと思い、家に連れて帰りました。
もうだめかも知れないと思いつつも、ダンボールに入れて、尺取虫を探して来て入れて置きました。でも食べる様子もないので、そのまま寝ました。
さて、次の日。。。ダンボールは静かでした「やっぱりダメだったか~」と思いながら箱を開けると、尺取虫はいませんでした。食べたんですね。
でもツバメは、箱を開けて全開にしたのに、羽をバタつかせつつも、飛んで行く様子はありませんでした。そこで箱からゴロンと出して、羽をつついてみると、ナント!そのまま飛び立って行ってしまったんです。
さて次の日にはツバメを助けたので「金銀財宝が玄関に・・・(笑)」

●出来ないと思わされていることが多いのです。

さて、ツバメは飛ぶ事が出来たのになぜ?飛んで逃げなかったんでしょう。それは多分、一晩中箱の中で飛ぼうとしたけれどダメだったので、すっかり諦めてしまっていたのではないでしょうか?

1.あなたの自由を奪うもの
●二元論から一元論へ

私たちは小さい頃から、あの人はいい人○で、あの人は悪い人×。成績のいい人は○で悪い人は×。カッコイイ人は○でそうでない人は×。綺麗な人は○で、そうでない人は×。と言う風に自然に二つに分けるように、考えてしまいます。それが二元論です。しかし「あなたは素晴らしい。だから、頑張ったらもっと素晴らしい」と言うのが一元論です。

●神様によって創られた者同士が互いに比較するのはおろかなことです。
わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ43:4)

二元論は、マイナスからプラスのようなものです。「今はダメだから頑張ってプラスになろう」ですが、一元論は、プラスからプラスです。「神様によって愛された素晴らしい私だから、もっと素晴らしくなろう」

●本当は素晴らしい存在であるのに、まるで価値がない物のように思い込まされて・・・

2.あなたの心を自由に。

●でも本当の価値を見出す時、あなたの心は自由になるのです!

●そして、あなたには、神様が素晴らしい「能力や力」をプレゼントしてくださっているのです。

●忘れかけた夢、希望をイエス様といっしょに取り戻しましょう。
                             
               (2007-6-27/楫直樹師・斐川礼拝メッセージ) 


足元を照らす光

2007年06月22日 | 家族
久しぶりに風邪を引いてしまった。病気が良くなってから、バタバタしていたので疲れによる風邪だろう。

今日は娘と電話で話していた。卒業後の進路についてである。入学して二ヶ月…で、もう進路なのが短大の宿命だ。私は最初からそれが良いと思って、あえて四大を薦めなかったし、彼女は別の理由で短大を選んだ。

以前にも話していたが、彼女には高校時代から夢があった。散々、担任の先生と揉めながらここまで来た。
しかし、ここに来てまた、主任の先生と意見が合わず凹んでいたのだが、思わぬところで救世主となる先生との出会いがあったようだ。

娘に対して前向きな発言と、提案、また娘の弱い所もついておられる。私は「とりあえず、その先生の言われるようにしてみなさい」とだけ言った。
その方は中国の日本語教師をした経験のある人で、それも頼まれてから三ヶ月で勉強して行ったそうだ。そして行ってみたら訛りの違いで中国語が通じなかったらしいが、度胸で乗り切ったとか…。そんな大胆な人に従ってみるのも娘にとっては、素晴らしい経験になるだろうと思った。

私は、卒業後には○○の道に進んで見ると良いかも知れないと思っていた。しかし、娘には全く眼中にはなかったので話さなかった。娘が悩んでいる間、ちょっとだけヒントをポツリ…またポツリ…と、キーワードになりそうな事だけメールして、核心には触れなかった。

だから、電話して来た時に彼女はこう言った。
「お母さん!ビックリすると思うよo(^-^)o…いや、しないかな?」
「私ね○○することにしたぁ!理由は……。」
と、さっきの先生との出会いと経緯について、詳しく話してくれた。私は、勿論それが良いと思っていたので賛成した。その道に進んでいる内に、またもっと良い道が用意されているかも知れないと、更に期待しているのだ。

