ブレンド日記

世の中の出来事・木馬での出来事・映画の感想・本の感想・観るスポーツ等々ブレンドして書いてみました。

ヘアースタイルの思い出。

2007年03月16日 | 私ごと

 まだ 桜は咲いていないが、なんとなく芽が膨らんでいるような気がする。
午後より 暖かくなり、ご近所をウオッチング。

梅は咲いたか 桜はまだかいな と草木も待ってるみたいに感じる今日の午後です。

 今日の日記は何書こうかな?と週刊誌をめくっていたら、面白い記事が目に入った。
「すわ!、戦後以来の大流行か」子供達の頭にアタマジラミ・・
何でも 復活の原因として海外から持ち込まれて、環境汚染の観点から強い殺虫剤がつかえなくなり、温暖化で卵→孵化→幼虫→成虫→産卵というサイクルが早まっているかららしい。
 ついこの前 チョイわる@テツ君に突っ込みを入れられたばかりだったので、つい目が行ってしまったようだ。

 というわけで、話は大昔に遡る。少女そのが小学校の2年生の時だった。
子供達の間で毛じらみが、大流行したのだ。あの人はあまり清潔でないから頭を引っ付けてはいけないなどと、陰口をたたいていたのもなんのその、誰も平等に虱頭になってしまった。
児童全員 校庭に並んで、順番に頭を突き出して、DDTを噴霧器でかけられた。
その日は真っ白な頭をして授業した。
帰宅してから、すぐ井戸に行き 頭を洗った。
しばらくしたら祖母が縁側に新聞紙を広げ、妹と私は順番に 頭を新聞紙の上にかぶせるように座り、 竹の梳き櫛で梳いてもらうと、本当に大袈裟ではなくて ぽろぽろと毛じらみの死骸が落ちるのだ。薬で弱っているけど、まだ動いているのもいた。
髪の毛には虱の抜け殻の白いかすが、引っ付いていた。

そんな日々に、祖母がわたしに髪の毛を短くするように提案した。
私は 物心ついた時から、肩より短くした事がなかった。毎朝 母が学校に行く時 鏡の前に座らせて、結ってくれるのだ。ある時はポニーテール、ある時はおさげ、またある時は前髪だけ結んで大きなリボンをつけてくれた。
今でも昔のモノクロの写真を見たら、当時つけていたリボンの柄は はっきりと思い出すことが出来る。
しかし、このように毛じらみ対策にDDTを振かけられては、長い髪は本当に困るし虱もつきやすい。
嫌々ではあるが思い切って切る事にした。

縁側に新聞紙を広げてミカン箱に座った。首に手ぬぐいを巻き 風呂敷を肩までたらし、髪をぬらして、神妙にじっとして鋏の入るのを待つ。洋裁の裁ちばさみだった。

祖母はまず、私の耳のそばを「これくらいでいいかな?」とつぶやきながらチョキチョキと切った。そして今度は反対の耳のそばをチョキチョキと切った。後ろの方は、チョキチョキじゃなくてジョキ、ジョキと音がして、少々不安になった。

ミカン箱の前に行き 「こちらが少し長いかな?」そういいながら切った。また前から見て 「こちらの方が少し長いかな?」左右を同じに揃えるのに執念を燃やしているように、切り続けた。

 で、その結果は?そりゃもう・・。
なんだか涼しくなり、軽くなり、恐る恐る手で髪を探した。なんと、なんと耳の上にぶら下がっているではないか・・ほぼ前髪と同じ長さ。

「切りすぎたかな?でも髪は一月もすりゃ伸びるし、虱もこんなに短けりゃ、どこかに行くよ。」
と言いながら 後ろ頭を剃刀でそり始めた。そして風呂敷をはずし手ぬぐいで顔や首についた髪の毛をパッパッと払った。

鏡に写った私は 今まで見たことのない異様な 田舎の汚い娘だった。それでなくても自慢じゃないが、人より数倍も大きな顔はさらに大きく見えて 鏡に写るのは全面顔だった。
私は祖母を恨む余裕などなかった。ただ鏡台の引き出しに入っているリボンの数々が勿体ないな、もういらないな そう思っただけ。
でも涙があふれて仕方がなかった。

次の日学校に行った。もともと他の子供達は 皆私と同じような短い髪をしていたのだが、教室に入ったとたんに いっせいに私を見て 驚いたような異様な反応を忘れる事は出来ない。
東京から越してきて、いつも待ち伏せしてスカートをめくっていたいじめっ子の大地元クン(今でも名前をはっきり覚えている)が、「よう似合うぞ。」といったのだ。
これで完全に田舎の子に溶け込んだ少女そのでした。

終戦後の のどかな田舎の小学校の虱の思い出です。

晴れ 12℃