三月の声を聞くまでもなく もうすっかり春だ。
今年は冬がなかった。どれだけ冬がなかったかと言うと、今年は 一度も水道が凍らなかった。毎年 一度や二度は水をちょろちょろと出して帰るのに、それがなかった。そして光熱費が、昨年の20%安くついた。それほど冬がなかった。
今朝 ゴミだし日でゴミ袋を抱えながら ふと足元を見たら、草むらに可憐な青や紫やピンクの小花が咲き乱れている。
アレ?もうこんなに自然界は春が来てるの?
日増しに春らしくなりうれしいが、やはり厳しい冬があってこそ、春の喜びがあるのであって、登りがあるから、坂道もあるのであって、人生苦労するから次の喜びがあるのであって、こう一足飛びに春が来ても、うれしさも半減するんじゃない?(とまぁ ナンにでもケチつけるこごとばばぁみたいですね。)
昨日 うららかな春の日差しに誘われて、二宮方面に行ってまいりました。
田んぼはいつでも田植えが出来るように草はあぜまでも綺麗に刈ってあった。
♪ どじょっこだ~の、ふなっこだ~の 春がきたよと おもうべな~♪
(因みに私のアルバムにも写真をアップしてますのでよろしければ覗いてみてください。)
暖かい冬と言うわけで、潮噴き女 じゃなくて、汗噴き女の私は、とうとう針が持てなかった。(我流ですがパッチワークが趣味なんです。)
お客さんのF美さんが、「今年はパッチワークしなかったね、小銭入れを作ってもらおうと思っていたのに。」と言われたけど、体感温度が高くて、いつも手のひらが湿っていて何一つ作らなかった と言うか作れなかったのだ。
油手は百害あって一利なし と言っていたが、そうそう、そういえば昔この油手が役に立ったのを思い出したぞ。
子供ころ(昭和30年ごろ) 家族でよく山崩しという将棋の遊びをした。
将棋の駒をバタッと将棋の盤の上にかぶせて、その箱をそーっと取り、駒の山を作る。五角形の将棋の駒はそれぞれ重力で微妙な形で支え合っている。
その駒を一つ一つ、山を崩さないようにそーっと取ってゆくのだ。
音を立ててはいけないルール。音を立てたら次の人に変わる。とった駒の数で勝敗を決める。王様も歩も、この遊びでは同じだ。
私はこの遊びはいつも一番だった。勝つ為の条件を兼ね備えていたから、決して負けなかった。その条件とは手に水分を含んでいるから、将棋の駒がうまい具合に引っ付いてくれて、人差し指の第一間接を、45度くらいにまげて駒を挟むと無音で取れるのだ。
私の番になったら、ほとんど持っていってしまい、面白くないからわざと音を出して代わったりした。妹なんかわざと指をなめて挑戦していたけど、私には敵わなかった。
この時だけだ、油手が誇らしく思ったのは・・
こんな遊び最近の子供はしないだろうね。
晴れ 22℃