トンボさんのリクエストで愛想無し家の管理部長が買ってきたお菓子です。言ったもん勝ちですね。
*…*…*…*…*…*
たった2~3日の事だというのに、まるで全く違う世界に迷い込んだような日々のリズムの違う生活は、曜日の感覚も時間の感覚もなくなり、ただ、ただ忙しかったし疲れた。
今朝いつものようにニュースを見たり、新聞を読んで、へぇこんな事があったのかと驚いた。
今日はまったく私事ネタを長々と書くかもしれませんがお許しを。
21日の金曜日夜、突然電報のようなメールを受け取る。
「今 バスに乗った、明日朝7時過ぎ、浜田駅まで迎えたのむ。」相変わらずの千葉の愛想無しの伝言だった。
その夜(22日) 愛想無し夫婦と一緒にすき焼きを囲んだ。「このすき焼きなべ歴史があるんだね。」「そうよ、おじいさんの肩身だからね。でもやはりこの鉄のすき焼きなべにすると、美味しいよね。」
娘から電話で、婿の仕事の都合と、ETCの都合で明日の早朝(23日)4時ごろ着くからとのことだった。(因みにETCは夜中の12時から高速代が半額になるらしい。)
このようにして家族が集まったのは、夫の七回忌の法要を23日に決めていたからだ。
突然 目の前からいなくなったあの人と とうとう私は同い年になってしまった。
つやや体力が無くなってしまって、代わりに皺と白髪が増えました。方向音痴の私が、あの世でまた無事に会う事が出来るか心配です。
さて、法事の当日。
お坊さんが10時という約束だったのに、9時過ぎにもうやって来た。「え~早いですね。」私は言った。お茶の用意もこれからの時だったし・・
サンコー社長さんと、愛想無し夫婦が相手をしてくれる。
余談になるが、このお坊さんやはり3回忌の時、時間を間違えて、30分遅く来た。そして遅れた分 他の檀家さんとの時間調整のため、坊さんグッズの入ってるであろう茶色のずた袋から携帯電話の着信音がしょっちゅうなり、しかもその着信音が「明日がある」私はこの坊さんなっとらん!せめて着信音は「運命」ぐらいにしたらと思ったことを思い出してしまった。
話は戻るが、そのお坊さんは、昨年大病をしたらしくて、見る影もないほど痩せて、身体も少々不自由になられて、お経の声に張りがなく小一時間の読経もやっとの様子で、有り難味もあったもんじゃなかったが、気の毒でもあった。今度からサンコー社長がお経を読んでくれるそうだ。お布施は半分でいいらしい。
それは冗談だけど、その後みなでぞろぞろと歩いてお墓にお参りした。風が強くお線香も火がつかなくて困った。
しかしこんな事でもないと、家族や親戚も集まる事もないのでその後の会食は話が随分と弾んだ。
残された蔵書を見て、金になるのはないか、折口信夫全集は?柳田邦夫全集は?埃になっているから駄目か?などと言いたい放題。「きっとお兄さんあの世で苦笑いしているね。」妹達の言葉。
その夜は本当に何年ぶりかで家族が一同に会した。(多分娘の結婚式以来だと思うが・・)
夕食は 法事の残り物で、お汁だけ作り、この際だから私はみなに言った。
「お母さんは、一人だし国民年金だけじゃとてもじゃないが暮らしてゆけない。希望としては、山の中腹でせせらぎの聞こえる清流があり、窓を開けると海の見えるところで出来るなら温泉付きね。ワンルームでいいから一人で静かに暮らしたい。愛想無しさんよろしく心に留めておいてくださいね。国内、国外を問いません。」
さて、開けて日曜日。
愛想無し夫婦を朝、5時半に起こした。
二人で温泉津温泉に朝風呂に出かけて、朝食の用意をして、ご飯を食べたら7時30分に浜田駅まで送った。
何でも仕事の事で岡山に行き、用を済ませたら、神戸で遊んで東京に帰るらしい。ご苦労さん。
娘夫婦は、研究職の旦那が仕事を持って帰り一晩中持参したパソコンで仕事をしていたので、朝ごはんを食べたら昼間寝るということだった。(この会社は人をこき使う会社だね、一部上場の会社だというのに、お休みも満足にないのかね?あきれた会社だね。)
というわけで私の計画としては、座布団や、布団の片付けや、使った道具をしまったり、掃除も済ませてしまいたかったんだけど、半分しか出来なくて、その代わり孫と一緒にたくさん遊んだ。
もう来年まで会えないし、お買い物や、公園の滑り台で遊んだ。
その夜 7時半ごろ最後の夕食を済ませて、尼崎に帰っていった。ご苦労さん。
このようなわけで我が家のイベントも無事終わりました。最後にこの場をお借りして、一言。
あれから早いもので七年たちました。
あのどん底時に、ともすれば真っ黒な海に漂う難破船のような行く当てもなく彷徨っていた時、親戚の方々、そして木馬のお客さんの方々、私のお友達、その他多くの私につながりのある方々に励ましていただき、どんなにか心強く、あ~人ってこんなに温かいものかと再確認した七年でもありました。
これから、どれだけお返しが出来るかわかりませんが、頑張って参ります。
本当にありがとうございました。
私事を長々と書いてしまいまして、最後まで読んでくださりありがとうございました。
23日(土曜日晴れ 風強し、24℃)24日(日曜日 晴れ 25℃)
本日 24℃ 晴れ。
