オレンジな日々

広島在住のシンガーソングライター&ピアニスト
三輪真理(マリ)のブログです。
音楽大好きな日常を綴っています。

Peaceful Wind

2009-09-26 | ほほ笑みと感謝の会(パレスチナ子供支援)

『オリーブ・パンの笛』

「1945年(昭和20年)8月6日。
世界最初の原子爆弾が広島に投下されました。
ちょうどその頃、パレスチナの乾いた大地に、一粒のオリーブの実が落ちました。芽を出し、成長し、大きな木となりました。幸せな時代には、人々は木陰で休み、豊かな実りを受けました。ところが、木のまわりでは紛争がたえずおこりました。
64年がたち、広島は平和都市としての復興発展をとげました。同じ月日をパレスチナで育ったオリーブの木は人間が起こした紛争の犠牲として、64年の時を過ごしたのち倒されてしまいました。

紛争の地パレスチナには、「命の木」と呼ばれる木があります。それはオリーブです。イスラエルにとっても大切な木です。平和のシンボルでもありました。
オリーブは先祖代々から受け継いだ、そう、日本人にとっては「田んぼ」のようなものです。人々はその木を大切に扱い、共に生きてきました。家族の歴史、民衆の歴史を乾いた大地にしっかり根をおろして、何がそこに起こっているかを見つづけてきたのです。
そのオリーブの木が紛争によって倒されています。8メートルの分離壁建設のため、入植道路の拡張のため、人々の分断のため。なぜ「命の木」が倒されねばならないのでしょうか。人間の勝手な思いや争いによって。
私たちはこの倒された「命の木・オリーブ」を広島に運び、その木でパンの笛をつくり、平和コンサートを、広島とパレスチナで行うことを準備をしました。パレスチナのナザレ近郊の村で倒され7ヶ月という長い年月をかけて、人々の協力と祈りによって届いたオリーブの木は広島に届いた時は、木の中心は水分があり、まだ生きていました。
このオリーブの木は広島に住む一人の製作者によってパンの笛となって復活しました。風が吹いてその木にあたるとき、木が語り始めます。紛争によって倒されたオリーブの木は、このヒロシマの風を受けて何を語り始めるでしょうか。あなたはどんな音・言葉をそこから聞くでしょうか。
ヒロシマで生まれた子どもたち、パレスチナで生きていく子どもたち。どちらの命も貴い宝物です。ヒロシマで復活したパンの笛は、来年パレスチナに届けられます。世界中の子供たちが、このパンの笛から「希望」の語りかけが聴けますように。」
(パンフレットより全文掲載)

今日は ほほ笑みと感謝の会がすすめてきた、この『ほほ笑みと感謝の笛の完成感謝パーティー』でした。
製作者の香原さん、にしき堂の大谷社長、広島女学院の黒瀬理事長夫妻、パンフルート奏者の岩田英憲さん、パンの笛親善大使の広島大学の中村先生、立野牧師、橋本会長、といった錚々たる顔ぶれが一同に集い、笛の完成を祝いました。

製作者の香原さんによれば、できたばかりのパンの笛はまだ音が安定していないのだそうです。
これにしっかりと息を吹き込んでいくことによって音がどんどん変化するのだそうです。
まるで生きているみたいですね。
オリーブの笛はまだ不安定ながらやわらかく力強い音でした。

ところで作曲者としてオリーブのパンの笛の曲を作曲することになっていた私。
セプコンがらみの連日の忙しさと、連続2回のライブ、東京への会議出張など、もう、曲作りなんて絶望的な状況でした(涙)。5日前まで。
もう今回だけは間に合わないかもしれないと思いながら、それでも、
「神さま、曲をおろしてください」と無心で祈りました。
奇跡は起こりましたね(笑)。
パンフルートのメロディーがゆっくりと耳の奥に聴こえてきて、それを五線譜に書き取りました。
そして「今からでも間に合いますか?」と橋本会長にお電話しました。

手前味噌のようですが、シンプルながらとても綺麗な曲です。
『Peaceful Wind』(平和の風)

本日は中村先生のパンフルートと初合わせで曲の披露だけさせていただきました。
パレスチナの子供たちの笑顔の写真と一緒に皆さんに聴いていただきました。
まだオリーブのパンの笛では演奏されていないので、この曲がオリーブのパンの笛で演奏されるとき、どんなことを語りかけるのか早く聴いてみたいです。
初披露は・・やっぱり教会ですかね?

これから各地でこのパンの笛のコンサートが開かれると思います。
ぜひ皆さん『Peaceful Wind』聴いてくださいね。