●○-風吹く街で-○●

簸川平野のど真ん中「風吹く街で...」
恵みに生かされてるクリスチャンぴーちの日記です。

ジャーン!結婚記念日

2007年11月30日 | 家族
○○回目の結婚記念日で~す(^O^)\(^O^)/

長いようで、長いようで、長いようでした。
楽しかったですねぇー。途中でいろんな事がありましたが、いろいろあってお互いに変えられて、さらにイエスさまを愛する者と変えられました。
自我と頑固の固まりの二人でしたが、イエスさまが仲介して下さって、今はバカップル(@_@?)?です!アヘアヘッ

聖書にピレモンへの手紙って箇所があるんですが、そこの言葉で二人は、確信して結婚しました。
イエスさまは真実なお方なので、私たちを忘れる事なく、愛し通して下さいました。

愛されるにも、許されるにもふさわしくない私たちでしたが、イエスさまが命を張って守って下さいましたから、感謝です。

今日は私は疲れ果てていたので、お祝いは無しですが、アイスを買って来て!と頼んだのに、またまた!忘れていた夫でした(;_;)…おっとっと。

まっ私たちには、いつもの事なので…(笑)。

キムタク登場!?

2007年11月28日 | 思うこと

こんにちは。ぴーちは健在です。

前にも話したのかも知れませんが、ブログを3つも取得してしまい、書き込みに追われる日々を送っています。人気作家並み~~~(アホか・笑)

勝手に書いてるんですよね。。。 ははっ!
そして、相変わらずネットサーフィンにも、余念がないぴーちです。 そこで、ネットで面白い牧師先生のお話があったので、勝手に拝借してみたいと思います。
聖書に次のような言葉があります。有名な言葉ですね。

また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、
あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、
わたしの天の父はそれをかなえてくださる。
二人または三人がわたしの名によって集まるところには、
わたしもその中にいるのである。            
(マタイによる福音書18:19~20 )

もし、これをキムタクが言ったとしたら、凄い事ですよね?
「もし、2、3人のキムタクファンがいたら、パッ!とキムタクが現れる!!!!」
キャ~~~~~~~~~~キャー(o≧⋒≦)oo(≧⋒≦o)
と言う事になりますね。
イエスさまは、このように素晴らしい事を言われたのです。

簡単に言うとこんなお話でした。がっ!
変なところで受けまくる私は、もう想像しただけで受ける受ける。。。
「キムタクって素敵よね~」
「そうそう、あのドラマもカッコ良かったぁ~~」
すると、キムタクが。。。
「なに?僕のこと呼んだ?」なんて・・・。ありえね~~~。

でも、イエスさまは本当に!そう言われたんです。だから、私たちは夫と話している時にも、喜びを感じるし、教会で友達と賛美している時にも、幸せを感じ、生きる指針や力を頂いて、楽しく行くのですよ。

建前ではありません。本音です。任意の団体に行くのに、建前で長年行く訳はないからです。。。。
「なのに礼拝休むなぁ~!(朝寝坊をして、先々週休んでしまいました。あとで、後悔の嵐でしたけど・・・。)」

言い訳・・・朝は辛いのです。。。夜に礼拝があったらイイナーo(^▽^)o            


教えて下さるイエスさま

2007年11月24日 | 思うこと
毎日、いろいろなことがありますね。良いと思ってしたことが大失敗だったり、残念だとか嫌だと思ったことが、恵みだったり…。

昔は日々の出来事を、何気なく「嫌だった」「楽しかった」「面白かった」「辛かった」…と、簡単に片付けてしまっていました。
でも最近は、失敗したことの中にも「私は何をどう間違っていたのか?」を、ゆっくり考えていると、イエスさまが教えて下さいますね。聖書から…牧師先生のメッセージから…日常の出来事などから…。

責めておられるのではなく、私の成長のために指導して下さっているようです。
そして、次の機会には人を傷つけたり、間違えたりしないようにとの心使いを感じます。

以前は、失敗したり叱られたりしたら、訳も分からずにひたすら反省して、留まることなく落ち込んでいました。
そんな時には、反省しているものの意味は全く!分かっていない事しばしばでしたから、ひとつも益する所はありませんでした。自己嫌悪では成長しません。ただただ、セルフイメージが下がるのみです。

昔、娘が小さい頃に息子が悪い事をしたので叱っていました。すると娘が涙ぐみ…
「ごめんなさ~い(;_;)」
と言ったのです。小さい娘は、お兄ちゃんの変わりに謝ったのではありません。自分が叱られたと思ったのです…が、何で叱られているのか?知らないまま、お母さんが怒っている時には「ごめんなさい」と言うものだと思っていたようです(苦笑)。

私も全くこの場合と同じく、失敗や叱責に対して「なぜなのか?」と言う本質的な事など、理解する余裕もなく逃げて事を終わりにさせていました。
よって結果は、散々な経験を積む事となりました。

