<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

今日は端午の節句 あやめの節句 お天気がいいぞ

2019年05月04日 16時14分20秒 | Weblog

おはようございます。今日はオーソドックスな挨拶をいたします。5月5日になっています。こどもの日ですね。端午の節句。「端」は「初め」の意。「午」は「5」と音通して、5月5日を指す。古来、邪気を払うために、菖蒲や蓬を軒に挿した。粽(ちまき)や柏餅を食べる風習がある。「菖蒲」は「尚武」に通じて、近世以降男子の節句となったらしい。甲冑、武者人形などを飾り、幟旗や鯉幟を空に泳がせ男子の成長を祝う。「あやめの節句」とも言う。以上、電子辞書を調べた。いやいや、わたしも日本人なのだが、知らないことが多い。

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秋桜の苗を 移植した まだほんの小さい苗を

2019年05月04日 16時11分06秒 | Weblog

今日は午前中に、種から蒔いたコスモスの苗を、種蒔き用ポットから、花壇に移した。まだ苗がちっちゃい。早咲きコスモスだ。それから平莢の白実隠元豆の種蒔きをした。これは細型のプランター8個に。有機培養土を加えて掻き混ぜて。老人はこんなことをして日を過ごす。独りでぽつんぽつん。

それだけの作業で汗を掻いた。下着をみんな着替えた。

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老人は日照りに耐えきれないで、日中はずっと休憩

2019年05月04日 15時57分31秒 | Weblog

さ、そろそろ外に出て行くか。日中は夏そのもので、暑かった。老人は日照りが耐えきれなかった。それで休憩した。しばらく寝椅子に寝てお昼寝をした。もう日射しが随分とやわらかくなった。里芋の植え付けを続けよう。畑の畝に埋めて行こう。

5月の初めでもうこんなに暑い。夏になればいったいどうなるのだろう。耐えられるだろうか。心配になってきた。

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だよなあ 仏さまは慈悲の仏さま やさしいよなあ

2019年05月04日 12時20分29秒 | Weblog

だよなあ。仏さまは、やさしいよなあ。一番辛い人、苦しんでいる人を、優先して救い出されるはずだよなあ。仏教に馴染んだ人は、自立の人だから、後でもいいよなあ。すでに助かっているのだから。助かっていない人のとところへ急がれるよなあ。そして手に抱いて掬い上げられるだろうなあ。此の人はこれで一番ほっとするだろうなあ。助けられたことをよろこぶだろうなあ。悪人、悪の思い、悪の行為など悪にがんじがらめにされている人が一番苦しいはずだから。よかったなあ。さすが仏さま、それでこそ仏さまなんだよね。慈悲とはそういうものなんだろう。一番助かるはずのない者が助かっていく。人間の判断基準ではこうはいかない。わたしを善人としている。だから、助かってみたいなどとは考えていない。ものの見方がいつも間違っている。偽っている。善人と偽っている。ぶりっこしている。でも、それは偽り。偽善と偽悪。まあそれはどうでもいいけど、仏さまは苦しんだ者にこそ慈悲をもっとも深くされる。ほろほろと熱い涙を流して下さる。

 

 

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南瓜にはできるが 人間には この技は使えない

2019年05月04日 12時17分51秒 | Weblog

昨年食べておいしかった南瓜の、種を保存していたので、これを種蒔きしたというわけ。でも、南瓜は種が多い。したがって、苗も多くなってしまった。人様に差し上げているのだが、広い畑を持っていない人はお断りになる。余って余って余っている。<おいのちさま>だから枯らしてしまうわけにもいかない。

南瓜の種は一年死んだ振りをしていることが出来る。凄い能力だ。からからに乾いているのに死んでいない。死んだ振りをして平気でいる。人間にはこの技は使えない。

 

 

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ラグビーボールの形をした南瓜を 6株 畑に植え終わる

2019年05月04日 11時55分28秒 | Weblog

種から蒔いた南瓜苗がすくすく伸びていたので、移植することにした。ラグビーボールの形をした南瓜だ。小さなポットの底の穴から、根がするすると下りて来て、土に潜り込んでいる。それを持ち上がると折角の根が切れてしまうので、移植はできるだけ早い方がいい。畑に6株を植え終わった。南瓜は蔓を伸ばすので間隔を広くとっておかねばならない。成長が早くなった頃に、その蔓の先端を何度も抓んで切っておくといいらしいが。

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山里には ウグイスの美しい鳴き声が谺している

2019年05月04日 11時51分32秒 | Weblog

此処山里はウグイスが鳴いている。鳴き声ももうずいぶんと熟達して上手になっている。美しい鳴き声が谺している。ときおり、わたしも挨拶を返してやる。ウグイス言葉で。鳴き真似をして。周囲の山々の、落葉樹林の新緑が眼に鮮やかだ。椎の木がまっしろに花を着けている。山が膨れ上がっているようにも見える。

午前4時に起床したから、今になって眠くなって来たぞ。どうしよう。

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長い連休 みなさんは どうしておられるのだろう?

2019年05月04日 11時48分57秒 | Weblog

「ちわあ」を言える相手は、しかし、少ない。わたしの場合は。親密な人が少ないから。山に行って、上り下りの擦れ違う人に、気さくに「ちわあ」と言って「ちわあ」と応えてくれると、交流が出来たようで、そこに不思議な親密さが生まれるような気もする。狭い山道で互いに黙ってると、互いを無視したようで、気が晴れない。挨拶は、互いの気を晴らしてくれるのに役立つ。

読者の皆さん、ちわあ。連休もそろそろ明ける。まだあと明日、明後日まであるかな。皆さんは何をしておられるのだろう。

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親しみを込めて 「ちわあ」 の挨拶

2019年05月04日 07時04分33秒 | Weblog

ちはあ。「こん」と「に」を省略。その代わりに、「は」を「はあ」長音とした。若者言葉かな、これは? 「でございます」は朝の挨拶の時だけで、昼も夜も短くしてある。是には何か理由があるのだろうか。NHKの看板娘のチコちゃんなら知っているだろうか。「こんにちわでございます」「こんばんわでございます」といったらみなさん面食らってしまわれるだろう。

天気がよすぎ。外に出て日に照らされ続けていると暑い。で、10時半には午前中の分の野良仕事は中止した。

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わたしは母の卵子であった 父の精子であった

2019年05月04日 06時58分03秒 | Weblog

わたしは母の卵子であった。だからわたしは母の分身である。母その人の変形バージョンである。父の精子でもあった。だからわたしは父の忘れ形見である。父の命を継いだ者である。わたしは母であり父である。両者を兼ね備えた者である。ではわたしは、いつからわたしとなったのだろう。どの部分がわたし特有なんだろう。1+1=1。その答の1はあたらしい1であるのか、古い1であるのか。遺伝子二つの混合体は、新しい遺伝子というべきか。

何年が経過しても、母がわたしを去って行くことはない。父がわたしを去って行くこともない。生とは、いわば、三者合同体なのか。父が恋しい。母が恋しい。

 

 

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