西田 幾多郎(にしだ きたろう)
(1870年5月19日(明治3年4月19日) - 1945年(昭和20年)6月7日)をご存知でしょうか?
現在の石川県かほく市森(旧宇ノ気町森)に生を受けた西田幾多郎は
日本を代表する哲学者であり京都大学教授、名誉教授。
京都学派の創始者でもあります。
西田幾多郎が散策した琵琶湖疎水沿いの道は「哲学の道」と呼ばれ、
日本の道百選にも選ばれています。
西洋哲学と東洋の仏教哲学の間に身を投じ、
名著『善の研究』は日本で最初の哲学書と言われており、
日本哲学の創始者と言っていいでしょう。
この『善の研究』難解な書でありながら、なんと118.1万部 も世に出ており、
80年の歴史を持つ岩波文庫で堂々の7位に食い込むベストセラーなのです。
■岩波文庫は1927(昭和2)年7月10日に,夏目漱石『こころ』,
幸田露伴『五重塔』,樋口一葉『にごりえ・たけくらべ』,
島崎藤村『藤村詩抄』,トルストイ『戦争と平和(一)』,チェーホフ『桜の園』,
プラトン『ソクラテスの弁明・クリトン』など22冊,5日遅れてカント
『実践理性批判』1冊を刊行してスタートしました.以来80年間(2006年12月まで)の
総刊行点数は5400冊になります.
ちなみにベスト3は以下の通り
1位 ソクラテスの弁明・クリトン プラトン久保勉(訳) 156.9万部
2位 坊っちゃん 夏目漱石 135.8万部
3位 エミール(上) ジャン・ジャック・ルソー今野一雄(訳) 135.5万部
出典:編集部だより 岩波文庫編集部 - 文庫豆知識
http://www.iwanami.co.jp/hensyu/bun/mametisiki.html" target="_blank"
「死の問題を解決するというのが人生の一大事である、 style="line-height:160%;">「いっさいの書物を焼失しても『歎異抄』が残れば我慢できる」
と語ったと伝えられ、敗戦直後に獄死した三木清も
「万巻の書の中から、たった一冊を選ぶとしたら、『歎異抄』をとる」と言ったと
いわれる。
このように、文学・哲学界のみならず、思想・倫理・歴史・経済・科学などあらゆる
分野で『歎異抄』の思想的意義を認める人達は多い。
高等学校の日本史の教科書に第三章が取りあつかわれ、倫理のテキストに第一章が、
新倫理資料集に第二章、第三章がそれぞれ紹介されている。
また国語の日本文学史のテキストにも『歎異抄』の名前が登場してくる。
教科書等の中でこれだけ『歎異抄』が数多く取りあげられているという事実は、
この書がいかに世間で認められ、高く評価されているかを示している。
(出典)谷川理宣・土井順一・林智康・林信康編著『歎異抄事典』柏書房、1992年
宗教は道徳の立場を無視するものではない。
かえって真の道徳の立場は宗教によって基礎附けられるのである。
(中略) style="line-height:160%;">煙波渺茫、風静に波動かざる親鸞上人の胸懐はまた何となく
奥床しいではないか。
(出典)上田閑照編『西田幾多郎随筆集』岩波文庫、1996年
余は真宗の家に生れ、余の母は真宗の信者であるに拘らず、余自身は真宗の信者でも
なければ、また真宗について多く知るものでもない。
ただ上人(親鸞聖人)が在世の時自ら愚禿と称しこの二字に重きを置かれたという話から、
余の知る所を以て推すと、愚禿の二字は能く上人の為人(ひととなり)を表すと共に、
真宗の教義を標榜し、兼て宗教その者の本質を示すものではなかろうか。
(出典)上田閑照編『西田幾多郎随筆集』岩波文庫、1996年
愚禿の二字は独り真宗に限った訳でもないようであるが、真宗は特にこの方面に着目した
宗教である、愚人、悪人を正因とした宗教である。
同じく愛を主とした他力宗であっても、猶太(ユダヤ)教から出た基督(キリスト)教
はなお、正義の観念が強く、いくらか罪を責むるという趣があるが、真宗はこれと違い
絶対的愛、絶対的他力の宗教である。
例の放蕩息子を迎えた父のように、いかなる愚人、いかなる罪人に対しても弥陀はただ
汝のために我は粉骨砕身せりといって、これを迎えられるのが真宗の本旨である。
『歎異抄』の中に上人が「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずればひとへに親鸞一人が
ためなりけり」といわれたのがその極意を示したものであろう。
(出典)上田閑照編『西田幾多郎随筆集』岩波文庫、1996年
先生は禅だけに止まっていられたわけではなく、それ以外でも例えば『歎異鈔』を非常
に尊重されていた。友人達も記していることだが、かつて、他の書物が一切なくなったと
仮定しても『歎異鈔』さえあれば、と言われたこともあり、『歎異鈔』には
名刀をつきつけたようなところがあると言われたこともある。
「西田幾多郎 style="line-height:160%;">
「右この聖教は、当流大事の聖教たるなり。無宿善の機に於ては左右無く之を許す style="line-height:160%;">「歎異抄をひらく」です。
15万部のベストセラーになって
いるとか。
この「歎異抄をひらく」は親鸞聖人のお言葉によって歎異抄の真意が開かれたものです。
「こう思う」「こう理解すべきと考えます」「このように受け止めたい」
という私釈はどこにもない、歎異抄の言葉でいえば、自見の覚悟(勝手な判断)は
どこにもありません。
「歎異抄をひらく」の“はじめに”にはこうあります。
とかく『歎異抄』を論じたものは、著者の体験や信条に力点が置かれ、
自由奔放に解釈されている、と嘆く識者も少なくはない。
本書は、聖人自作の『教行信証』などをもとに、『歎異抄』の真意の解明に
鋭意努めたつもりである。
親鸞聖人のお言葉を提示して、非才ながら一石を投じたい。
「更に親鸞珍しき法をも弘めず」の親鸞学徒の精神が貫かれています。
親鸞学徒の常の精神も
「更に珍しき法をも弘めず、親鸞聖人のみ教えを我も信じ、 href="http://www.10000nen.com/book/tanni/tanni.htm" target="_blank"">http://www.10000nen.com/book/tanni/tanni.htm" target="_blank"
仏教から見た最新ニュースと人生の目的を、ある浄土真宗 親鸞会 講師はどう見るか
http://blog.goo.ne.jp/pandagananda16/s/%B4%F6%C2%BF%CF%BA" target="_blank"
西田幾多郎 href="http://blog.goo.ne.jp/345shigure/e/1ebc024b135ffe31acbfd481e7460d93" target="_blank"">http://blog.goo.ne.jp/345shigure/e/1ebc024b135ffe31acbfd481e7460d93" target="_blank"