おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

情報の枯渇に身悶える…。(5月12日分)

2005-05-14 18:19:49 | 我思う、故に書くなりよ。
唐突にネットに繋げられなくなり、ルータやらあれやこれや調べているウチに、ADSLモデムが全く通電していない状態になっている事に気付く。

隣の部屋にモデムは置いてあり、その部屋だけ「停電」って事も無いのだが、一応、別の部屋でも確認すると、やはり通電はしていない。要するに「お亡くなり…」って事である。

こうなると、お手上げ。

ダイアルアップという方法もあるが、モデムなんか取っ払って早ン年。無理すればノートPCなんて物には付いていたりもするが、こういう時に備えてダイアルアップ先の電話番号なんか控えてもいないし、おとなしく修理の電話を掛ける事になるのだが、これだって、ネットで見ないと判らない。

ケータイから調べるって手もあるが、友人にメールして教えて貰う。

教えられた連絡先に電話を掛けると、少々待たされはしたものの、プロバイダーに繋がり、あれやこれや伝えると、交換してくれると言う。レンタルなので、修理代とか気にはなったが、あちらは一切、修理代については何も言わなかったので、こちらから言っても「やぶ蛇」かと思って聞かなかった。

明日か明後日には届く(これは12日に書いている)らしいので、なかなか迅速な対応して頂ける事になったワケで、ネットの無い生活は僅かなモノで済みそうだが、その間にネットでの関係のあるひと達とは「音信不通」になるワケで、もしかしたらご迷惑をかけているのかもしれない。

以前、ケータイ電話が壊れた時も似た様な事になり、数年ぶりに連絡が取れた友人も最近いる。また、自ら命に区切りを付けた時も、同じ様な事になっており、私としては珍しくは無い事なのだが、理由が異なれば不自由さの体感は大きく違う。

まぁ、仕事に使っているワケでは無いので、不自由の度合いを測ってみても、さしたる違いが無い事とは十分に判っているのだが、感情的体感となると似た様なモノでありながら、やっぱり違ってくる。こんな時に大きな事件・事故でも起きれば、情報の枯渇に飢え苦しむ事になる。そうした体になってしまっている事に理解度が少ないんだろうねぇ。

新しいモデムが届けば、苦もなくこうした環境は復活するので、大騒ぎする事も無く我慢していりゃあイイワケなんだけれど、インフラ自体がダメになった場合も、家庭内の状態は同じ。テレビというメディアがあるわけで、非常に限定的な情報の枯渇を味わっているが、そうしたメディアも含めての情報の枯渇が起きた場合、イライラ度はこんなもんじゃ済まないんだろうと…。

そうした精神状態が集団化したりすると、ちょっと怖いねぇ。

大きな地震が確実に予想されている地域に住んでいるので、いつの日かそうした事態に遭遇する事もかなりの確率で予想出来るワケで、プチ予習的な今の状態を深く考えて見るのも悪く無いかと思う。

最悪の場合、端末もダメになるワケで、こうなるとインフラの復活が早くても状態に変わりがない。予備の端末として、普段は使っていないが、いつでも使える状態にしてある端末がある事は◎。それも複数あり、携帯も可能な端末であればもっと◎。

その端末から情報を得るための手段が、複数選択できる環境ならば、余計に◎。例えば、無線LANとか電話回線とか。それらに代わる「携帯電話」が手元にあるならさらに◎。また、ラジオなどの手段の異なる端末が身近に使える状態であれば、ことのほか◎なんである。

情報を得るためだけでなく、コミュニケーションを取るための端末さえ確保できれば、かなり心強い事になるし、容易に身近に備えておけるって事は、それはまさに「携帯電話」に他ならない。そうした事を特別に気に掛けるまでもなく「必需品」とはなっているが、こうした事に対してもさらに便利な方向で機能が充実したり、強化されて行くならば、こんなに良い事はないんだよねぇ。

PCよりも携帯電話か? って言うと、そうでもない具合に機能は進んでいる。それなりの衝撃に耐えるノートPCが広まりつつあるし、バッテリーの持ちも「燃料電池」の実用化で大幅に改善されつつある。それらが広く行き渡り「当たり前」になるにはまだまだ時間は掛かるけれど、そうしたメリットは普段使う時ならず、こうした不測の事態にも大きなメリットを残すに違いないと思われるからだ。

あくまでも、基礎的なインフラが回復しなければこれらは出番が回ってこないけれど、携帯電話よりも多くの情報が得られるPCの方がより心強い端末となるのは間違いないし、普段、普通に使っているモノがそうなるだけで、心情的には大きな違いがあるんだと思う。

残念ながら、その両者を埋める様な端末はなかなか定着しない。私がこよなく愛して使い込んだPDAなんかは、そうした点でもなかなかなモノだと思っているが、既に多くの選択肢は消えてしまい、新しいモノはなかなかお目に掛かるのも難しくなってしまった。既に市場から姿を消してしまったPDAを今でも使っているが、改めて考えると、コイツはなかなか使える。それだけの手段がちゃんと用意されている機種なので、古くなってはいても、最低限の事はしっかりと出来る所が何だか凄い。

また、そうでもないPDAも使える状態にはあるが、肝心なネットに繋げる手段が皆無な状態なので、これは役に立たないだろう。携帯電話がPDCならば何とか手段もあるんだけれど、FOMAだし。

モノに頼らんでも、自分の目と耳と足で手に入れられれば困る事でも無いのだけれど、こうした「情報」の送り手は少なからずデジタルな世界の話なんで、致し方ないって事もある。また、人伝の情報が途中でかなり怪しく変わってしまう事は少人数で伝言ゲームでもしてみれば実感できるワケだし。

でも、最終的にはあるモノをうまく使いこなす「脳みそ」が無事じゃないと、ダメなんだよねぇ…。

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