●○-風吹く街で-○●

簸川平野のど真ん中「風吹く街で...」
恵みに生かされてるクリスチャンぴーちの日記です。

インフォメーション!

2010年01月28日 | 家族
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心を新たに…。

2010年01月26日 | 家族
…むしろ、心を新たにすることによって、
造りかえられ、何が神の御旨であるか、
何が善であって、神に喜ばれ、
かつ全きことであるかを、
わきまえ知るべきである。(ローマ12:2)

****************************************

前回の続きです。

でも、このようなプロには、私の頑張りではなれません。
一つだけ希望があるのは、イエスさまが私の心にイエスさまの心を与えて下さっているから、Mちゃんや友達を愛する事が出来ると言う事実です。

元々、私は自己中心な者なので、他の人のためにお役に立てませんが、イエスさまが私に、大切な事を教えて下さり、かつ大切な事をする力を与えて下さっているからです。

イエスさまに信頼して歩む時に、何を優先すべきか?分かるようになります。
時に、失敗しながらも、分からせて下さるのは神さまだからです。

ですから、今回も教えて下さって、歩む道を示して下さったんですね。

いつもイエスさまの声を聞いて歩んで生きたいです!


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与えられた使命に対する心-プロフェッショナル-

2010年01月26日 | 家族
…むしろ、心を新たにすることによって、
造りかえられ、何が神の御旨であるか、
何が善であって、神に喜ばれ、
かつ全きことであるかを、
わきまえ知るべきである。(ローマ12:2)

****************************************

夕べお風呂に入っていたら、急に大切なことを思い出しました。

友達のCちゃんから、メールが来ていたことを…。
もちろん、メールは必ずしもすぐに返すとは限らないので、書きかけて保存していました。
でも、よくよく考えてみたら、Cちゃんから弱音メールが来たのは初めてでした。
愚痴を吐けるって、余程の信頼する気持ちと、辛い気持ちがあってのことでしょう。

「しまった!今は、自分の用事を優先すべきじゃなかった!」
と入浴中に気づいたのです。

そして、もう一つの出来事が心に浮かびました。
それは、日曜日にメビックに来ている6年生のMちゃんのことでした。
Mちゃんのことは、何となく気になって、お祈りしていましたが、その日は礼拝後に卓球をする約束をしていたんです。
昼食後に、わたしが友達と一生懸命喋っていた時に、Mちゃんが抱きついて来ました。
わたしは、それでもお喋りを中断せず、話し終わってから、
「Mちゃん!卓球?」
とききました。
「ううん、怖い話知ってる?」
「おばちゃん、怖い話知らんわ」
と言ったところで離れて行きました。

Mちゃんにとって、私は教会のおばちゃんの一人に過ぎないかも知れないのですが、私に抱きついて来たのは初めてでした。
卓球とか怖い話の問題ではなく、「自分を真剣に受け止めてもらえる人」の一人だったかも知れません。


この二つの事を通して、私に与えられている使命をシッカリと受け止めるように、イエスさまが示しておられるのではないかと思いました。
私は、牧師先生ご夫妻のように、特別な働きに当たる使命はありません。
でも、私の周りにいる助けを必要としている人のためには、最善を尽くす使命があると思っています。

例えば、牧師先生はイエスさまの子羊を育て養うプロフェッショナルです。
ですから、ご自分の体調や用事よりも、人々や教会の用事を優先されます。

私はそう言う意味では、プロではありませんが、私の周りにいる方々に対しては、プロフェッショナルであって欲しいと、イエスさまが願っていらっしゃると感じました。

私の心が、変えられなければならないと思っています。
優先順位の問題ですね。プロなら、与えられた使命が第一になるでしょうから…。


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ついでに頼まれたお願い

2010年01月21日 | 家族
ついでにお願いするが、
わたしのために宿を
用意しておいてほしい。
(ピレモン22)
************************

