おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

必要なのは…。

2007-05-18 21:39:11 | 我思う、故に書くなりよ。
人質の元妻が自力で脱出、保護 愛知の立てこもり事件(朝日新聞) - goo ニュース

精鋭の特殊部隊ではなく、それらを効果的に運用するコトが出来る「指揮官」ってコトだね…。

まぁ、テロリストのみなさんには非常に美味しい情報がわんさかと詰った事件であって、SATの運用なんかそうそう変わるモンでも無いから、少しの持久に対する備えと、少々の重装備でテロ行為に勤しめる…ってコトになる。

少なくとも、断続的な攻撃と、人質の温存さえ可能ならば、24時間はこちらの自由だ。催涙ガスも飛んで来なければ、狙撃や急襲もない。実に有益な時間が得られるだけでも御の字ではなかろうか。

加えて言うならば、それらに際しては拳銃的な銃器よりも、小銃クラスの火器が数丁あれば特殊部隊とて制圧も可能だと言うコトだ。適当な騒ぎを起こしておいて、先に集まった特殊部隊から潰しにかかる…と言う手も実に有効である。こちらの氏素性を上手く隠せたらなおの事良い。それだけで弾は飛んで来ない。

まぁ、一旦発砲の許可が出たとなると、やはり手強いコトには違いないが、それまでの時間がかなり有効に使えるコトは、テロリストにとっては大変ありがたいのである。どっちみち、捨て身で行うテロなんだから、時間は余ってくれてナンボ…のもんだろうからね。大規模なテロに付随するオマケ的な作戦としても、篭城と適度な攻撃はかなり有効なポイントになる。数箇所同時に行えれば、警察の指揮系統はそれだけでメチャクチャになるワケだし、ちょっとしたパフォーマンスでも披露すれば、より効果的な時間が稼げるのは言うまでも無かろう…。

オモチャ狩りに勤しむ「銃器対策」の失敗である。本質は銃器では無い。それを手にして犯罪を行う者への接し方の問題である。狙撃や、強行突入だけが事件解決では無いのは勿論だが、躊躇無く銃弾を撃ち込んでくる犯人への接し方を根本から変えていかないと、逆手に取られると言う時代なのである。単なるキチガイヤクザくずれの篭城でなかったら、どうなっていたのか? 北鮮の工作員がウヨウヨいる時代に毅然とした態度も取れず、判断も出来ないのではお粗末過ぎやしないだろうか?

殉職したとは言え、簡単に特殊部隊員の素性がテレビで判ってしまうコトも問題である。人権派を標榜する連中から隊員個人を守るべき手法が取られていたハズでは無かったのか? 凶悪な犯人を射殺すると言う公務でさえ、殺人罪だと訴える連中が実際にいる中で、あまりにもお粗末ではないだろうか?

拳銃がパンパン鳴っているだけならまだマシである。暴力団の隠し持つ銃器類はそれらを軽く凌駕する軍用の自動小銃すら含まれるのが当たり前にもなっている。

時代に則した指揮の取れる治安組織を作るのは、どこの国でもムズカシイのだけれど、「話せばわかる…」なんて時代じゃ少なくともありえないんであるよね…。


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