<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

桃がおいしい汁までもおいしい

2017年08月13日 10時12分15秒 | Weblog

桃がおいしい。桃がおいしい。桃がおいしい。滴る汁までがおいしい。送っていただいた桃を早朝に。桃は高価だからしかしそう易々とは手に入らない。だから味わって味わっていただく。味わっていただくとおいしさも数倍する。もともとがおいしいのだから、数倍の数倍する。我が生の味わいもかくこそと思う。

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今日は8月13日 お盆の入り

2017年08月13日 09時39分10秒 | Weblog

今日は8月13日。お盆の入りである。ご先祖の精霊ご帰参に合わせてしばらく禅宗経典の読経をした。声を高くしたので声が嗄れてしまった。「お帰りなさいませ。どうぞゆっくりとおくつろぎ下さい」と挨拶をした。日頃お見守りお導きを頂いているご先祖様方である。お礼を申し上げる。

いずれわたしも仲間入りをすることになる。「いずれ」と言わず只今も、われわれ(の中核)は互いに往来をして、宇宙大の真如の大広間に、諸仏共々、先祖や子孫入れ雑じって、いっしょに仲良く暮らしをしているのだが。

だから此処は永遠の故郷ではなく、当座の研修場であるから、ご先祖様方もそのつもりであろう。暑中お見舞いほどであろう。子孫のわれわれのところに様子見がてらお遊びにお出でいただくのであろう。

われわれの永遠の故郷は仏陀の国である。仏国土、お浄土である。仏陀がそう約束をされているのだから、みながそこでそうされているはずである。究極の仏陀国の一員として安らいでおられるはずである。というよりは仏陀としての活躍に邁進しておられるはずである。

まあ、かくの如き信心想定の下で、物質界滞在の我が輩もこの日の早朝を安らいだのである。

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ではわたしは救われた者である

2017年08月13日 06時24分06秒 | Weblog

一度でも観世音菩薩を念じた者は救われると法華経にある。ではわたしは救われた者である。

わたしは南無観世音菩薩を唱えた。一度ならず。約束は守られるはずである。まして菩薩如来の仏門の約束である。仏陀との契約事である。

こうなれば、生老病死のいずれも救われた者の生老病死である。何がどうなろうとそれも救われた事実である。そう見えていなくともそれで約束履行である。

世間の言う通りでなくともいい。偉くならなくともそれでいい。たとい正義に則っていない悪道の流転でも、それでいい。失敗失策だらけでもいい。のろまでいい。蒙昧でいい。不評者であってもいい。誤算と出てもそれが救われた者の選択肢である。それがこの時点での、仏に救われたわたしの姿である。安心をしていていい。わたしは仏に救われた者である。これは揺るがない。

にたりにたりにたり。これでいい。生きているときにこうであるから、死後もこれに洩れることはない。こうでなくちゃ。

仏道は一貫している。貫き通されている。こうであってこその仏道。しめしめ。にたりにたり、にたりにたり、にたりにたり。とは申せ、老爺の真夜中のひとりにやにやは薄気味悪いから此処らでもう止める。

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さあみんな笑いの森の此処へ来い!

2017年08月13日 06時10分42秒 | Weblog

ハ行みな笑いに笑う はははひひ ふふへへほほほ さあここへ来い     薬王華蔵

ハ行はみな笑っている。笑って暮らしている。はははの笑い。ひひひの笑い。ふふふの笑い。へへへの笑い。ほほほの笑い。笑いの森である。地球上に賑やかな明るいこの笑いの森がある。さあみんな此処へ来い!

 

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絵に描いた餅では終わらなかったのである

2017年08月13日 04時59分51秒 | Weblog

「興法利生 こうぼうりしょう」

法の興るは利生のためなり。法を興隆して衆生を利益す。仏法は衆生を利益(りやく)して興(おこ)る。

いずれもこれはさぶろうの読みである。正しい読みがほかにあるに違いない。

大乗仏教は、理智の修得から進み出て、社会実践を重んじる傾向にある。絵に描いた餅では、ひとびとの腹を満たせない。衆生利益は衆生救済である。

寺を出て衆生の中へ入って教えを弘め、苦悩を具体的に救済した。困っていることがあれば、手を貸した。道を造り井戸を掘り、池水を溜め橋を建て、学校を開き病院を拵えた。孤児院や養老院をも開設して苦悩打開に奔走した。仏道を歩む者はひとびとの悲しみにも寄り添った。死者を弔った。死に行く先の仏の浄土をひとびとの胸に刻んだ。助けが必要とあれば行って田畑をも耕した。重たい荷物を分担した。僧衣を着ながら、何でも屋さんになった。奈良時代の仏教はとりわけそうした色彩を帯びた。

もう一つ別の読み方もできる。

お釈迦様が仏教を興されたのはひとえにさぶろうという生命を有利にするためであった、と。多くの仏道修行者が、修行を積まれたのはわたしを仏道に目覚めさせるためであった、とも。

興法利生の句を舌の上に嘗めていると、さぶろうは我が事に行き着いてしまう。ああ、こうしてこうしてさぶろうが助けられてきたのだと思う。多くの人の実践活動によって、さぶろうの人生が大河を流れてきたのだなと思う。それを思うと有り難くてこころの琴線が緩んでしまう。

しかし、さて、その肝心な目覚めがさぶろうの中にあるかどうか。それはいっこうに明確な答えにならない。

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