イエスさまは私に知恵を与えて下さって、言った方が良い時と、見守った方が良い時を教えて下さっている。先日は息子に対しても、「言うべきか?やめるべきか?教えて下さい!」と祈って対処した。勿論、結果はイエスさまが一番良いようにして下さった。

子育てには「愛情」と言うが、その最たる物は祈りなのかも知れない。

他人の怒り

2007年06月21日 | こころの健康
他人の怒りには、責任はない。

他に言い換えるならば、他人の機嫌には責任がない。相手が怒っていようが、いらだっていようが、不機嫌であろうと、自分には関係はないのだ。
勿論、自分が犯した過ちや自分が相手を傷つけた場合は別である。

しかし、不思議な事に身近な人が怒っていたり、不機嫌だったり、いらだっていると不愉快なのは当然の事ながら、自分に非があったのだろうかと心配になり、ご機嫌を取ってしまったり、原因を考えたりしてしまいがちだ。
相手は勝手に怒っているのかも知れないし、他の誰かや、別のややこしい問題でいらだっているのかも知れない。もしかして、単に気分が悪いだけなのかも知れない。はっきり言って、自分とは全く!関係のないところで感情的になっているだけなのかも知れないのだ。

それでは、どうして自分に関係があるのではないか?と心配してしまうのは、その相手と自分とが違う人格「個」であると言う、はっきりした認識が薄いかららしいのだ。

小さい頃から「他人」「自分」の区別をつけ難い状況で育てられて来た私たちは、身近な人…特に親の機嫌を取って生きて来た。それが大人になってから、身近な上司や両親、配偶者やはたまた子供にまで、ご機嫌を取る人が現れる。

しかし、その事事態はその人に責任はない。なぜならその頃私たちは、その人達がいないと、生きていけない状況にあったからだ。自分とは関係なくても、ご機嫌を伺わないと生きていけない関係…本当の意味で弱者だったのだから。

でも、どこかでその歪んだ認識を修正して、正しい「個」意識をもって、他人との関係を築いて行く必要がある。でなければ、大袈裟に言えば、一生他人の奴隷で居なくてはならなくなる。しかし、もしこの関係を修正し、正しい自己認識を持つ事が出来るようになれば、かなり弱らされた「心の筋肉を鍛えることが出来る」チャンスとなるのだ。

しかし、人は一人では生きていけない存在だ。私達が正しい他人との関係を築いて、かつ「個」であるためには、私達を愛して個人的な交わりを持って下さる、神さまの存在が不可欠なのだ。なぜなら、いつも変わらない愛で愛して下さるイエスさまを抜きにして、他人を心底から許す事が出来ないからだ。

■ぴーちのきながな日記■

2007年06月20日 | 思うこと
最近、とっても!マジメに更新している■ぴーちのきながな日記■であるので、自分で宣伝する事にした(アホか?・笑)。

この頃、いろんな事に思うところが多い。そして、元気になったので、尚更執筆意欲が増したのである。日常の些細な出来事から、いろんな事を感じる事が出来るようになったことは、とっても幸せなことだし、それについて意見を持つことが出来るようになったのも、幸いだ。

なぜなら、この十年間程「何も感じない」いや、何も感じないように心を封鎖していたからだ。
今は、喜怒哀楽を表に出したり意見を持ったり出来る。ほとんど、「喜」と「楽」と言う意見もあるが・・・(苦笑)。
いや、車の中や一人でいる時には、思いっきり泣いたり、怒ったりもするようになった。そして、その中にいて下さる、イエスさまと出逢うのだ。

