ホルモン屋徒然草~珍しホルブロだ

新米ホルモン屋の親爺の日々。ホルモンのこと、店の出来事、周辺の自然や話題。

をかしら屋の休日 今日は蕎麦

2007-04-09 14:40:43 | 第1紀 食べる・飲む
月曜日。
をかしら屋の定休日。
さ~てといつもは温泉だが、最近、肌が悪く(ここ何十年かアトピーです)前夜、帰宅後に家風呂で済まし、今日は温泉はお休み。
となれば、喰うしかない。
朝飯抜きで腹すかして、昼食にかける。
むむ、丼物を食いたい。和食でいきたい。蕎麦も食いたい。
で、何年かぶりに宮沢賢治記念館下の「高松庵」へ。
丼はえび天そば定食の半丼三種しかない。とろろ丼を頼んで我慢しようかなと思ったが、店員のおばちゃんの「注文はもういいですか」との人の胃袋を見透かしたようなお言葉に、「先にざるでももらうか。」と軟弱に言い放つ。

(うつろな)記憶の蕎麦の味ではなかったが、蕎麦屋らしい雰囲気にまず満足。
蕎麦は何種類かあるそうです。
名物は暮坪そば。遠野暮坪地区の土にしかできない辛味大根ですね。他の土地(土)では、同じ種を持って行っても、あのするどい辛味はでないそうです。道の駅「風の丘」などで売っていますよね。
帰りは有名な産直「案山子」で大福を。娘はプリン大福ではなくイチゴ大福を選びました。

さて、円熟(黒)を一本飲んで、本読んで寝ますか。




新高校生 新大学生 春

2007-04-09 09:11:12 | 第1紀 生きる
昨晩は、をかしら屋にも、進入高校生や進入大学生が来られました。
皆さん、おめでとう。春ですね。

一言。

高校生と中学生は全然違うよ、という私の経験。

小中学生は、義務教育。誰がみても、「子供」。
ところが、「高校生」は大人なんだな。社会からみれば。
「子供」は、社会・まわりも学校・先生も親からも守られる。みんな、まわりが固い卵の殻のように保護し、見守ってくれる。ちょっとうっとうしいかもしれないが、自分たちが意識しなくてもきちんとまわりが保護し、誘導し、育てようと思っているんだ。

高校生は、違うよ。実質、「大人」ですから。勉強するもしないも、遊ぶも学ぶも、どうしようがまわりは小中学生みたいに関与しない。最近のいやな言葉で言えば全て「自己責任」。それまでは縛りつけられていて不愉快だったかもしれないけど、解き放されたとき残っているのは「自分」。
新入生にそれが一番認識できるのが先生の態度だろう(親はいつでもそこにいる親だから、あなたをどう見ているかの変化は極端に感じられないだろうから)。小中学生までの先生はあなたがどうあれ、クラス全員の子をわが子のようにみていたと思う。高校の先生は、あなたの事を手取り足取り面倒みないよ。あなたがどうあれ、あなた次第で決める事。あなたがどうなるかも、あなた次第。先生は求められれば助言するけど。きちんと距離をおいてみているよ。
どうされるのかではなく、どうするのか。あなた次第。
だから、高校に入って一番感じた事は、先生も大人、上級生も大人、だったな、私には。

新高校生さん。勉強しましょう。本を読みましょう。
遊ぶのは、だまっていても遊びたがるだろうし、大人になっても遊べるだろう。遊ぶ事は人生の一部だから、きにしなくてもついてくるよ。
学ぶのは、今が一番。今の学びの一は百になって帰ってくる。年取ってからの学びの百は、一つぐらいしか身にならない。
好きな事をもっと深くつっこんで学ぶ事、少なくとも自分で選んだはずの教科全てに広く学ぶ事、両方が必要だね。

高校生が「大人」なのは、高校に進む事を選んだのが自分だから。自分の進むべきを自分で判断する事が、大人。だから、高校生は大人なんだ。自分の今ある道は、よく自覚していないかもしれないから、再認識してほしいけど、自分なんだ。どの高校、どの学科、教師の意見を聞き親に相談したろうが、最終的に決めたのはあなたなのだから。

PS:(ぼやっとしていると、取り残されるよ。まわりにも、自分自身にも。ちなみに、私は高校生のときも大学生のときも、ぼけ~っとしていて、完全に取り残されてしまいました。入るのが目的ではないのに、なにか安心していたのか。いや、きちんと目的・進むべき道を考えていなかったのか。はたまた、子供の意識が抜けなくて、自分で決める事より流される方が楽だったのか。・・両方でしたね。)