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ガンと闘い続けたジャズ・ボーカリスト石野見幸さん死去

2007-11-12 | 


ジャズボーカリスト石野見幸さん逝く(スポーツニッポン) - goo ニュース
石野見幸さんが死去 末期がんと闘いジャズ(共同通信) - goo ニュース
石野見幸さん死去 ジャズボーカリスト(共同通信) - goo ニュース

ガンと闘い続けたジャズ・ボーカリスト石野見幸(いしの・みゆき)さんが

亡くなられました。。。


ジャズボーカリスト石野見幸さん逝く

 末期の胃がんと闘いながら作曲を続け、ステージに立っていたジャズボーカリスト石野見幸さんが8日午後3時、がん性腹膜炎のため神戸市中央区の病院で死去した。35歳。兵庫県出身。通夜は9日、近親者だけで済ませた。葬儀・告別式は、10日午後0時半から兵庫県姫路市野里952の9、クレリ野里ホール=(電)079(285)1010=で。喪主は母順子(じゅんこ)さん。

 幼いころからジャズを聴いて育ち、9歳から12歳まで児童合唱団に所属。その後、世界的に活動するジャズ歌手の伊藤君子らに師事。ハートフルなステージには定評があった。

 昨年9月にスキルス胃がんの宣告を受けた。同12月には痛み止めを打ちながらディナーショーに出演、18曲を熱唱。がんと闘いながらステージに向かう姿は多くの人を元気づけ、今年9月24日にはNHK「おはよう日本」で特集が組まれて反響を集めた。7月16日の大阪ブルーノート公演が最後のステージに。先月17日に予定したライブをキャンセルした際、公式ブログに「皆さんに会いたかった。いつの日か実現できるよう頑張ります」と復帰を誓っていたが、これを最後に記述を更新することはなかった。

 ◆石野 見幸(いしの・みゆき)生年月日非公表。兵庫県出身。神戸女子短期大学卒業後、メーキャップアーティストを目指しながら、ジャズボーカリストの道を歩む。昨年12月25日にファーストアルバム「カレント」を発売した。


生前の姿についての以下の記事も心打ちました。

元記事はコチラ

「今」を生きる石野見幸

2006年12月21日 (木) 12:12 | 編集

「またね」

と言って、ジャズシンガー石野見幸はステージを終えた。

またやってくる「明日」を信じ、「現在」に生きている。


「私にしか伝えられないメッセージがある」
なぜ自分が歌っているのかを考え続けていた彼女は、そこに辿り着いた。

だから、薬の副作用の吐き気と闘い、聴力の失調と闘い、医師からの手術の強い勧めを断って12月17日のディナーショーにかけた。
そして、痛み止めのモルヒネのチューブを外して、車椅子で会場に入る。

テレビでしか垣間見られなかったショーだが、
見事なステージだった!



ガンで余命1ヶ月を宣告されている彼女の姿が

脳裏に焼き付く。

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父の影響でジャズを聞いて育ったという。

点滴チューブをつけて家族の前で歌の練習をしていたとき、「うまい?」と訊いても父親は「俺の方がうまい」と答える。
「プライドよ」とカメラにしかめっ面を見せる石野見幸。

決死のステージを終えた後、父と抱き合って
「お父さんの子だったでしょ」
と泣いていた。


オヤジ…、お前褒めてやったのか?
照れずに、いくらでも褒めて褒めて
そして、抱きしめてあげてほしい


私は、抱きしめてもらったことのない子どもも大人もたくさん知っている。その人達が、どんなに生きづらい生を懸命に生きているか…

あるいは、親に無意識のうちに支配され、自分の人生を一歩も歩まないままに終える人もいる。


自分の存在をしっかりと抱きしめてもらって
ぬくもりをたくさんもらって
そして、親に見守られる中で自分の生を燃焼する
それが、幸せな人生だ


幸せな生を全うしてほしい

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「死のうと思っても死ねない。生きようと思っても生きられない」
「だから、今を生きる」

そう言う彼女のファーストアルバムが母親の誕生日に発売されるという。

タイトルは、「カレント(Current)」

まさに、永遠の「現在」を生き続けていくアルバムになるのだろう。


※「カレント(Current)」 は「現在の, 今日の」の意


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