<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

きみはどうだい 同胞よ

2016年08月25日 10時29分47秒 | Weblog

昼に野菜カレーを食べに行った。ご飯の量もカレーの辛さも普通通り。これじゃ血糖値が上がりそう。恐い。恐いながらも通りゃんせをしてしまった。辛くて刺激がある。刺激が禿げ頭に直ちに這い上ってくる。禿げ頭の何処に汗の噴出口があるのか。わいわい噴き出てくる。そこで留まらず流れ落ちるのをお尻のタオルで拭く。ああ、おいしかった。さぶろうを刺激する昨日一日の刺激は、たったの野菜カレー一つだった。自慢にもならないか。たまには違う刺激、つまり身心がずんずん張り切り出すような刺激もあっていいよなあ。きみはどうだい、同胞よ。

 

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いつもいる美しい人は可哀想

2016年08月25日 10時18分16秒 | Weblog

いつもいる美しい人は可哀想 きらめいているススキ野の宵      釈 応帰

芒の野ススキは夕日の中であやしくきらめいているのだが、それをそうと受け取って落涙千行してくれる人はわずかだ。いつもいてくれるわたしの美しい人もこのススキ野に埋没しているのかも知れない。

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どうしてこうも美しいのか

2016年08月25日 10時04分32秒 | Weblog

さりげなくさしだされているレストランのグラスが変に美しい朝     早坂 類

どうしてこうも美しいのか。そう思うことがある。誰の席にも置いてあるはずのレストランのグラスであっても、そこで異様に輝いていることがある。さりげなく差し出されているきりのものだって、そこに大いに人為的な、運命的な、特別な情感を彷彿させていることはままある。

そこに一人愛する人がいてくれるだけで、風景の表情は一変するのだ。この朝、作者はその人の傍にいることができたのだろう。あり得ないことが此処で今あり得ているというふうに受け取られて、その運命の豪勢さに我が身の置き所すらないように思えているのかもしれない。

短歌31文字の中には愛する人など何処にも姿を現してはいない。現すのさえ躊躇われたのだろう。

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「あしたの日記」という変わった日記

2016年08月25日 09時13分47秒 | Weblog

おはようございます。ちょっとだけ曇っています。雨が降ってくれないかなあ。山鳩が近くの電線に止まって、ぶうほうぶうほうぶぶっほう、と鳴いています。曇っているので気温は室内で30度、ただし湿度が70%を越えています。アカマンマのオオイヌタデの花穂が日一日大きくなって垂れてきています。そろそろ草丈が2m近くになっています。

僕は「あしたの日記」という変わった日記をつけることにしました。あしたのことなのに、過去形で書きます。こんなあしたが過ごせたらいいなあという愉快先取り日記です。願いを書き付けています。箇条書きの3~7項目です。実現した項目には☆がつきます。実現しそうなことでいいのです。あなたもやってみませんか。わくわくしてあしたが迎えられます。

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