唯願わくば天人尊よ。無上の法輪を転じ、大法の鼓を撃ち、大法の螺を吹き、普く大法の雨を降らして、無量の衆生を度したまえ。
法華経化城喩品第七より
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唯(ただ)願わくば、世尊よ、どうぞわたしたちに仏の法をお説き下さい。仏法の太鼓を高らかに撃ち鳴らし、仏法の法螺貝を高らかに吹き鳴らして下さい。すべての衆生に仏法という雨を降らして下さい。そしてみんなに仏の悟りを開かせて下さい。
と、梵天王たちが口々に仏陀にお願いを申し上げた。
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「天人尊」:天界の人も人間界の人も等しく尊敬申し上げる方、すなわち仏陀・世尊を指す。
「法輪を転じる」:仏陀は悟りを開かれたが、これを衆生に説くことを躊躇っておられた。衆生が仏法を聞いたとしても理解不能だろう、という躊躇いがあったのである。しかし多くの勧請を受けられて、一大決心をなさって、法を説き始められた。大きな車輪を回すかの如くに。これを「転法輪(てんぽうりん)」という。これがなかったら、覚られた悟りはひとり仏陀のみの悟りになるしかなかったのである。
「大法螺(おおぼら)を吹く」の語源が此処に見いだされる。法螺貝は山伏の修験者が吹いている大きな法の貝殻である。大法を説かれる前触れに、この貝が使われていたのだろうか。
「法螺(ほら)」は、「仏陀の説法をする道具の貝」のことだったが、現在では「大言壮語、もしくは虚言」の義に用いられているフシがある。「法螺吹き」は「嘘つき」の代名詞になっているようだが、語源を辿れば、まったく逆の意味であった。
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梵天王たちは「度無量衆生」を仏陀に懇願したのであった。苦海に惑溺している数限りない衆生に仏陀の悟りの法を説き聞かせてお救い下さい、と。
仏陀は転法輪を決意された。この決意があったので大法(仏陀の悟りの内容)がわたしたちにも届けられてきたのである。
「梵天勧請(ぼんてんかんじょう)」がなければ、仏陀の教えはわたしたちの耳には聞こえてこなかったはずである。
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