<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

もっと推敲をして工夫を重ねるべきだったのである

2019年05月20日 11時27分05秒 | Weblog

コンビニにN新聞を買いに行った。150円。そこに詩の作品を投稿していた。「春の大空」という作品を。今日は第三月曜日。掲載日かも知れないので、出掛けて行った。ちょっとは期待を込めながら。でも、やっぱり裏切られた。もう何ヶ月も佳作止まりである。住所と名前とタイトルのみが載っている。うん、正直なところ、少々気落ちしている。入選は1作品のみ。入選しなかったのはそのレベルに達していなかったためであろう。もっともっと工夫すべきだったのである。気落ちせずに、次の月に応募する作品を書こうじゃないか。

 

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天候異変 午前中だけでも 様々に変わる

2019年05月20日 09時21分41秒 | Weblog

ふっ。風が出てきた。ベランダに干してある洗濯物が大騒ぎをしている。日が射したり、いきなり雨を寄こしてきたり、こどもの風をお遣いに出して来たり、めまぐるしい。日が射しているときにしばらく外に出ていた。蔓有り隠元豆が、ほどよい少年になったので、畑に移植した。蔓が巻き付いていいところへ。じわじわ暑くなって、汗を背中に催して、継続不可能と判断して、家の中に引っ込んだ。すると、今度は日が翳った。それから突風が吹いた。

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おれは こんないいところで暮らしていたんだなあ

2019年05月20日 08時49分25秒 | Weblog

いい空だなあ。青々としている。遠くまでそれがずっと広がっている。いい大地だなあ。新緑の山が遠くまでずっと広がっている。みずみずしい生命の木々が盛り上がっている。おれは、こんなところで暮らしていたんだなあ。

だったら、ぶつくさ文句を言っちゃいけないなあ。たかだかおれの不平不満くらいのことで、いい空といい大地を汚しちゃいけないなあ。もっとも、空も大地もそれくらいのことでは、ビクともするまいが。

おれは、こんないいところには不似合いなんじゃないのかなあ。いい人間じゃないんだしなあ。いい空だなあと空を賛美する。いい山だなあと山を賛美する。そうやって周りを賛美してだけいればいいだろうに、おれはそこに野暮ったいおれを介入させて来る。

 

 

 

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お皿に載せてお供えをして 感謝の意を表明してから それから

2019年05月20日 08時36分37秒 | Weblog

ピーマンを今夏初収獲しました。まだ少女少女しているのに、けなげです。でも、初生りは、小さいうちに早く収獲してあげないと、本体が体力消耗をしてしまう、そんなふうにも言われます。お皿に載せて仏檀にお供えしました。初物はすべてこうです。お供えをして感謝の意を表現してから、引いて来て、食卓に列びます。一個だけです、もいだのは。白い小さな花をいっぱいつけています。ピーマン苗は数株しか有りません。子だくさんのピーマンは、房なりして毎年食べきれないのです。

 

 

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わたしであって わたしではなく わたしではなくて わたしである胃袋様

2019年05月20日 07時44分20秒 | Weblog

ああ、腹が減った。ともかく胃袋殿を満たしてあげよう。それがいい。胃袋殿は、わたしの体内にあって、わたしの生命維持に努力してくれているが、といっても、「わたしのもの」でもないらしい。好きには出来ない。我慢しろといって我慢してくれるわけでもない。腹が減ったら、「減った」と言う。喰わしてあげると黙る。ま、わたしという生命体の健康維持に大いに貢献していてくれるのだから、「様」をつける値打ちは具えている。体の中心にある消化器官は、しかし、そこは「体外」扱いらしい。異物の侵入通路でもあるかららしい。

わたしであってわたしではなく、わたしではなくてわたしであるところの不思議窮まる胃袋様、これからもどうかよろしくお取りはからいをお願い申し上げます。

 

 

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あんな気品が出せるわけじゃない あんな上等の風情を着せてやれるものじゃない

2019年05月20日 07時39分43秒 | Weblog

便所の本棚の小さな棚に、花瓶があって、そこにいまはツリガネソウが生けてある。言葉ではなんとも補足できえないほどの色合いだ。薄青、薄紫の半分半分か。「ああきれいだきれいだ」を何度もつぶやく。クレヨン水彩でスケッチしたいが、したところで、どうにもなるまい。そう思って諦める。あんないい色合いがだせるものじゃない。あんな気品が出せるものじゃない。あんな風情を着せてやれるものじゃない。手を出せない。犯しがたいのだ。それで「ああきれいだきれいだ」を呟くばかり。

ツリガネソウが庭先に咲いている。純白のツリガネソウも咲いている。4種類の色の苗を植えておいたのだが、2株は、咲き出す直前に、シンクイムシなる虫に根元の茎を食い破られてしまった。

 

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腹の底に傲慢の「吾我」という怪獣を飼っている 毎日の餌遣りが一苦労

2019年05月20日 07時30分57秒 | Weblog

傲慢好きの「おれ」という怪獣を腹の底に飼っているので、毎日の餌遣りが一苦労だ。なにしろ、傲慢。威張り散らす。腹一杯になるまでご馳走を喰わせろと怒鳴る。オレサマあってのお前だろう、とも言う。怒鳴らないときには拗ねている。じめじめして泣いている。あの手この手を使う。一々構ってやらねばならぬ。これが一生なのだ。たいがいぶんで、御免蒙りたくなる。

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この夏初めて 庭先に 透かし百合が咲いた

2019年05月20日 07時28分40秒 | Weblog

昨日初めて、庭先に、この夏はじめて透かし百合が咲いた。赤と黄色の中間くらいの色の。草丈も小さい。はっとするくらい綺麗。百合は、花の先端を黒々ぶよぶよとしたヤトウムシ(夜盗虫?)が喰ってしまう。殺虫剤を噴霧して回るのだが、洩れることもある。喰われなくてすんだ百合なのだろう。「花を咲かせるまでになって、よかったねえ」と声を掛けてやりたくなる。

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思量をするだけ、それだけ傲慢の度を深めて行く 私の場合は

2019年05月20日 07時18分11秒 | Weblog

本来、非思量底。わたしが考えたから、清々しい朝の空気が喉元へ流れて来た訳ではあるまい。わたしがそうせよと命令を下したからでもあるまい。すぐに傲慢になる。「おれがした。おれがした」になる。「おれが命令を下したからそうなったのだ」と鼻息を熱くする。わたしが思量をすればするだけ、わたしは傲慢の度を深めて行く。わたしの傲慢を横目に見て、大空は悠々として大空を広げている。

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わたしが思量しても 思量しなくても 清々しい朝は清々しい

2019年05月20日 07時15分46秒 | Weblog

「離吾我名利」。ふっとこの句に行き着いた。道元禅師のことばである。「おれだおれだ、それはおれがした、どうだ、凄いだろう、そのおれ様をよっく見よ」と吾も我も声高に言う。言わないときは沈潜して思いを増殖して掛かる。「そこを離れていると、清々しいよ」と禅師は言っておられるのだろう。思量してもしなくても、本来、非思量底だと。

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