ホルモン屋徒然草~珍しホルブロだ

新米ホルモン屋の親爺の日々。ホルモンのこと、店の出来事、周辺の自然や話題。

電話 雑感

2010-07-29 11:32:31 | 第1紀 生きる
一昨日は8時過ぎまでノーゲスでちょっとあわてた「をかしら屋大通店」。

昨夜は平日の小さな店には珍しく十数名の団体予約。

そして早い時間に満席。

カウンターは3回転(冷麺を食べにきた他県からの高校生もいた)。

予測しない週末以上の混雑ぶりも、夜11時には終り、さてと1日からの「さんさ踊り」出店の仕込みでホルモン6頭分をさばきにかかる。

終りかけ、ほっとしたところに電話。

閉店時間ぎりぎりだから、営業の確認の電話かなと思ったら、意外な人からだった。

最初の会社で仙台に赴き、月に数回通った一番町のスナックのママさんの数十年ぶりの声。

そう、先週末、その会社の仙台支店のOB・OGの集まりがあった。
 (卒業生を大事にする会社なんですよ、うん)

ワタシと相方(うん、その会社が出会いです)は「松園まつり」と日程が重なり出席できなかったのだが、ホテルでの宴のあと、先輩達がそのスナックに寄って、ワタシ達の話題もでたというわけ。

ママさんが電話帳で調べて、この時間に電話してきたのだ。

そのころ、ワタシは二十代はじめから中頃、ママさんはどうだろう、四十まで届かなかったのだろうか?

若いころは年上の人の年齢には無頓着である。

出身が沢内で、同県うまれのワタシを気にかけていてくれていたのかもしれない。

すっかり落ち着いてはいたが懐かしい声、電話の先に、あのドデ~ンとした見事なプロポーションの彼女が浮かび(死語でいうと「デカパイ」でしたね)、少し昔話。

電話の受話器が盛岡と仙台の距離と、何十年かの時の流れをぐっと引き寄せたような感じがしました。


電話・・。

最初に自分で電話を持ったのは大学4年の時。

西新宿4丁目のボロアパートに電話をつけたのは、もちろん就職のためでした。

就職活動に不可欠な電話を手に入れるのは安給料のアルバイトで生計を立てる苦学生には切なかったけど、電話債権をすぐ売りつけてやっと部屋に電話がついた喜びはひとしおでした。

今と違い、携帯電話はなかったし、人づきあいも少ない学生でしたから、電話のベルが鳴るとどきりとしながらも、なにか知れぬ期待感がありました。

トイレで黙考中にベルが鳴ると、とても困ったものです。

そのころの電話は、たぶんすぐその先にあるだろう、明日とか、未来とか、将来とか、夢とかをつなぐ一本の線だったのかもしれません。


そんな、電話の物語。

きっと、アナタもね!!