おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

いろいろと揺れる。

2011-02-25 21:54:16 | 我思う、故に書くなりよ。
ニュージーランド…にゃ、知り合いはいなかったかな…。

大震災…になってしまった。

連日、報道されない日は無いので、なるべく見る様にしているが、今までになかった不自然さを感じたり…。

「あれ? 一緒に助かった他の人はどーしちゃってるのさ?」

国内の事じゃないし、どこを誰が旅行する、留学する…なんて情報は、限られた者しか持ち得てもいないので、情報が混沌とする事はやぶさかでも無いんだが、幾人か同時に助かっていると報じられていた割には、ほんの数名しか詳しいことが明らかになってもいないんである。

「いったい、どこで誰が助かって、どうなったの?」

そうした、情報の欠如からくる不自然さが結果として目に見えたのは、4日経った今日のこと。
救助されて無事が確認されていたハズの幾人かの行方が判らず、安否も不明だと報じられたのである…。

「誰がどうなって、大丈夫な人は今どーしてるのやら…」

…判らないんである。おそらく、被災しており、安否が不明…って人は判っても、家族や親族の意向で公表しない…って人もいるみたいなので、それはそれで致し方ないとは思うが、そうした主旨があって報じないのであれば、そうと報じるべきだと思うのだが、それも限られ、ワケが判らなくなる…。

それほどまでに、情報は乏しいのだろうか…?

かなり早い段階から取材陣が現地にいるし、そこで得られた情報がリアルタイムに日本に届いてもいるのだが、中身があまり濃くない。崩れた建物だの、救助活動の様子だのは報じられてはいるものの、助かった人がどうなんだか、どうだったのか? ってのは、ようやくちらほらと…。

無事なら無事で良かった話で済むワケだが、その辺の詳しさが乏しいので、ホントに大丈夫な人なのか、そうでないのか? 判然としづらいんである。助かることと引き替えに、残念にも足を失ってしまった青年の話くらいしか記憶に無い。他にも助かった人がいると報じられてはいるが、どうなんだかさっぱり…。

こんな不可解な…と言うか、じれったくなるのは日航機の墜落事故の時以来だ。

あの時は、墜ちたらしいが、どこに墜ちたのか判らない…って夜を過ごしたのだが、だいたいこの辺に…って場所は想定されたのだが、ここに…って情報はなかなか出て来なかったのである。まぁ、それでも夜が明ければ場所も惨状も判ったもんだけれど、そうしたのとは違う『じれったさ…』でもある。

おそらく、判っているのだろうけれど、伝わってこない『じれったさ…』。

なにか、詳しく報じちゃいけない事でもあるんだろうか…。これもまた「個人情報の…」って事なのか?

間違いなく伝えなくちゃいけない災害、大惨事でもあるのに、どーしたことか…。

惨状を伝えたのは、がれきの下からのケータイだった事は驚きで、そこからの動きが速かったのも功を奏し、その情報が現地へフィードバックされたおかげで助かった命が現実にある。そうしたスピードと相反するような、じれったさ感…。

この感触は、地震以上に不気味なモノに感じられるのである…。

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