●○-風吹く街で-○●

簸川平野のど真ん中「風吹く街で...」
恵みに生かされてるクリスチャンぴーちの日記です。

終戦記念日

2009年08月15日 | 家族
私の舅は、満州に出征し、シベリアで抑留されて帰って来た人でした。

戦争でのことは、今まであまり話さない方でしたが、私が嫁に行ってからは、お酒を飲んだ時には、よく話してくれました。
逃げる時に、あまりに苦しくて「あ~もう玉に当たってもいい~(>_<)」と、思った程に苦しかった話。
ソ連に連行される途中で、あまりお腹空いたので、飯ごうでご飯を炊いていたら、ソ連兵に飯ごうを蹴り跳ばされて悔しかった話。
などなど…。


中国で舅が何をしたか?ははっきりとした言い方ではなかったですが、その意見から伺い知ることが出来ました。

「なぜ?憎いこともない中国人を殺さなければならないのか?分からんかったですわ。」
それが民間人だったことも、容易に想像出来ました。

その後には、ソ連に捕虜となりシベリアで強制労働させられ、何年かして祖国に帰って来ました。

舅が帰って来れたのは、頑健だった肉体と精神力、便秘症だったことも原因しています。ジャガイモの皮を食べても下痢しなかったそうですから。
周りの人たちは、たくさん病気で亡くなったそうです。


私が知っている舅は、朝には憂鬱そうでしたが、お酒を唯一の楽しみにして、強く生きていました。働き者でした。
でも、よく夜にうなされていました。うたた寝しても大声で起きて来ました。

私たちには優しかったのですが、姑には当たり散らしているように思えました。
その心の痛みは、計り知ることができません。

ただ、いつも口ぐせは、
「戦争みたいなもんは、いけませんわぁ~○ちゃん(私の長男)の時代には、絶対に、そんなことがあったらいけませんわぁ」

息子が、自分の歌っている軍歌をマネして歌っている様子を、微笑ましい顔で見ていた舅の顔を思い出します。
舅にとっては、孫との日々が人間らしい唯一の楽しみでした。

苦しみを喜びに。。。

2009年08月14日 | 家族
そのとき(十字架につけられた時)、イエスは言われた、
「父よ、彼らをおゆるしください。
彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。
(ルカ23:34)

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この頃、頭痛に悩まされています(>_<)

風邪かな?コンタクトのせいかな?…頭痛持ちになった?って更年期障害?………ムッ(-_-;)

まっ何にしても、この状態で寝ると、とっても苦しいんですね…。
って、私は毎回苦しい話ばかりですね~(^_^;
でも、仕方ないのです。一日置きに疲れて寝ていますから…(苦笑)ヤレヤレ。。。


さて、今回寝ていた時には不思議な気持ちになりました。

それは、いつものようにパニック発作と、疲れで寝ていた時に、悩んでいる知人からもらった、メールを思い出したからです。
その人は、前回の記事にアップした、悩みの中で苦しんでいた方です。

「いただいた先生(牧師)のCD聞かせてもらっています。心が落ちつきます。ぴーちさんからのメールも楽しみです。」という内容でした。
実は、私が送ったメールと言うのは、娘の行っていた名古屋の教会から送られて来たメルマガです。

その女性が、「何か心がすっきりする言葉が欲しいです」
と言っておられたので、聖書の言葉が入っているメルマガがいいかな?と思ったんです。


苦しみの床の上で、私はこの方がイエスさまからの「一筋の希望」を持たれたことに喜びを感じました。

「私は苦しい…でも、あの人は今、喜んで下さっている。嬉しいな~」

そして今日、祈り会の賛美中に、その喜びの意味を深く感じました。

イエスさまは、十字架の苦しみの中で、後に十字架によって、喜んで生きるたくさんの人々の笑顔を見ていらっしゃったんだ!と。

苦しみの真っ只中で、希望を持って喜んで下さっていたのだと。(勿論、イエスさまの苦しみと、私の苦しみとは、全く意味が違いますが…)

イエスさまは、私の罪を許すために、喜んで十字架にかかって下さったんだ!感謝だなぁ!
私のような者を、命をかけて神さまの子どもにして下さったなんて…。

神さまの子ども…。
神さまの子ども…。

これは、素晴らしい奇跡ですねっ!

弱い時に強い!(o^- ’)b

2009年08月10日 | 家族
「それだから、キリストの力がわたしに宿るように、
むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。」
(2コリント12:9)

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2週間ほど前から、ほとんど全ての事を、イエスさまに委ねて生きるようにしています。

「委ねて生きるしかなくなった」がホントかな?

どちらにしても、激しい鬱状態や動悸のために、自分の頑張る余地がなくなってしまいました。

この事は、災いでなく必ず意味があるとは信じていましたが(からし種ほどの小さな信仰で…)、なかなか光が見えない毎日に、疲れていました。

その苦しみの真ん中で、神さまは私に、委ねるようにおっしゃっていました。

-あなたは、わたしに従って来なさい-

ムムムッ!でも、従う事が出来ない…従う力も気力もないのです。
なにしろ、日常の全ての意欲がなくなっていていましたから(-_-;)

そこで、私の力に期待するのを止め、イエスさまの力に期待する事にしたんです。

イエスさまが私の内にあって、全てを成し遂げてください!と祈って委ねました。

ボーっと鬱状態であっても、自分でどうにかしようとするのを止めました。

すると、この体調の悪い中で、何人かの人たちから、深刻な相談を受けていましたが、私が頑張るのでも負うのでもないので、不思議と会ってお話しする事が出来ました。

委ねて生きるようになってからは、自分で自分を制限するのを止めましたから、以前なら約束しないところですが、なんとなく次々と約束していました。
気づいたらスケジュールが、結構いっぱいになって…(^_^;)ははっ。。。

「私が何か良いアイデアを持っているわけではないので、イエスさま!よろしくお願いします。」
と心で祈って会いました。

ひとりの方は、大変な心労の中で希望を失って、自分を責めて、泣いていらっしゃいました。
そして「教会に行ってみたいですっ」と言っておられました。


私が頑張って生きるのではないと分かってからは、随分楽に生きられるようになったので、憂鬱な気分に振り回されず自分らしく歩めるようになり、穏やかな気持ちです。

感謝だぁーー(^O^)/

元気な時よりも、動きが良い?みたいです。

私はいつも弱くて惨めでしたけど、今は弱さが私を生かしています。

これこそ(o^-’)b
イエスさまの十字架と復活の恵み~~~o(≧∇≦o)(o≧∇≦)o