わたしたち夫婦が、結婚に導かれた経緯は少し複雑でした。

詳細は省くとして、結局最後に聖書の言葉が与えられて、確信して婚約したんです。

それは、ピレモンの手紙からでしたが、その言葉の終わりの方に、上記の言葉がありました。
もう二十数年前の事ですが、なせか気になっていました。

そして、まず我が家で、家庭集会をすることになった四年前に、
「あっ、今やっとあの聖書の言葉が現実になったんだ!」と思い出しました。
そして、今回シャロンの会が始まり、いよいよ確信が深まって来たのです。

「神さまは、我が家を使って栄光を現して下さるんだ!」と。
ついでに頼まれた(笑)、二十数年前の神さまからのお願いを果たせる事は、喜びです。

22節の全文をお読み下さい。


「ついでにお願いするが、わたしのために
宿を用意しておいてほしい。
あなたがたの祈りによって、あなたがたの所に
行かせてもらえるように望んでいるのだから。」
(新約聖書 ピレモン22)



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命をかけて与えられた自由

2010年01月20日 | 家族
自由を得させるために、キリストは
わたしたちを解放して下さったのである。
だから、堅く立って、二度と
奴隷のくびきにつながれてはならない。
(ガラテヤ5:1)
**************************************

日記の方にも書きましたが、今日から婦人祈り会(仮名)が始まりました。
「シャロン…」と名前を付けました。がっ!その前後を募集中です(笑)。
シャロン会(謝恩会みたいだ~・笑)
ホッとシャロン(ヤバいサロンみたい~・笑)
と言った具合で、ちゃんと決まっていません。

さて、その中でたくさんのお話をしたのですが、
「クリスチャンは、恵みで歩めるから、楽だよね~」
って。。。

私や、同期にクリスチャンになった友達Aさんは、恵みが分からなくて「奴隷」のように頑張っていた時期がありました。
「イエスさまに委ねる」ことが分からなくて、ひたすら、自力でがむしゃらに頑張った末に病気になったのです(涙)。
どんな風にして、わたしを解放して下さったか?
なぜ過去形なのか?
理解出来なかったんです。

しかし、今や「イエスさまの十字架の恵みによる解放」を知ったので、もう二度と奴隷のようには歩みたくありません。
それでは、イエスさまの十字架を無駄にしてしまいますから。

イエスさまの恵みに留まり続けて、日々を歩んで行きたいです。


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イエスさまと共にある幸せ

2010年01月13日 | 家族
数々の

祈り願いは

ありぬれど

ただ一筋に

天を慕いぬ

(ぴーち)


調子に乗って来たぴーちです(笑)。

この世界では、たくさんの祈りや願いを持っています。

今年は特に、息子の祝福を祈っていますし、夫の事業の祝福も期待しています。ワクワクっ!

でも、一人静かにイエスさまと共にある幸せを思う時、天を見上げるんです。
そこには、一点の曇りや濁りもない世界があります。

でも、この地上の生活を捨てて(隠遁生活?ジジくさい?・笑)、浮き世を離れて生きたいとは全く思っていませんよ。

ただ、イエスさまだけを慕う世界です。

いつから、こんな気持ちになったか?と振り返ってみると、鬱病の最中の苦しみを味わっていた頃からですね。
苦しみ!苦しみ!底知れぬ苦しみ!
それ以外の、何もない時を、地獄のように感じました。

そして、その地獄のような苦しみを、イエスさまと一緒に歩んだからです。
(イエスさまは、もっと次元の違った苦しみの十字架の道を歩まれましたが)

私は、いつもイエスさまと一緒に生きる道を歩みたいと思います。


「たといわたしは
死の陰の谷を歩むとも、
わざわいを恐れません。
あなたがわたしと共に
おられるからです。」
(詩篇23:4)



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春はもう来ています。。。

2010年01月12日 | 家族
うぐいすの

声は未だに

聞かねども

主の み言葉に

春を抱きぬ

(ぴーち)


