もう芍薬の花が!
庭先に咲き始めています。
今朝気が付きました❗
肥料をやらなかったのでしょう、きっと。
花が小さいです。
もう芍薬の花が!
庭先に咲き始めています。
今朝気が付きました❗
肥料をやらなかったのでしょう、きっと。
花が小さいです。
曇って来た。やや気温も下がっているようだ。寒い。ジャンパーを着込む。雨になるのかな。雨になれば、畑には出られなくなる。困る。
朝ご飯を終えた後は、またまた昨日摘んできたヨモギを、丁寧に揃える作業をして過ごした。1時間半じっと座ってこの作業をした。ずっと同じ姿勢をしていたせいで、足が凝固してしまった。
終わった。後は何回も洗って、それを重曹を入れた熱湯に注いでアクを抜く。そして深緑の大玉を作る。水気を絞って乾かして、冷凍保存する。
緑の大玉は幾つもできたので、欲しい方にはお譲りをしようと思う。好き嫌いがあるから、あげたら万人に喜ばれる、というものでもない。
作業着に着替えた。外に出よう。枝豆にする黒豆の種も2袋買ってきている。これを蒔く段取りに入ろうか。時間はすぐに過ぎて行ってしまう。
己はいま生きている。
でも、いつまでもこの状態が継続維持されるわけではない。
そう、終わりが来る。
だから、終わりが来ないうちが価値を持つ。
大切にしたい、だから。生きている今を大切にしたい。
息を吸ってみる。深く吸ってみる。おいしいと思ってみる。
おいしがってみる。
そうしないと損だ。もったいない。
死んでしまったら息を吸うことはできないのだから。
息を吸うこと以外も、もちろん、できなくなる。
桜の花を愛でることもできなくなる。桜が咲いていても。
春の小鳥たちのさえずりを聞くこともできなくなる。
いずれその時が来れば、できなくなることばかりになる。
それがいまはできる。しようと思えばできる。できないこともあるが、できることもある。
すっかり老いたので、終わりのときが迫ってきている。
迫ってきているから、しかし、大切に思えるようにもなってきている。
ときそのものが、愛おしく感じられている。
uuuuuunn
焦るなあ。
日に日にあたたかくなる。
夏野菜の植え付けを急がなければならない。
まずは畑を選ばなければならない。植物は連作を嫌うからだ。
去年何処に何を植え付けていたのか。それを思い出さねばならないが、なかなかそれが思い通りに行かない。思い出せない。
苗物は買って来てある、すでに。或いは蒔いた種が生長して来て、植え替えを待っている。
急げ急げ。
今日お天気が良ければ、植え付けをスタートしよう。
老爺だから、ゆっくりしかできない。そろそろしかできない。
何日もかかるだろう、この分では。
ま、いいか。それをそれなりに楽しめばいいのだから。
そうなんだ、究極は、我が心の問題。
それをそれとして楽しむには?
こころの姿勢が決めてくれる。
脊振山の山麓までの県道沿いには、いま石楠花の花が盛りだ。並木として植えてある。年月を経て、こんもりとしている。
ヨモギ摘みの帰りに足を延ばした。堪能した。
腕白広場にも石楠花の花の丘があった。円形広場を八重桜が囲んでいた。
そよ風館内で、煮込んだ筍と蕨を買った。柚胡椒の一瓶も買った。
ヨモギを摘みに行って来た。山々を巡る林道には若々しいヨモギが勢いよく群生していた。鋸鎌で、根元から切り取って、大きめの段ボール箱に詰めた。箱はすぐに一杯になった。
弁当屋さんで日替わり弁当を買って行った。途中の林道でシートを広げて食べた。春の鳥が移り変わり飛んで来て、賑わわせてくれた。野いちごの白い花があちこちに咲いていた。
帰宅後、2時間かかって、摘んできたヨモギを、さらに揃える作業に入った。重曹で炊き込んだ。春が匂った。ヨモギの大玉を幾つも作った。冷凍保存をしておけば、次の正月の蓬餅が作られる。