<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

おはよよ ございます 「よよ」は よよよっ 歓喜の雄叫び

2019年05月03日 09時52分18秒 | Weblog

おはよよございます。「おはよう」のところを「おひよよ」としてみました。ひょうげてみました。「ひょうげて」は、方言で「おどけて」の意味です。案外標準語なのかも知れません。「ひょうげもん」なんていいませんかね。人を面白く笑わせるような人のことを。「よよ」は「よよっ」とすると、何かに驚いたとき、或いは事改まったとき、感動を新たにしたときなどに放つ間投詞、ですよね。使いません? 今日も何かいいこと、楽しいことがありますように! 

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一昼夜で 八万四千の 説法を 聞いている のだが

2019年05月03日 09時48分07秒 | Weblog

一昼夜のうちに、人は悟道の人仏陀世尊の、八万四千の説法偈を聞いている。そういうことになる。毎日毎日聞いていれば、もうどれだけ沢山の経典を聞いたことになるか。一年経てば悟道の域に達しそうだが、わたしは無情なのだろう、それだけ多くの説法を聞いたようには見えない。いまも変わらず暗愚のままである。

大自然の中にいるだけで仏弟子なのである。仏陀と会っているのである。説法の声を聞いているのである。人はみな尊い。

(「偈(げ)」は音韻を具えた説法の詩句のこと。経典の中では大事なところを偈にして繰り返す)

 

 

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耳を澄ませば 聞こえて来るはずなのだ

2019年05月03日 09時46分56秒 | Weblog

広長舌は、仏陀世尊が説法をされるときのスタイルである。思い切り長く広い舌をべろりと出して、三世の十方世界に、この宇宙中に声を響かせて説法をされるのである。八万四千の経典に書かれている説法のことばを、大自然が音声にしているというのである。耳を澄ませば説法の声が聞こえてくるはずなのだが、無情の人間には、これが聞こえて来ない。

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無情説法 こころのないものでも 法を説いているか 説いている

2019年05月03日 09時45分18秒 | Weblog

禅堂にあって「無情も説法す」という公案をいただいた蘇東坡は、これをその後、上の詩偈にして表現した。無情とは、「こころなきもの」の義。山川草木のことである。説法は、法を説くこと。悟道して法を説いたのは仏陀世尊であったが、山川草木の自然界もまた法(此の世の真理)を説いているというのである。ということは? 山川草木も又みなながら悟道をしているということでもある。

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渓声 谷も響きは すなわち 仏陀の説法の 声

2019年05月03日 09時35分29秒 | Weblog

渓谷に水の流れる音が、まるで仏陀の説法をするときの広長舌のような声になって、響いて来る。見上げれば、広がる青い山々の姿が、仏陀その人の清浄身に見えて来る。こうして一晩の内に、この大自然会の懐の中で、わたしは仏陀の説かれた経典の八万四千の詩偈を聞くことが出来た。いつの日にかこれを、己だけの胸の内に収めていないで、人様にも語っておきたいものだ。

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谷水は 常に説法をしている 谷水を流す山々は 仏陀

2019年05月03日 08時59分56秒 | Weblog

 渓声便是広長舌 山色豈非清浄身 夜来八万四千偈 他日如何人挙似   中国宋の時代の詩人蘇東坡の詩より

渓声は便(すなわ)ち是 広長舌にして 山色は 豈(あに)清浄身にあらざらんや 夜来 八万四千の偈 他日 如何が 人に挙似(こじ)せん

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一仕事終わり ついで二仕事も終わり 好調

2019年05月03日 08時53分17秒 | Weblog

午前7時、野良着に着替えて玄関を出た。タオルでほっかむりをする。焼却炉で、先日友人が倒してくれた畑の隅の柿の木を、燃やした。細かく切っておいたので燃やしやすかった。30分かかってみな燃え尽きた。一仕事終わり。その後、プランターで育てている韮(にら)を庖丁でざくっざくっと、摘んだ。二仕事終わり。韮は見事に成長していた。揃えていて捨てるところがない。朝ご飯の味噌汁の具材に、収穫したばかりの玉葱と一緒に、使ってもらった。韮の匂いが鼻先に匂った。

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いい天気だぞ 光の百万両を ただで頂きっ!

2019年05月03日 06時25分17秒 | Weblog

わああ、いい天気だぞお。光の空の百万両! ただでいただきっ! 空から降ってくる光を浴びているだけで、何だか凄く儲けたって気がする。人間の住む世界は金勘定の世界ではないということを証明して見せている。東からぐいぐい上がって来た太陽が、歩いて行く庭先を輝かせている。草木の新緑がますます新緑の色合いを増す。そこを歩いて行けばその色に全身が染まってしまいそうにすら思えて来る。

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どんな生き方をしてもいい という自由

2019年05月03日 05時55分23秒 | Weblog

どんな生き方をしてもいい、という自由がいつも付随している。こうでなければならないなんてふうに、固定されていない。繋がれていない。すると、僕はきまって独りで遊んでいる。のらりくらりして。場所は畑。ここにいろんな種類の野菜が育っている。そのお世話をしている。野菜作りが上手というわけでもない。ずばりといえば、下手である。ここに一日いる。することは色々見つかる。それに夢中になる。まったく非社会的行動だ。こんな自由な、もっといえば我が儘たっぷりの、のらくら生き方をしていてもいいのか、と思う。

 

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目覚めたときに わたしの湖に 新しい活力が満ちて来ている

2019年05月03日 05時52分08秒 | Weblog

老人は朝の目覚めが早いんです。といっても夜中に何度も起きていますが。今日は4度もトイレを往復しました。起きたらしばらくは目を覚ましています。何しろベッドに入るのが午後8時です。晩酌をして酔っているのですぐに寝入ってしまいます。こんなに怠け者をしていいのかなあ、とときおり自己反省をするのですが。睡眠は身心の休息なんですね。休息を取ると、不思議な仕組みですが、目覚めたときには、わたしの内なる湖に、新しい活力が満ちて来ています。

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