おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

予算だけじゃないねぇ…。

2007-07-08 04:31:23 | 我思う、故に書くなりよ。
解剖予算100万未満が25府県、感染症対策へ課題(読売新聞) - goo ニュース

地味だし、面倒だし…ってコトもあって、関係者の数も圧倒的に足らないんだろうな。

基礎を大事にしてこなかった、大きなツケ…でもあるんじゃなかろうかと思ったりする。医師ではあっても、死体しか相手にしない…ってのを希望する人も少ないのだろうけれど、だからと言って希少性があって、その分がサラリーに反映されたりもしていないんだろうなぁ…。

よくよく考えたら、とても大事なところで、これらが疎かにされちゃうと何かと大事に至る…ってものなのだけれど、陽の目が当たる事も稀だし、内容が特殊なだけにビジネスチャンス…ってトコロからは遠く離れていたりする…。

そうした基礎的な医学に特化した医師が全くいないワケでも無いので、こうした人達が思う存分に活躍出来るだけのバックボーンってのは、国が考えなきゃダメだと思うし、予算だけの話に止まらない。古い法律を見直したり、必要な事であるという啓蒙を深めたりして、もっと活発なシステムとなるようにしないと、こうした分野がとてもつもなく後進国となってしまう…。

犯罪だけの問題じゃなく、国民の健康にも及ぶ問題になってしまいつつあるのは、ほとんど知られていなかったりするが、解剖ってのは実はとてつもなく大事な事なんだけどねぇ…。

一般に『解剖』と言えば、そりゃ、おぞましい限りのイメージってコトもあるし、実際にも少なからずそんな感じではある。人体をバラして見てるんだからね…。

また、そうした事が「死者を改めて傷つける…」って感じとかあったりして、極めて忌むべきモノ…イヤなモノ、必要ないモノって感覚が多いのだけれども、そこから得られる多くの情報が生きている者へ必ず生かされるモノなのだから、決して無為な事では無いのであるのよ。

そして、そうした作業が、実は生きている人間にこそ必要な事なのだという意識も希薄だったりするので、そこに携わる人達への理解も、まだまだ全然、全く高まっていない。

現実の『確実な死』と向き合って行かねばならないコトだけれど、そこには生の尊さが必ずあって、人間として見ておかなければならないモノだとも思う。

昨今は命がやたらと軽んじられてしまって、様々な事件・事故が毎日の様に起きているが、こうした基礎的な事柄のうち、生…ってのは喜ばしく迎えられるが、死…ってのは、いつの間にか人の目からヒドク遠く避けられてしまって、その真実のほとんどを出来るだけ見ない様に生きている事が原因なのではないかとも思うのである。死を興味本位でしか垣間見られない人間はやはりおかしいし、そうした現代こそが間違いじゃないか。

ぜひ、その他諸々を整備し直して、解剖先進国になって欲しいと考える。そこから学んで得られるコトは、何かと貴重だし、必ず、明日の日本に役立つ事なんであるのよ。研究目的、死因の解明、いろいろと解剖はあったりするが、どれもこれもが「基礎」であって、すっ飛ばして先に進んでいて良いモノでは決して無いのである。

なんだか、解剖だけに止まらず、いろいろと大事な「基礎」って部分を、ン十年も、かなりすっ飛ばして来ちゃって、トンデモナイ先に進んでしまった日本を象徴している報道なんじゃないかと思う。

本当に大事なコトは、すっ飛ばしちゃイケナイのであるのよね…。そして「杉田玄白」「ターヘル アナトミア」「解体新書」だけ暗記しててもダメって事だ。

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