しかし今は、イエスさまが「どんなに愛して下さっているか…」を知っているので、安心して自分や出来事を見つめる勇気が与えられました。
ゆっくりゆっくりですが、教えていただける幸せを感じています。
*************************************
すべてのことは許されている。
しかし、すべてのことが益になるわけではない。
すべてのことは許されている。
しかし、すべてのことが人の徳を高めるのではない。
だれでも、自分の益を求めないで、
ほかの人の益を求めるべきである。
(Ⅱコリント10:23~24)

朱に交われば…。

2007年11月19日 | 友達
夜、お風呂上がりに夫と話しをしていたら、なにやら臭いが…クンクンクンクン…クンクンクンクン…。

いつも、これで家族からウザいと言われますが、臭いの源を突き止めないと気が済まないのです。
「何の臭い~?犬みたいだねぇ~」
と言われながらも、私の捜索は続く…(笑)。
「おばあちゃんの臭い…」

遂に発見!私の着替えたジャージに、おばあちゃんの臭いが付いていたのです。即、着替え…。

まぁ、何でおばあちゃんの臭い位で着替えたり、騒いだりするの?と思った方は、家にお年よりがいないか?介護の現場を見た事がない方ですね?

家ではおばあちゃんの洗濯物と、家族の洗濯物を分けて洗っているのですが、洗った洗濯物をたまたま一緒にして置くだけで、尿の臭いが着くんです。もちろん、洗剤も柔軟剤も使っていますが…。

ヘルパーの仕事をしていて、かつ舅を介護して看とった友達に聞いたら、やはり尿の臭いが一番、強力できつくて、取れ難いと言っていました。
恐るべし尿…!

しかし、私たち人間関係でも、誰と深く付き合っているか?によって(隣にいつも居るだけで?)、相手の影響をかなり受けると思います。
親しくて大切な、好きな友達ほど、影響を受けますね。喋り方や着る服、考え方や生き方にまで影響を与える事もあります。力関係なので、強い個性の人の影響を弱い方が受けるのが普通です。

昔から「友達を選ぶ事」が大切な事だと言われていますが、それは誰かを差別したり、外したりすると言う意味ではありません。どんな人にも愛を持って接する事をイエスさまは望んでおられますし、実践されたのです。

友達を選ぶと言うのは、一番身近な尊敬する親友。もしくは、自分の方が、良い影響を与える事の出来る友達ですね。

とても否定的な考え方の人を、親友に持つと自分も否定的な考えになり易くなります。人間は、そんなに強い者ではありません。
賄賂をあげたり、もらったりする事が当たり前の集団の中にいたら、罪責感は無くなってしまうでしょう。
不正をする事が当たり前の職場にいたら、慣れてしまうでしょう。弱い立場の人が上の立場の人に、人生観を変えてもらう程の影響力を持つ事は、人間の力では、難しいでしょう。

ですから、私たちが健全な考え方を常に持って、楽しく正しく生きるには、聖書の中にある言葉に従って、生きておられるイエスさまと、親しくし、友達になるのが一番ですね。
イエスさまも、私たちの事を友達だと呼んで下さいましたから(^o^)v
*********************************
「人がその友のために自分の命を捨てること、
これよりも大きな愛はない。
あなたがたにわたしが命じることを行うならば、
あなたがたはわたしの友である。」
ヨハネ15:13

自分の子供と引き替えに…

2007年11月16日 | 思うこと
今日テレビを見ていたら、風見しんごさんが出ておられました。

私は普段はテレビを見ないので知らなかったのですが、数ヶ月前に交通事故で10才のお嬢さんを亡くされたそうです。
そのお話しは、とても聞くに耐えない程に痛々しく、涙していらっしゃいました。

私は、そう言うお話しを聞くと一緒に具合が悪くなるので、以前は見ている事が出来ずテレビを切っていました。
しかし最近は、病状が安定しているためか?感情を制御することが出来るようになったので、ニュースは見ています。

いつか読んだ本に、
「あなたは、自分の子供と引き替えにしても良いと思う程に、欲しいものがありますか?」
と問いかけがありました。
もちろん、私にもありません。時に事件を起こす一部の人達を除けば、世の中のほとんどの親がそう答えるでしょうね!?

「私には、子供を犠牲にしても良いと思う程に、大切なもの(人達)があるんです!」
って言う人がいたら、私は怒りを込めて非難することでしょう。

しかし、それが天地を造られた神さまがなさったことだと知った時、私は愕然としました。そして、その狂気なまでの愛に、感謝と喜びと畏敬の念を覚えました。
もし、神さまに側近がいたとしたら、こう言うかも知れません。
「神さま。それはおやめ下さい。人間は勝手に悪魔に騙されて、自分たちの意思で罪を犯したんじゃないですか。また、新しい人を造ってパラダイスに住まわせましょう。」

しかし、神さまは私に(私たち)言われます。

「ひとり子を失っても良いと思う程に得たかったのは、あなただよ。」
「私には、どうしても悪魔から取り戻したいものがあった。それはあなたの命だったんだよ。」
*********************************
「神はそのひとり子を賜わったほどに、
この世(私)を愛して下さった。
それは御子(イエスさま)を信じる者がひとりも滅びないで、
永遠の命を得るためである。」
(ヨハネ3:16)

イエスさまによってひとつ!