いやぁ~歌人になったね~(笑)。

夫の実家では、春になるといち早くうぐいすが鳴き、梅の花が開きます。

その香りと、さえずりが絶妙に春を演出してくれます。

春にはまだまだ程遠い山陰の新春ですが、心は聖書の言葉で満たされて、期待でいっぱいなんですよ。

長い冬は終わりに近づいて、春の予感に胸を膨らませています。

昨年の暮れ頃から足音は聞こえ始めて、今ではワクワクドキドキに…。

現実には何も手にしていないのに、幸せいっぱいですね。
(ってか、足りないですが~汗)

エリヤの食事を用意したやもめ女は、尽きない粉の壺を、心配して毎日覗いていたりしなかったと思いますね。
(旧約聖書の中のお話です。)

私たちも尽きない油と、尽きない粉を持っていると信じています。


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永遠に…。

2010年01月10日 | 家族
わたしたちは、見えるものにではなく、
見えないものに目を注ぐ。
見えるものは一時的であり、
見えないものは永遠につづくのである。
(Ⅱコリント4:18)

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↑前回と同じ言葉じゃん!(考えるのを節約した訳ではありません・笑)

最近、頭の中をグルグルしている聖書の言葉です。
見える現状に、振り回されるのが人間の常ですね。
でも、見えるものによって生きて行けば、必ず現実の限界に当たります。
だからこそ、わたしは、見えない神さまを信じて生きる幸せを、強く感じて喜んでいます。

私くらいの年齢になると、必ずしも今見えている栄華が絶対的ではなく、浮き草のように儚くて不確かなものだと気づきます。

昨年の紅白歌合戦を観て、
「もし、ZARDが生きていたら、今年あたりは生で出演したかも知れないのになぁ~」と思いました。
矢沢永吉が出たから…。

ですから、いつまでも変わらない、確かな絶対的な方にいつも目を向けていたいと望むのです。
そして、その愛の中にいる喜び、安らぎは、物質的なものや事柄では味わえないものです。

だからと言って、浮き世離れして、山に籠もっているのではなく、(山は嫌いで~・苦笑)普通以上に人生をエンジョイしていますよ。
何気ない事やくだらない事で、夫や友達と大笑いしているんで…(今日も教会で、お腹の皮が痛くなるくらい笑い転げました)。

イエスさま…どんな時にも、どんな私も愛して下さる確かなお方。
私は、いつもイエスさまと一緒に歩みたいと思っています!
永遠まで…。


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見えないお方から来る、満ち溢れる祝福!

2010年01月07日 | 家族
わたしたちは、見えるものにではなく、
見えないものに目を注ぐ。
見えるものは一時的であり、
見えないものは永遠につづくのである。
(Ⅱコリント4:18)

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あけましておめでとうございます!

今年のわたしの抱負は、
「いつもイエスさまに信頼!」です。

具体的には、今のところはないので、「詳細は後ほど…。」(笑)
今年のキーワードは「信頼」
理由は、身内にしかわからないですね~(笑)。

ところで、新年の礼拝で印象的だったことは
一昨年の祝福…終わり、昨年の祝福…終わり、今年の祝福ではなくて、
一昨年の祝福+昨年の祝福+今年の祝福と、神さまの恵みは、ドンドン上乗せされて増し加わるとのこと。

わたしは礼拝中、笑いが込み上げて来て、心が喜びで満たされました。
わたしの信じている神さまは、持っている上になお与え、更になお与え、更になお与えて下さるお方なんだ~。
(両手に紙袋をいっぱい持っている人が、両手で箱を抱え、更に箱がドンドン積まれて行く光景が目に浮かびました・笑)

「イエスさまっ!まだあるんですか?えっまだですか?え~っ、まだですか?!」
と言った感じです。

もちろん、これは物質的なものだけではなく、信仰的に、また精神的、肉体的な祝福など、全てに於いてです。

今、こうしてイエスさまと一緒にいる喜びや安らぎは、すでにもう祝福が始まっている証拠でもありますね。

喜び喜び喜び…♪
問題はなくなってないのですが、喜びが心を跳ね回っている奇跡に、イエスさまの偉大な愛を感じます。


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