<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

これから 種から育てた韓国南瓜の苗を 裏の畑に植えよう

2019年05月26日 16時12分37秒 | Weblog

さ、もういいだろう。手ぐすねを引いていたが、此処までが限界。外に出よう。種から育てた韓国南瓜の苗を裏の畑の一隅に植え付けよう。韓国南瓜は別名「よくなる南瓜」。「よくなる」といっても大量に収獲が見込めるという訳でもない。糸瓜型の実がなる。よくまあこんなヘンなのができたなあ、というところだ。ズッキーニに似ている。それより大きめ。味はおいしい。秋口までなる。読者諸氏も試食してみませんか。

南瓜の苗は、虫に好かれる。いろんな虫が寄りついている。汁を吸い取っている。この虫は殺虫剤くらいでは死なない。困ったものだ。箸で掴み取って足で踏みつぶすしかない。中には小さすぎて箸に掴めないのもいる。もちろん殺虫剤は撒いておく。

 

 

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ふふふ 笑っちゃおう

2019年05月26日 16時01分26秒 | Weblog

ふふふ アレキサンダー大王も一 滴の雨をも降らせることが出来なかった

ふふふ 秦の始皇帝も 一滴の雨をも降らせることが出来なかった

ふふふ フビライ・ハーンも 一滴の雨をも降らせることが出来なかった

ふふふ 栄華を誇ったソロモンの王も 一滴の雨をも降らせることは出来なかった

ふふふ 笑っちゃおう

ふふふ 一滴の雨をも降らせることが出来なかった非英雄たちが

ふふふ おれは世界の頂点に立ったと豪語していたのだ

 

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もしかしたら わたしの本体はH²Oかもしれない 

2019年05月26日 15時44分35秒 | Weblog

水は冷やされて氷になる。これは水の固体。水はあたためられて解け出す。湧いて流れる水になる。これは液体。水は熱せられて蒸発して霧となる。霧は集まって雲となって空を流れる。これは水の気体。どれもしかし等しくH²Oである。形状体を変容させながら動き回る。地球の隅々にまで行き渡る。いかなる生物、生命体もこれを摂取しないではいられない。形状を変化させているけれども、けっしてなくならない。固体液体気体の総和は等しい。

もしかしたら、わたしの本体は水かもしれない。暫くの間、水が気紛れにわたしになっているのかもしれない。ちょいと気紛れ心を起こしてキャベツになったりトマトになったり西瓜になったりしているのかもしれない。

 

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スチーブ・ジョブズも これを成し遂げられなかった

2019年05月26日 15時33分43秒 | Weblog

分明文化がこれだけ発達しても、雨を降らせることは出来ない。科学万能というけれど万能薬でもないらしい。降り出した大雨を止めることもできない。時流に乗ってもてはやされる有名人、時代の寵児たちにも、雨を制御することは出来ない。龍神様の活躍を頼むことになる。天の気・地の気は、現代になっても、ひたすら畏れ多いことなのだ。

もしも、雨を降らせる技術が考案されたら、世界の砂漠地帯にどどどど~~んと大量の雨を降らせて、緑地帯に蘇らせてほしいものだ。人智を越えるはずのAIは、此の雨降らせ技術を発明できるだろうか。スチーブ・ジョブズもこれをなし得なかった。龍を超えられなかったのだ。

 

 

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龍は 上野動物園に行っても お目にかかれない

2019年05月26日 15時30分42秒 | Weblog

龍は想像上の動物。上野動物園に行ってもお目にはかかれない。でも、人気は抜群だ。寺院の本堂の天井を仰げば、たいていはそこで玉を握る双龍が大空を駈けている。仏教の守護神なのである。法華経のダイバダッタ品にも8歳の龍女が登場してくる。そしてはやばやと悟りを開いて、成仏を果たしてしまう。青龍は古墳の中にも描かれている。何だか分け知らずパワフルな存在なのである。

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どうにもならないか う~~~ん

2019年05月26日 15時03分47秒 | Weblog

大地に御湿り(これは女房詞)が欲しい。雨よ降ってくれ、雨よ降ってくれ。龍神様、雨を降らしてください。畑の野菜たちの喉がからからに渇いています。龍神様の真言マントラは、「オン メイギャ シャニエイ ソヴァーファー」何度か唱えてみる。ウルトラ俗物のこの老爺が唱えても、どうにもならないか。う~~~ん。

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一人に成った時に それでもその歌が 胸を打つかどうか

2019年05月26日 14時58分58秒 | Weblog

その美しい真間娘子の、悲しい結末の、墓所を、はるばるわたしは尋ねて来た。しっかり見届けたので、この旅を終えたら人にもこのことを語り聞かせてあげるとしよう。若くして死を選び取った純潔貞節な娘の、菩提が弔われるように。

背景にある事件を読み取らなければ、真意が汲み取れない。この作品の前に長歌がある。その後の反歌であるから、やっとそこで推して知ることができる。だから、わたしにとっては、万葉集を味わうにはどうしても解説本が必須である。で、一人に成った時に、それでも、その歌が胸を打つかどうか。

30回噛んで食べると、唾液の効果も加わって、舌上の料理はしだいに甘くなる。おいしくなる。30回ですまないなら、40回50回。

 

 

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万葉集 山部赤人の 挽歌の作品を 読んでいる

2019年05月26日 14時33分22秒 | Weblog

万葉集を開いている。山部赤人のこの挽歌の作品を読む。

われも見つ人にも告げむ葛飾の真間の手児名が奥津城処       山部赤人 万葉集巻の三

遠く葛飾に旅をして、真間娘子(ままのおとめ)の墓を尋ね歩き、そこで感懐を述べた歌である。葛飾は下総の国の郡名。隅田川より東一帯を指す。手児名(てこな)は処女(おとめ)。「な」は親しみを表す。手塩にかけて大事に育てた娘を思わせる。この真間の娘子はあまりにも美しい娘だったので多くの男性から求婚されたが、悲しいことにとうとう入水を計ってしまった。そういう語り伝えが残っていたのだろうか。奥津城処(おくつきどころ)は墓所。

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ズッキーニの大きな葉っぱがくたりとなって垂れている 暑い

2019年05月26日 11時19分36秒 | Weblog

室内で30℃。室外で34℃。5月末でこの気温。外に出て働いておられる人は、どんないか暑いだろう。老爺は室内に籠もって暑さを凌いでいる。ズッキーニの大きな葉っぱが、くったりなっている。これだけの広い面積に太陽を集めていたのでは、そうなるだろう。いま午後2時半を回ったところ。日が落ちるまでにはまだ5時間近くもある。忍耐が維持できるか、心配になってくる。さいわい、風が起こっている。それがときおりそよろと吹いて、葉っぱを揺らす。風よもっと涼しく吹き渡れ。

 

 

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直射日光を避ける帽子でも 被せてあげたいくらい 野菜たちに

2019年05月26日 11時12分41秒 | Weblog

昨年、里芋なんかは夏の暑さに耐えきず、枯れてしまったのもありました。耐えきったのも、次の子育てを諦めるしかなかったようです。水遣りを数度したのですが、収獲がほとんでありませんでした。直射日光を避ける帽子でも、傘でも、被せてあげたいくらいです。山に生えている木々は、しかし、畑の野菜たちよりは、うんと頑丈そうです。深く深く根を大地に下ろしているからでしょうね。

昨日5月25日も、昼間に計ったときには、外の気温は32度まで上がっていました。今日は昨日よりももう一段ヒートアップするのだそうです。

 

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