To ZARD 「君がいない!」

2007年06月19日 | 思うこと
君がいない…。今はもういない。


僕が望みを失って、気力を失って

前をぼんやり眺めていた時だった。

君の声が飛び込んで来たのは。


君は憂いの中にも明るくて、

前を見て、歌っていたね。

僕にとっては、あの日あの時に

他には誰もいなかったんだ。


だから、君が一番僕の近くにいたんだよ。

毎日毎日、僕は君の歌を聞いて、

何を思っていたんだろう。


当たり前っぽくはない、君の言葉と音が

あの時の僕を支えていたのかも知れなかった。

今となってはあの日の僕と、そして…君はいない。。。

                                From peach

必要な時に…。

2007年06月17日 | 交通事故
ちょっと前の話しになるが、私が岐阜に行った帰りにスピード違反で警察のご厄介になった話しをしたと思う。

この前後に、余りに苦しみや奇跡的な事があったので、忘れかけていたが、このスピード違反にも凄い!?エピソードがあったのだ。

岐阜に行く前に私のオークションで2、3点落札して下さっている人がいた。その人の評価は「新規」…ちょっと嫌な予感がした。
その頃、新規の人で「いたずら入札」が横行していたからだ。私も一件あったので、ヤフーに苦情を申し立てた。

その人もなかなか入金されないどころか、まだ後何点か?入札したいと言う申し出があり、迷った挙句承諾した。なぜなら、その時には評価が1になっていたからだ。ちゃんと取引きする人かも知れないと思った。がっ!驚いた事にこの人は更に入札して、最終的に9点落札して下さった?(苦笑)
と、この時点で何と評価は-2に転落していたのだ。そして落札金額の総額は14000円…私のレベルでは多い金額だ。しかし、私は自分が具合が悪いのと、岐阜にいるという理由でなかなか落札者と連絡が取れなかった。

その後でのスピード違反である。罰金は25000円…。主人に電話したら、主人は私が余りに元気がないので、事故をしたのかと思い「事故の事を思えば安いもんだ。済んだ事は仕方ない。」と少々機嫌は悪かったが、そう言ってくれた。
しかし、後で聞いてみると思わぬ助け舟がいたのだ(苦笑)
たまたま、主人が電話を受けたのがお客様の家で、その人が「高速道路で31kmオーバーは少ないですよ~25000円だったらラッキーですよぉ~」と言って下さっていたらしい。本当に本来もっと出しているので、奇跡的だった。
主人もお客様に言われて、帰って来た時にはすっかりご機嫌だった。

そして、それから罰金だ。主人はもう諦めて払ってくれるつもりでいた。私も安心したので、やっと落ち着いた。そこでハタと例の落札者を思い出して、メールすることにした。正直言って、もうほとんど諦めていて宛てにはしていなかった。しかし、信用を基盤とするオークションに於いて、このような行為は人間として許される範囲を越えているので、苦情を申し立てますね。と、冷静な文章を送った。事実、私は罰金の事も心配していなかったので、腹立たしい思いはなく落札者のモラルを話しただけだった。
そして、名前は連絡をもらっていたので、この方のために祈った。すると、明日入金するとのメールが来たのだ。が、次の日は私の体調が悪かったので確認出来ず、翌々日の月曜日にメールが来たので確認して、やっと発送した。ハレルヤ!

と言う訳で罰金の内、14000円は入金があり、6000円はオークション用の通帳に入っていたので、主人には5000円だけ、お世話になった。

私の信じているイエスさまは、必要な物は必要な時に与えて下さる真実なお方だと、更に確信を深めた。

クリスチャンホーム

2007年06月17日 | 家族
先日、娘が帰って来て、いろいろな変化に気付いた。

主人との会話…
「NORIがクリスチャンになったね~~(^O^)/」だ。
勿論、NORIは去年の10月に洗礼を受けてクリスチャンになってはいたのだが、ほとんどお祈りもしないし、聖書も読まないし、信仰らしき話しもあまりしないので、そんなにすごく変わったところはなかった(私も耳が痛い(>_<)・笑)。
只、よく私たち夫婦の会話に入って来て、いろいろ話しをするようになったくらいだった。
祈祷会には時々行っていたが、人前でイエスさまの話しをするのが苦手で、話しをする日にはお休みしていた(笑)。