2007年11月15日 | 思うこと
私がどうして、教会に行きイエスさまを信じるようになったか?は話しましたが、詳細を書くなら朝が来ます(笑)。

高校時代に友人から薦められて読んだ、作家の故三浦綾子さんの「塩狩峠」からスタートして、「道ありき」「この土の器をも」…。
どうしたら、このような他者のために生きる、生き方が出来るのか?関心を持ちました。

それから、朝のラジオ放送「ルーテルアワー」を何気なく聴いていて、聖書の言葉に興味を抱いたので、無料で聖書をもらえるのに釣られて、通信講座を受ける事にしました。すぐに止めましたが…^_^;(後に、この番組に出演してしまったのです…穴があったら入りたい位に恥ずかしい、つたない話しをしました・苦笑)

後に京都に行ってから、友達とトラブった事をきっかけに再開した所、添付の冊子にまたまた三浦綾子さんの言葉が載っていて、
「とにかく教会に行って見て下さい。ただし、クリスチャンの人を目当てに行けば、失望する事もあります。そのクリスチャンも、大変な悩みを抱えているかも知れません。ですから、イエスさまを求めて行って見て下さいね。」
と書いてありました。

私はどこに行けば良いのか分からず、とりあえず「CLCクリスチャン文書センター(京都店)」に行って見ました。
そこで吉井先生と言う、素晴らしい店長さんに出会い、京都一麦教会に行くようになりました(吉井先生は、今は天国にいらっしゃいます。)。
吉井先生は、司会をしながら何が嬉しいのか?と思う程に、いつもにこにこしておられ、かついつも早めに来て熱心にお祈りしておられましたし、天を仰いで喜んでイエスさまを賛美していらっしゃったのが印象的でした。

その後、私は郷里に帰る事になり、現在の教会にお世話になりました。今は「単立教会」と言って、どこの教団教派にも所属していませんが、かつてはJEC(日本福音教会)にお世話になっていました。

最近になって思う事は、私がイエスさまを信じるために、いかに多くの方々がお祈りして下さったか?と言う感謝の気持ちです。
そして、いろんな立場の方々と知り合う事が出来て、また祈っていただけて幸せでした。

私もまた、小さいながらも私のために祈って下さった方々への恩返しの気持ちも込めて、周りの人達のために、祈る者でありたいと思います。

自己認識のズレ

2007年11月12日 | 思うこと
誰でも、自分の事は一番分かっているようで、分かっていない事がよくありますね。

実は一昨日の朝、夢を見て慌てて起き上がりました。
それは友達がサラ金から、多額の借金をしていて、通帳をチェックしている夢でした(苦笑)。丁度、前日にサラ金の話を家族でしていたので、夢を見たのでしょうね。

ところが、その後で急に夫が借金をしているのではないか?と気になり出しました。(それはお前だろ?って感じですが・笑)
そこで起きてから、何気なく家の収入がいくらあって、借金がいくらあるのか?尋ねて見ました。
かなり代理店手数料が下がって、収入は少なくなりましたが、家のローンと教育ローンだけでした。
夫は基本的に、借金が大嫌いなので、繰り上げ返済をしてでも、月々の経費を減らすタイプです。

「ふぅ~良かった!」と思い安心しました。
なぜ、夫の性格を知りながらも心配したか?と言えば、いくら借金が嫌いな夫でも、このような手数料の下げ幅と大学生を抱えている身では、大変ではないか?と思ったからです。
また、たまたま別の友達から「手数料が下がって大変だね」って言われた事で心配が増してしまったのです。

話は変わるのですが、ある私の必要があって、お金の工面をどうしようかな?と考えていました。夫にあまり負担をかけたくないので、オークションで賄えればいいなと思っていたのです。

実は以前から、オークションに出品しようか?どうか?迷っている商品がありました。とてもマニアックなブランドなので、高く売れそうなのに、なかなか出品する勇気がありません。何日も部屋で眺め、遂に出品…でも惜しいので、下げてしまいました(笑)。
それから、また考え込んでしました…しつこい( ̄▽ ̄;)。

この事を通して、私がいかに物欲があるか?はっきり知る事が出来ました。自分では、わりと物欲や金銭欲が、少ない方だと思っていたのです。大きな自己認識のズレでした(苦笑)。

物やお金は悪い物ではなく、正しく使えば良い物ですが、もしそれに捕われ、縛られるなら、不自由で悪い物になりますね。

こんな小さい事で、心かき乱していて、うろたえている自分にビックリ!して、とても落ち着きませんでした。

しかし、フッと
「イエスさまは、最初からこんな私だと知ってて、尚且つ愛して下さっているんだから、まぁいいや…頑張って立派な人になろうと思ってもなれないんだから、委ねて、こんな私でも愛して下さっているんだから感謝しよう。そしてイエスさまに、私の狭い心を変えていただこう…」
と思ったら、幸せな気持ちになりましたo(*^▽^*)oあはっ♪