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たった2~3日の事だというのに、まるで全く違う世界に迷い込んだような日々のリズムの違う生活は、曜日の感覚も時間の感覚もなくなり、ただ、ただ忙しかったし疲れた。
今朝いつものようにニュースを見たり、新聞を読んで、へぇこんな事があったのかと驚いた。
今日はまったく私事ネタを長々と書くかもしれませんがお許しを。
21日の金曜日夜、突然電報のようなメールを受け取る。
「今 バスに乗った、明日朝7時過ぎ、浜田駅まで迎えたのむ。」相変わらずの千葉の愛想無しの伝言だった。
その夜(22日) 愛想無し夫婦と一緒にすき焼きを囲んだ。「このすき焼きなべ歴史があるんだね。」「そうよ、おじいさんの肩身だからね。でもやはりこの鉄のすき焼きなべにすると、美味しいよね。」
娘から電話で、婿の仕事の都合と、ETCの都合で明日の早朝(23日)4時ごろ着くからとのことだった。(因みにETCは夜中の12時から高速代が半額になるらしい。)
このようにして家族が集まったのは、夫の七回忌の法要を23日に決めていたからだ。
突然 目の前からいなくなったあの人と とうとう私は同い年になってしまった。
つやや体力が無くなってしまって、代わりに皺と白髪が増えました。方向音痴の私が、あの世でまた無事に会う事が出来るか心配です。
さて、法事の当日。
お坊さんが10時という約束だったのに、9時過ぎにもうやって来た。「え~早いですね。」私は言った。お茶の用意もこれからの時だったし・・
サンコー社長さんと、愛想無し夫婦が相手をしてくれる。
余談になるが、このお坊さんやはり3回忌の時、時間を間違えて、30分遅く来た。そして遅れた分 他の檀家さんとの時間調整のため、坊さんグッズの入ってるであろう茶色のずた袋から携帯電話の着信音がしょっちゅうなり、しかもその着信音が「明日がある」私はこの坊さんなっとらん!せめて着信音は「運命」ぐらいにしたらと思ったことを思い出してしまった。
話は戻るが、そのお坊さんは、昨年大病をしたらしくて、見る影もないほど痩せて、身体も少々不自由になられて、お経の声に張りがなく小一時間の読経もやっとの様子で、有り難味もあったもんじゃなかったが、気の毒でもあった。今度からサンコー社長がお経を読んでくれるそうだ。お布施は半分でいいらしい。
それは冗談だけど、その後みなでぞろぞろと歩いてお墓にお参りした。風が強くお線香も火がつかなくて困った。
しかしこんな事でもないと、家族や親戚も集まる事もないのでその後の会食は話が随分と弾んだ。
残された蔵書を見て、金になるのはないか、折口信夫全集は?柳田邦夫全集は?埃になっているから駄目か?などと言いたい放題。「きっとお兄さんあの世で苦笑いしているね。」妹達の言葉。
その夜は本当に何年ぶりかで家族が一同に会した。(多分娘の結婚式以来だと思うが・・)
夕食は 法事の残り物で、お汁だけ作り、この際だから私はみなに言った。
「お母さんは、一人だし国民年金だけじゃとてもじゃないが暮らしてゆけない。希望としては、山の中腹でせせらぎの聞こえる清流があり、窓を開けると海の見えるところで出来るなら温泉付きね。ワンルームでいいから一人で静かに暮らしたい。愛想無しさんよろしく心に留めておいてくださいね。国内、国外を問いません。」
さて、開けて日曜日。
愛想無し夫婦を朝、5時半に起こした。
二人で温泉津温泉に朝風呂に出かけて、朝食の用意をして、ご飯を食べたら7時30分に浜田駅まで送った。
何でも仕事の事で岡山に行き、用を済ませたら、神戸で遊んで東京に帰るらしい。ご苦労さん。
娘夫婦は、研究職の旦那が仕事を持って帰り一晩中持参したパソコンで仕事をしていたので、朝ごはんを食べたら昼間寝るということだった。(この会社は人をこき使う会社だね、一部上場の会社だというのに、お休みも満足にないのかね?あきれた会社だね。)
というわけで私の計画としては、座布団や、布団の片付けや、使った道具をしまったり、掃除も済ませてしまいたかったんだけど、半分しか出来なくて、その代わり孫と一緒にたくさん遊んだ。
もう来年まで会えないし、お買い物や、公園の滑り台で遊んだ。
その夜 7時半ごろ最後の夕食を済ませて、尼崎に帰っていった。ご苦労さん。
このようなわけで我が家のイベントも無事終わりました。最後にこの場をお借りして、一言。
あれから早いもので七年たちました。
あのどん底時に、ともすれば真っ黒な海に漂う難破船のような行く当てもなく彷徨っていた時、親戚の方々、そして木馬のお客さんの方々、私のお友達、その他多くの私につながりのある方々に励ましていただき、どんなにか心強く、あ~人ってこんなに温かいものかと再確認した七年でもありました。
これから、どれだけお返しが出来るかわかりませんが、頑張って参ります。
本当にありがとうございました。
私事を長々と書いてしまいまして、最後まで読んでくださりありがとうございました。
23日(土曜日晴れ 風強し、24℃)24日(日曜日 晴れ 25℃)
本日 24℃ 晴れ。