おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

10年前の記憶。

2005-01-17 22:34:07 | 我思う、故に書くなりよ。
言われれば「あー。そうだったなぁ…」と思うんだが、それが10年前だとキッパリ覚えているワケじゃない。もの凄く「あやふや」。

阪神淡路大震災から10年…。地震があった事は知っていたが、それほどの事では無いと会社に向かったが、会社じゃ大騒ぎだったのを覚えている。が、関東では大した揺れも無かったし、世間では大騒ぎするものの、普通に仕事をしていた。友人・知人が被災者でも無かったし、仕事の関係者が被災したワケでも無かったので、完全に「他人事」。せいぜい、街頭募金で多めに募金した覚えはあるが、そんなもんだ。

同じ年に起きた地下鉄サリン事件はもっと身近な所で起きたので良く覚えている。出勤しようと地下鉄神谷町駅へ降りようと階段を降り始めると、下の方から駅員に怒鳴られた。事故だから戻れって言われたと思う。道路を挟んだ反対側の降り口から担架で運ばれる人がいた。

会社に着いて、昼過ぎだったかなぁ、テレビで毒ガスが撒かれたって事が伝えられ、見た事の無い惨事になっている築地駅周辺を映し出していた。近所に住んでいた後輩はサリン吸って病院へ運ばれたし。当時は麻布台に住んでいたので、危ない所ではあったけれど、神奈川の実家から通っていたら、時間的に丸の内線でアウトだったと思う。

以後、この年はオウム関連事件のラッシュで、幹部がテレビカメラの前で刺殺されたり、教祖逮捕と言うクライマックスもあった。化学防護服を着た警察官の手に、かごに入れられたカナリアがぶら下げられていたのは良く覚えている。

思い出せば、それなりに出ては来るが、それが95年だったのか、93年だったのか、あやふやである。
「1192作ろう鎌倉幕府…」ってワケには行かないのだな、私の脳は。Windows95もこの年だが、95って名前に入っているから95年と判るワケで、うっかりすると気付かないかもしれない。

「あれはそう、1968年の8月の事じゃな…」って言うアメリカ人のおじいさんとかおばあさんがテレビで言ってるのを見て、本当に覚えているのか不思議だった事がある。んで、アメリカに行った時に、友人を介して聞いてもらったら、ほとんどの人が西暦でしっかり覚えている事に驚いた。私なんか2005年が平成何年だか危ないし、95年は平成何年だかさっぱりであるのにだ。

何となく万遍に生きていると、こう言うのは疎くなるのかも知れない。そして、大きな震災などは、当事者に成らない限り、国内であっても「他人事」で済んでしまい、そのまま時間の中に忘れられてしまうものかもしれない。当事者の声が、生で聞ける内に沢山聞いておく事も、他人事で済まさないために必要な事なんだと、またそれが震災に対する備えの1つになるものだと、改めて思いたい。

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