おじたん。的ぶろぐ生活。

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ポラロイドSX-70 その3だか4だか。

2005-02-18 20:05:04 | ポラロイドーシス。
見つけたのは良いけれど、撮ってみたらしおしお。外見上は何でも無かったが、中身は相当痛んでいたらしく、結局修理に出していたカメラが直ったと連絡があった。来週には手元に届く。

つい先日、メインのデジカメが壊れ、落ち込んでブログもアップしない程の喪失感にいたたまれなくなっていたワケで、しおしおのへたへただった所に朗報である。

朗報ではあるが、デジカメの損失の穴埋めにはならない。どうあがいたって、デジカメに勝るアドバンテージみたいな所はポラロイドには無い。大きく、重く、フィルムも高いし、スキャナで取り込む以外にPCで扱える物では無い。

そういった便利さが全く無いと解っていながらも、そこにある楽しさが実感出来るカメラだって言う所が救いなのかもしれない。修理の人が言うには、私のモデルよりもずっと古いモデルの修理が盛んだと言う。部品が無くて、修理出来ない物もあるそうで、残念だとおっしゃっていた。あまり、形状も機構も変わらないシリーズだと思っていたので、意外だったのだが、外見は変わらなくても中身は微妙に違っていて、素材の強化とか改良が行われているんだそうだ。幸い、私のソナーオートフォーカスは比較的改良の進んだ部類であり、そうそう壊れやすい物でも無いという。

そうは言っても20年も前のモデルである。現行最新機種と比較したら危ういのでは無いかと、尋ねてみたら、意外や意外、そうではないらしい。基本設計にお金がかかっている証拠だと思うが、カメラとしてしっかりと作られた物で、頑丈な部類に収まると言う。だが、機能の回復・維持ってのはなかなか難しいらしい。形だけ元に戻しても修理とは言えず、カメラとしての機能が回復しないと意味は無い。

とは言え、部品すら入手が難しくなっている現状で、最善のコンディションに戻す努力ってのが、言葉に溢れていた。これはもう、何か修理とは別の物を与えて頂いた感じがしてならない。こういった目に見えないサポートがしっかりと残っている製品だった事もうれしいねぇ。

そんな製品が、どんどん消えて行く中での「遊び」や「楽しさ」を、もうじき満喫出来ると思うと、こりゃたまらなくなってくる。単に「レトロ」とか「アンティーク」って物を楽しむだけの物ではない。
うひひ…。帰ってきたらストロボも試してみないと。充電してレディライトは点くのだけれど、発光するんだかしないんだかは、フィルムが無いと判らなかったのである。まぁ、おまけなので、光らなくても良いんだが、光った方が色々と楽しめる事には違いない。単体では光るから補助光でもいいし。

あー。来週はたまらないなー。

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