おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

パパのパパは永遠なのだ…。

2008-08-03 05:44:17 | 我思う、故に書くなりよ。
おそ松くん・バカボン…「ギャグの神様」赤塚不二夫さん死去(読売新聞) - goo ニュース

昔、編集者と一緒に取材でお邪魔させて頂いた…。

当時はお元気であったが、連載はされていなかったに思う。
本来が何の取材だか記憶がブッ飛ぶほど、記憶に残る取材ではあった…。

約束の時間に伺うと、お付きの人らしい方から…

「赤塚、酔っておりますので、何卒ご勘弁を…」

と言われ、取材できないのか…と思ったのだけれど、そうではなく、取材はして構わないが、本人はべろんべろんなのでご容赦ください…って話だった。

お目に掛かると、確かに飲んでおられた。あぐらをかき、グラスを握ったまま身じろぎもしないので、寝ちゃってるのかと思ったが、起きているとのこと。なんだか、つらそうにも見えた…。お付きの人に取材の意図をお話しし、撮影させて頂く旨をお話し確認すると…

「構いませんが、本来の取材が出来るかどうか…」

「先生、T雑誌社の方が取材でお見えですよ…」

「あれ? …タモリはしょんべん? うんこか…」

前々日の晩、タモリ氏ら…とお飲みになられた様子で、そのまま途中に休憩(?)を入れながらも、ずっと飲んでいるらしい…。

私は随伴兼撮影担当だったので、こうなると、もっぱら傍観者であったのだが事情が事情なので仕方がない。編集者は仕事だもんで、気が気じゃなくなってくる…。そもそも、なかなか取材が取れないので、意気込みは違う。そのギャップがおかしくてねぇ…。

この数年前、猫の取材でお願いした時も都合が合わず(猫様の体調がおもわしくなかった様子…)、お会いできなかったので、私としてはお目にかかれるだけでラッキーだし、目の前にあの、赤塚不二夫がいるのである。

べろんべろんなので、会話よりも沈黙の時間の方が圧倒的に多い…。じっと目を閉じ、つらそうにも見えるのだが、これが普通なのだと聞いた…。こりゃダメだなぁ…と思ったら、先生は突然姿勢を正し、女性編集者を見据えてこう言った…。

「キミ…。…ん…ひくっ…おまんこは好きか?」

…絶句する編集者…。

「そっちのキミ(私のこと)は好きか?」
「ハイ。大好きです!」

途端に先生の顔がニッコリとバカボンのパパになる…。ねじりハチマキや、風にたなびく鼻毛は無くても、そこにいるのは「バカボンのパパ」なのだ。

以後、約束された1時間30分、「おまんこ」の話で盛上がり、我々の取材は玉砕したんである…。帰り際に聞いた話では、前々日の晩からこの話しかしていないのだそうで、まぁこの時に限らず、日常でもあったそうな…。我々より先約の取材者も同様だったそうで、「重ねてご勘弁を…」だったのだ…。しっかりと「依存症」だった事は聞いていたが、この目で確認したワケでもある。

私としては、最高の時間を過ごさせていただいたが、編集者は全く仕事にならなかったので、帰りのタクシーの中、妙な質問に率先して嬉々として答えた私は責められた。そりゃまぁそーだろう。苦労して取れた取材が「おまんこ」じゃ記事も書けまい…。また、写真もろくに撮らず、おまんこ話の火に油を注いだのも間違いなく、そして「しらふ」の私だし…。

だけれど、コイツは全然判っていないんである。赤塚不二夫って人は…

「バカボンのパパのパパ」なのだ。

バカボンのパパだけでも偉大である。その「パパ」に会え、この混沌とした時間から「おまんこ」がなんたるか? を聞けた事は、人生の至福とさえ例えられよう。

「あなた『天才バカボン』を全部読みました? もし読んでいなかったら、全部読むといい。そうしたら、今日の取材が全然無駄じゃ無かった事が判るよ。」

結局、帰りのタクシーを最後に、一切、口をきいてはくれなかったが、その後彼女がバカボンに目を通したかは定かじゃない…。

既にその頃は当のバカボンでさえ伝説化されつつあり、ニャロメさえ影が薄くなっていたと思う。「ギャグの天才」「ナンセンスの奇才」と言われた先生。そんな言葉じゃ尽くせない。

夏休み、TVをつければ「ピュンピュン丸」と「もーれつア太郎」「ひみつのアッコちゃん」の再放送が毎年決まりだった少年時代。見開きで劇画調ドアップのバカボンのパパと対峙するバカボンに「どーしちゃったんだろう?」と子供ながらに心配しつつ、床屋さんで順番を待ってたあの日。社会科の時間、地図に目を血走らせ、早稲田大学の周りにバカダ大学を必死に探したあの日…。

先生から受け取る全てが、日常を遙かに超越したそれは楽しい世界だったんである。
「トイレット博士」「ガキデカ」「マカロニほうれん荘」…数々の伝説が生まれた中に育ってきたが、「天才バカボン」はなによりも王道だったし、揺るがない。

…そして…

「これでいいのだ!」

…なのである。

もう2度と、先生を超える人は現れないだろうと誰もが言う。確かにそう思う。同じ事をやっても、それを許せる時代には既に無い。何か、あの頃、全てをやり尽くしてしまった…と、そんな感じもするんである。投げつけられた強烈なナンセンス、ギャグを誰も打ち返す事なんか出来そうにも思えなかった。無条件に受け入れる他に余地が無く、ただ圧倒され、ただひたすらに降伏するしか無かったんじゃないだろうか。

この時の取材から大分経ち、お体を悪くされた事が報じられた。ああした生活を続けておられたみたいだから、無理も無いと思った。大きな病も報じられたが、その都度体調を戻され、パパは不死身なんだと思っていた。

数年前、家電量販店でひょっこり会った別の編集者から先生の様子を聞く事が出来た。それは、とても悲しい事実で、絶望的な話だった。誰もがパパの奇跡を願う中、あまりにも悲しい現実が確かにあったのだ。

奇跡を願う中、奥様はその様子をブログで伝えておられていたが、その奥様も倒れてしまう。そして、ほどなくパパを迎える旅に出られてしまった…。

「それでいいのか?」

街で見掛けたニャロメの数の多さに、現実を思った。これは『リバイバル』ではない。未だ多くの人の心の中に、ニャロメは生きている。心のボスも、ケムンパスも、ウナギイヌも…。パパのパパの帰りを誰もが待っているのに…。

…バカボンのパパのパパは、長い眠りの末に、ママに会いに出掛けた…。

あの日、べろんべろんに酔っぱらったパパのパパの手は、ふにふにしていてホカホカだった。この手で…と思うと、感激せずにはいられなかった。あの手が、本当に神の手となってしまったのはやはり残念だし、やっぱり悲しい。天国ってズルイと思う。

いつか、むっくりと起き出して、飲み始めるんだろうと、誰もが思っていたそうである。それが、ありえない事だと判っていても、誰もがそう思っていたんである…。

だって、『バカボンのパパのパパ』なんだから…。

きっと今頃、ア太郎の父ちゃんみたいに、アタマの上に輪っか乗っけてふらふらしているに違いない…。

パパのパパは神様になっただけ。取り返しの付かない、取り繕う事の出来ない偉業をマンガの世界、そしてこの馬鹿馬鹿しい社会に残して、神様になっただけ。

そう。永遠なのだ。ゆっくり休んだら、天国でまた、西から上ったお日様を東に沈めちゃうのだ…。そして…それでいいのだ。

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