秋の風物詩『ヨズクハゼ』
来夏 世界遺産に登録されるであろう石見銀山遺跡を代表する文化的景観ヨズクハゼの写真です。(隣のおやじさんの写真です。クリックしてください。)
ヨズクハゼは、竹や木を四角錐の塔のように組み立てて、刈り取った稲穂をかけた姿が巨大なヨズク(ミミズク)が羽を休めているように見えることから名付けられたらしいが、私はこの風景を見ていたら、丹精込めて作ったお米を決して誰にもやるものかといった外敵から必死で守る獅子のような気がしたが・・。ならシシハゼか?
温泉津町にある酒屋のお酒を作るお米だそうです。
全国でもこの地区だけに伝わり、同市の有形民俗文化財に指定されているそうです。
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川上弘美の小説じゃないけど、ほほをなでる風が冷たいと思ったら、秋が少しばかり顔に食い込んでいるのだった。
まだ初秋なのに、冷風が窓から入り込み顔に集まっているらしく、体は布団で覆われているから温かく、顔は冷風密度が濃くなっているみたい。心地よいなぁ。シアワセ・・。
朦朧とした夢見心地の頭の中で、ほんわかだが、今日着ていくセーターが浮かんできた。もうそろそろ薄手のシャツは寒いよ、お気に入りのハイネックの黒の半そでセーターを着ていこう。
そのセーターを出すため、4畳半の納戸(というより物置)に向かう。
一人になってから、こんな事ではいけない、いけないとわかっているのだが、まったく横着を決め込んでいて、冬用、夏用の衣替えの衣装を(大してないけど)箪笥に入れ替えもせづ、ケースに入れたまま、箱の蓋だけ開けて広げて出し入れしている。納戸の半分は本で埋め尽くされていて、残りの半分はその箱で足の踏み場もない。誰も入らないからいいや、まったくもっていい加減な女なのだ。
そのセーターを探すのだが見当たらない。別の箱を見てみる。やはり見当たらない。もう一つの箱は?え~どこいった?ない、ない、なんで?・・ないとなるとだんだん必死になり、時間がドンドンたつ。
長年 この音が聞こえると出かける準備をする下りの列車も行ってしまった。
あせる、あせる気持ちがいらいらに変わる。とにかく見つけないと気持ちが落ち着かない、箱をひっくり返したり、もう時間などどうでもいい。
ここから他にもって行くわけないのだから、落ち着いて、冷静に・・自分に言い聞かせている。自分の始末が悪いなんて思わない。
箱と箱の間にはまり込んでいたそのセーターを見つけた時、ようやく心の平穏を取り戻し、安堵する。そして身につけた。別に今日着ていかなくても、どうってことなかったのになんでだろう。しわくちゃになっていたセーター・・
尤も着ていたら午前中にすっかり皺も取れたけど。
イリコさんにこの話をしたら「あるある、そういう気持ちになった事。」といってくれたけど、よくよく考えて見たらたら 「私」 という人格は、長い間生きているにもかかわらず、結局こんなどうでもいい、取るに足りないことで、あれほど動揺するようなつまらない人間なんだ、と思ってしまった。
人間の60%は水分で出来ているというけど、それと同じように私という人格も60%くらいは、水分で構成さていて、わずかながら過去の記憶がその中に漂っているだけなのかもしれない。
雨 後曇り、 時々雨 23℃ 涼しい。