おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

ランドマーク。

2007-07-24 23:55:48 | 我思う、故に書くなりよ。
久々に、横浜へ『お登りさん』して来た…。

「おい、そんな写真撮るなよぉ…」
「いいんだ、お登りさんしに来たんだから…」

まぁ、下から見上げれば無駄にデカイと思うわけで、実際は小さな都市機能が集約されているんだから、決して無駄じゃあ無かったりする。

それでも、何故だか「無駄にデカイ…」だけの威容を誇っちゃっており、ホントにこのデカさが必要だったのかどうだか…、どーなのよ? えっ? って疑問すら生まれて来るのである。

「近くで見るもんじゃないな…」

ランドマークだから、ランドマークなんであり、遠くからこれが見えて、

「おっ。あの辺が横浜だな…ふむぅ…」

って点において意味が成されるのであったりする。

かつて、東京タワーの根元に近いトコロに住んでいた事もあったのだが、しげしげと見上げても、これほどの威容ってモノはあまり感じなかった。すけすけの鉄骨だからってコトもあるし、本来の目的通りに鉄塔で良かったので、先細りは見事であり、ランドマークタワーと比べれば、気高く華奢…だと思うんである。

ま、いろいろ言った所で、明日あたりから段々と細くなったりもしないものだから、太くてデカイ…のも変わったりはしないのだけれど、あれはあれで、良さそうなトコロもあったりする。

「途中でボッキリ…って感じはしないな…」

どこから観ても、安心感があるから…って威容。ボッカリ穴開いて、どしゃどしゃぁ~って風には見えないのである。

まぁ、ある種、近代建築の技術の粋…ってもんだから、立派ではあるんだが、視界に入ると言う生理的な枠を超越しちゃってる感じもあるんで、ある程度の高さ以上は「無視…」だったりもするんじゃなかろうか。

そうした視点で根元付近を歩いてみると…

「あんまりおもしろいもんじゃねぇな…」

と、痛くアリさんの気持ちが判った感じがしたりもするんである…。

「ああ、オレって、超巨大建築物マニアとかフェチにはなれないな…」

高いだとか、デカイだとか、長いってのは、それはそれなりに価値の集約によるその向上って立派な意味もあるんで、無下におもしろいとか、つまんないってモノでは無いのだけれど、

「あーあ…、どーすんだ、これ?」

って見方を忘れちゃうと、きっと、いつか誰かに怒られそうな気がするのである…。

「いっそのコトさぁ、北海道からも、沖縄からも見える様なランドマークを本州の真ん中辺りに建てちまえばいいのになぁ…」

とか、無謀なコトを考えたりもするんだが、よくよく考えたら、地球に五寸釘打ち込む様な感じも想像したりするので、かなり痛そうだったり…。日本だけじゃなく、各国が始めちゃったら、ウニか、妙なカビの生えたあんこ玉だな…。

地球の自転に影響を与えそうな建物は、やっぱりマズイんだろうなぁ…。地球に優しい高さの限界ってのはエベレストくらいなのかなぁ…。でも、深いところはもっと深そうだしなぁ…。

そんな、ろくでもないことを結構真剣に考えながら、所用を済ませて来たんである。

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長崎大水害。ラジオのちから。

2007-07-24 03:59:10 | 我思う、故に書くなりよ。
25年も経つんだねぇ…。

当時、高校生でね、おじたんは。でまぁ、長崎なんてのは縁も所縁も無かったんでありますが、この災害は忘れられないのですね。

当時は深夜にラジオを欠かさずに聴くのが必須となっておりましてね、

「熱心坊主、木魚乱れうち!(たまきん、おなきん全力投球!)」
「つぎはぎニュース」

なんて、まぁANN(オールナイト・ニッポン)を一通り聴いてから、翌朝学校に向かうのが常であり、聞き漏らすのは『恥』なワケでした。そりゃ、目は真っ赤ですわ。

でまぁ、うろ覚えではありますが、昭和57年7月23日ってのは金曜日だったか、土曜日だったか、定番として聞いている曜日では無かったものの、ながら族の性(さが)とでも言いましょうか、何となくラジオを聴いていたのであります。

すると、大雨のニュースが流れ、長崎、熊本でとんでもない豪雨になっているとか…。

BCLなんて言う趣味のラジオもやってましたので、ベットサイドの安ラジオではなく、SONYのバカデカイラジオに切り替え、NHKを聞き始めたところ、長崎放送局からの真夜中と言うか、早朝と言うのか、実況が始まって、これが次第に『絶叫』に変わって行くのです。(BCLやってたワケですけど、直接長崎の電波を拾ったワケでは無いと思います。)

ラジオなので、聴いている言葉を頼りに「想像」する他に具体的なイメージってモノも無いワケですが、聴いているだけで鳥肌が立つんですな。街がみるみる間に、水に覆われて行く様ってのはなかなか想像し得なかったのですけれど、NHKのアナウンサーが絶叫するってのも滅多に無い事ぐらいは判ってましたので…。

「おお、長崎流れちまうぞ…どーなるんだ長崎っ! 頑張れ長崎!」

ふとんにくるまりながら聴いてましたが、そりゃ寝られませんわな。見知らぬ土地の全然知らないおじさんの絶叫が、定時の番組で途絶えるまで聴き明かしたのです。

日が変わり、TVを見ると、そりゃすげぇ災害なワケで、文化財だった橋も流れちゃうわ、300人近く死んじゃうわ、えらい事だったワケです。

大きな水溜りには不幸にして亡くなった方が浮かんでいたり、沈んでいたり、かなりショッキングな惨状だったことも判りましたが、そうしたコトは含まれていないのですけれど、リアルタイムで惨状へと変化していく様を絶叫にも似た実況で聴いてしまうと、映像で見るよりも強烈な、これは忘れられない思い出になるんですねぇ…。

後に、長崎を訪れた時に、復元された橋とか、街並みを実際に目にするワケですが、あの晩の実況とは大きく違い、穏やかな様子。台風による水害…ってのはままあったのですが、局地的な集中豪雨による大きな災害ってのは、あの頃はあまり無かった様に思います。今じゃ、結構普通に起きたりしてますが…。

そんなこんな災害の、いわゆる「はしり」って感じだったのですかね? まぁ、その日だけ集中豪雨って事ではなく、数日前から雨が降っており、それに輪を掛けて…って事みたいですが…。

遠く、関東に住んでいる人間としても、ひょんな事情で忘れられない災害なのですが、当地の方々も当然、大きな悲しみと共に忘れえない日なのでしょう。心からのお悔やみを…。

大きな災害で、インフラが途絶え、視覚に訴える手段が無くなっても、ラジオ(音)は案外と手段として残ったりします。あの頃のナウなヤングのラジオにかける情熱ってのは、今のヤングじゃすっかりとその熱さを失ってしまった様ですが、そうした手段としてのラジオはまだまだ活躍してもらわねばならないワケです。そうしたメディアを失わないためにも、ヤングが支えて行かなければいけないメディアでもあるし、ヤングの支えを失う様なメディアであっても困るのですな。娯楽ってだけじゃ無い、電波のちから。ネット全盛の時代にあって、アナクロかもしれませんが、案外と大きなちからなのは、25年経っても変わっていないと思うですよ。



Comments (2)
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