●○-風吹く街で-○●

簸川平野のど真ん中「風吹く街で...」
恵みに生かされてるクリスチャンぴーちの日記です。

苦しみが幸せに

2015年12月23日 | 思うこと
私にとっての十字架の意味
そうですね~もう十数年前の事でしょうか?私は、捨てられたと思いました。人にも捨てられたけど、神さまにも捨てられたと。それも仕方のない事だと、すっかり諦めていました...



この出来事は、私のクリスチャン生活の第二の原点とも言うべきものです。

第一は、もちろんイエスさまを信じた時・・・。

「あなたの罪は赦された」

と言う言葉で、喜びが満ち溢れた事を思い出します。

そして、第二はこの「十字架」です。

極端な言い方をすれば、

ここから私の本当の信仰生活が始まったと言ってもいいでしょう。



それまでは、イエスさまを信じてはいたのですが、

自分の力に頼り、どこまで行っても頑張り頑張り!でした。

ですから、振り返ってみれば、私がこのような苦しみに遭ったのは良かったのです。

ただ、もちろん二度としたくはない苦しみでした。

人を傷つけ、自分も傷つき・・・ボロボロでしたし、

家族にも多大な迷惑をかけました。



詩篇119:71

「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。

これによってわたしはあなたのおきてを

学ぶことができました。」




あああ~まさに神さまの掟。。。

「神の方法」「神を畏れる事」「神の秩序」などを学びました。

自分の方法で、自分の力で、自分を優先させるのは「罪」でした。

「私は間違ったんだ、本当に間違っていた」(弁解の余地なく)

と心底知ったのは、この愛なる神さまを知った時でした。




長年背負っていた暗い自分とも切り離されて、幸せを感じる心が与えられました。

重荷・・・それは自分自身だったと言っても過言ではありません。

十字架は、そんな自分と切り離される幸いな恵みでした。




今日も、この日を喜ぶ事の出来る恵みに感謝しつつ。。。

神さまからの語りかけ

2015年12月19日 | 思うこと
当たり前の事ですが、神さまは1人1人に違う言葉をかけて下さいます。

ある人には、「すっかり治って達者でいなさい。」

と言って下さるし、またある人には、

「あなたの罪は許された。」と言われました。



もちろん、普遍的な言葉もあります。

神さまが私たちを愛して下さっている事は同じです。

同じ言葉が適用されます。

「あなたはわたしの目には高価で尊い」と。




でも、ひとりひとりには別々の悩みがあります。

求めているものが違う場合があります。

ですから、イエスさまはひとりひとりに一番必要な言葉を知っておられ、

ピンポイントで語りかけて下さるんですね。



今!この時に必要な言葉を。。。

「身に余る光栄」-主を畏れること-

2015年12月08日 | 思うこと
最近聞いたメッセージから、

神さまを畏れると言う事は、「慎み深く生きる」と聞きました。



そして、慎み深く生きると言うのは、

今の状況を自分の努力の結果と思わず、

身に余る恵みだと思い、感謝することだと言う事です。

凄い業績を挙げた時だけではなく、当たり前の普通の生活にも、

今の状況を感謝して、身に余る恵みと思うことだそうです。



私はかつて、とても高ぶりやすくて自慢屋でした。

何か出来た時には高ぶり、出来なかった時には凹みました。

この落ち込みも、やはり高ぶりの裏返しでした。

しかし、自分の力に信頼することを止めた時から、

私は、高ぶりとも切り離されました。

もし何か成し遂げたとしても、私の業績ではありません。

全て神さまの恵みだと知ったからです。

もし、失敗したとしても反省はしても落ち込むことはありません。

こんな私が、本来の私なんですから。

こんな私でも、許され愛されている恵みに感謝します。



十字架は、どうにもならない自分の自我と切り離して下さるんです。

自分の力では、謙遜に絶対なれないと分かった日から、

神さまから与えられる恵みに目が開かれたのです。

慎み深く、今ある所で平安をもって生きて行きたいです。

ハレルヤ!!!

正しい事を行う力

2015年12月01日 | 日記
先日の日曜日の礼拝では、とても満たされたひとときを持ちました。



途中でイエスさまの恵みに、感動がこみ上げて来ました。

「イエスさまの愛って、なんて素晴らしいんだろう!」と。



その日の朝には、心からお祈りしていました。

「イエスさま!正しいことを行う力を与えて下さい。」って。

正しいことって、今の私にとっては、

「心から礼拝を捧げること(U_U)」

「心から神さまを賛美すること(*^-^*)♪」

「心から愛をもって友達とお話しすること」

などなどです。

どこかで引っ込み思案になりそうな私も、祈りによって励まされました。



そう、思いっきり賛美しよう!!!

思いっきり礼拝しましょう!

心から友達と交わりしましょう!

と言った訳で、礼拝はとっても幸せな時間でした。