ところが、先日帰って来た時に、楫先生からコメントを求められた時には、名古屋の教会での様子を、前に出て話したので驚いた。単に大人になった訳ではない。イエスさまによって変えられて来ていると感じた。

後は我が家の砦は息子だ(苦笑)。しかし、私たちは聖書の言葉に信頼している。

「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒16:31)

本来の使命

2007年06月15日 | 思うこと
今日は母の用事に付き合ってあちこちあちこちした。勿論、以前ならダウンレベルだ。なにしろ、美容院…レボン…ガスト…ゆめタウン…役場…農協。
出来る用事は一度に全部って感じだ。

あっ!そう言えば、今日は頭に来た事があった。農協に三時半位に着いたのだが、窓口が閉まっているのだ。銀行などの金融機関なら分かりきった事なので、文句はないが、農協は農協だ!共済もあれば、農機や農業指導、介護事業…などなど、いろいろ手がけているのに「何で三時に閉めるの?」と思ってしまった。

母のように自分の足で来れない人は、再度足を運ばなければならない。それも退院したばかりで共済の請求のために来ているのに…だ。「変だよ。農協…」
次に行くのはまた私なので、余計に腹立たしいと思ったのかもしれないが、本来の使命を完全に見失しなって、営利主義に走り過ぎているように思う。もはや、組合員のための農協ではなくなっている。
先日、会った友達も農協の経営する介護施設のヘルパーをしているのにも関わらず、農協の方針に疑問を持っていた。

バブルの時にもそうだったが、本来の使命や方針から逸脱すると、ろくな事はないようだ。

自分の生かされている使命からも、逸脱しないようにしたいものだ。ところで、私の「使命」は何だろう?今のところ、「楽しく生きる!」だ(笑)。

当たり前の?日常

2007年06月14日 | こころの健康
今日も朝から平田に行って来た。

う~ん…家から5分くらい?にある生活倉庫に仕入れのためだ。ここには洋服の良いのはほとんどない!!(笑)
がっ!普段ないので、ふと…びっくりする程に安くて良いブランドがあるので、たま~に行く価値はある(苦笑)。
洋服以外ではおいしい物はないと、マニアの友達に聞いた。(生活倉庫さんごめんなさい。)あくまで、私たちの立場からの話しだ。

その後、久しぶりに下着を買ってからノンブランド品を買った。勿論、仕入れ…。
こんな些細な日常が私には嬉しい。気ままに、かつ全く遊んでいる訳でもなく、最近の流行を何気なく観察している。だからと言ってすぐにオークションに役立つ訳ではない。結局、好きなんだと思う。

ちょっとだけクローゼットを片付けて、後はほとんど散らかして、今日の作業を終えた。

今は、あの苦しかった日々が遠くに感じる。でも確実にあの日々があったから、今日があるのだ。
今日も新しい一日だった。感謝…。

復活の歩み

2007年06月14日 | 家族
元気になった自分が最近楽しくてたまらない(^O^)

勿論、病気を持っている人の事を忘れた訳ではない。むしろ、みんなに希望をもって欲しいと望んでいる。
医学的にどうであれ(病院や薬はちゃんと飲んでいる)、治る希望があるのだから、今の苦しみを苦しみで終わらせないお方に信頼して、頑張って欲しいと思う。

まず、何を始めたかと言うとオークション…売るのも買うのも楽しい。モップで掃除。レボンでお喋り。知人に手紙を書いた…。後100均から小物を買ってきて、洋服のリメイクの準備。ばあちゃんの部屋の臭い取りのために、アロマオイルを買って来た(昨日、親戚のおばあさんに散々臭い!と言われたので…苦笑)。
家事はみんなしている訳ではない。治ったのに、家事をするためだけならば、家事が好きでたまらないなら別だが、病気に戻りたくなってしまうから。幸いに主人も何も言わない。相当、私の病気で苦労したらしく「元気ならOK!」らしい。

私はドジだらけの人間だが、愛されるために生まれて来たのだ。