goo blog サービス終了のお知らせ 
小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



2月24日、小田原は晴天の一日。ようやく寒さも和らいで春らしい陽気だった。お昼頃に小田原フラワーガーデンと辻村植物公園に梅の咲き具合を見に立ち寄った。小田原梅まつり会場の一つ、小田原フラワーガーデンの渓流の梅園。色々な品種が植栽されているので咲き具合はまちまちだが、全体的には2分咲きほど。続いて辻村植物公園にも立ち寄った。こちらは小田原フラワーガーデンの梅林より開花が遅れており、ようやく咲き始めといったところ。今日は所用のため午後から東京へ出かけた。東通りの守谷でおやつのパンを購入してから小田原駅へ。今日も引退間近の300系に乗ることが出来た。平日だったが小田原駅のホームには300系目当てと思われる撮鉄の人が10人ちかくいた。東京駅に向かう途中の車内でおやつタイム。守谷でアンパンとクリームパンと甘食を購入。3つで380円。小田原で一番有名なパンと言っても過言ではない餡子たっぷりのアンパンは140円。名物のアンパンは焼いてからさほど時間が経っていないようで餡子がほんのり温かい。昔ながらの味わいで美味しかった。おやつを食べて、ちょっと車窓からの風景を眺めていたら程無く東京駅に到着。少し時間に余裕があったので先頭車両を撮影にホームの端へ向かう。そうしたら驚くことに30人以上のカメラマンが集結していた。皆300系目当てのようだ。人だかりの隙間から1枚だけ撮影してそそくさと退散。300系新幹線はラストランまであと20日ほど。乗車するのは恐らく今回が最後になるだろう。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




例年2月の下旬にもなると曽我梅林は花の見頃となり平日でも多くの観梅客が訪れる。しかし今年は年明けから寒い日が多かったので梅の開花が大幅に遅れており観梅客も少ない。今週のはじめに梅まつりが開催されている別所梅林に立ち寄った。 2月20日の午後、別所梅林に立ち寄った。例年この時季は平日でも梅林内の駐車スペースを探すのが大変なこともあるが今年はガラガラ。農道の両側の白梅もやっと咲き始めていた。この日は花の様子を見るほかに、農産物の売店でネーブルを買うために別所梅林に立ち寄ったが観梅客が少ないせいか早々と店じまい。ネーブルは買えず仕舞い。仕方なく剣沢川の土手に上がり定点撮影ポイントへ。別所梅林はこの一段高くなった剣沢川の土手から眺めるのが好きだ。定点撮影している剣沢川の土手上から梅林と曽我丘陵を望む。見頃まであと10日くらいはかかりそう。昨年同時期とどのくらい違うのだろうかと写真を探したところ、昨年2月19日の同アングルの写真を発見した。やはり咲き具合が全然違う。今年の小田原梅祭りは3月4日まで延長され、別所梅林ではさらに遅い3月6日まで延長されることになった。今週末もまだまだ見頃ではないだろうが期待せずに出かけてみることにしたい。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




相模湾に面した小田原では古くから漁業が盛んで、江戸時代になると様々な漁法が取り入れられるようになり領内の漁村は急速に発展した。また明治以降は漁船にエンジンが搭載され遠洋の漁場にも向かうようになった。しかし、当時は天気予報や無線なども無く暴風波浪の度に多くの漁船が遭難したようで、海辺のお寺の境内に水難事故に遭った漁船の慰霊碑や供養塔がいくつかみられる。小田原市寿町の墓所の入口には昭和初期に遭難した漁船の供養塔がある。小田原市寿町の本光寺の墓所。一般的に寺院は本堂の近くに墓所があることが多いが、本光寺の墓所と本堂は300mほど離れている。もともと本光寺は現在の下水道終末処理場の辺りに所在していたが、明治29年の洪水の際に本堂が流出してしまい現在の場所に移転。墓所は当時と同じ場所のまま残されたのでこのような位置関係にあるとのこと。墓所入口の片側には無縁塔、もう片方に遭難供養塔が建てられている。この遭難供養塔は昭和4年に遭難した房五郎丸の乗員の供養のため昭和6年に建立されたもの。水難事故の供養塔や慰霊碑は名号や題目のほかは施主と遭難者の名前のみのタイプが多いが、この房五郎丸の遭難供養塔には、遭難に至る状況や天候などが詳細に記載されている。碑文によると房五郎丸は南酒匂の常盤家所有の遠洋漁業発動汽船で乗員は13名。昭和4年4月18日に千葉県銚子港を出港し4月21日に勝浦沖で操業中に暴風に遭い遭難。その後10日間に渡り捜索するも船の残骸も乗組員も見つからず捜索を断念した旨が記載されている。供養塔の下部には遭難した乗組員の氏名と年齢が刻まれている。房五郎丸の松本船長は当時33歳、その他の船員は皆20代の若さ。若くして亡くなった船員達の無念さが偲ばれる。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




横断歩道橋の上から写真を撮るのが好きで、散策やランニングの途中に横断歩道橋の横を通るとわざわざ上まであがることが多い。小田原市内にある横断歩道橋の中で一番好きな場所は、小田原市民会館前のY字の横断歩道橋で、このブログでも横断歩道橋上から撮影した写真を何枚か掲載した。先日、小田原市の広報おだわらアーカイブを読んでいたところ、その小田原市民会館前の横断歩道橋が完成した時の記事を見つけた。広報おだわらの昭和42年5月号(PDF)に市内2ヶ所の横断歩道橋の完成を伝える記事が掲載されている。1ヶ所は酒匂小学校前の横断歩道橋で、もう1ヶ所が市民会館前の横断歩道橋でどちらもほぼ同時期に竣工したようである。記事によると当時の工事費で1,500万円。幅は1.5mで一辺が14メートル橋梁が3本Y字に組合わさっている。この横断歩道橋は当時としては画期的な構造だったようで、Y字の中心部分に支柱が無いものとしては全国初だったとのこと。もう建設から45年ほどが経過した小田原市民会館前の横断歩道橋。建設当時のプレートがついていないか探したところ旧稲妻屋角の国道1号の標識の横になにやら金属製のプレートが取り付けられていた。横断歩道橋の上からカメラを突き出してかろうじて撮影。プレートは何度もペンキで塗装されたようで文字の判別は難しいが1967年の文字は確認できた。当時この横断歩道橋は当時市民会館前と横浜銀行小田原支店と稲妻屋の3点を結んでいた。それから45年、横浜銀行小田原支店は労働金庫となり稲妻屋のあった場所は空き地になっている。今後この周辺はどのように変わってゆくのだろうか。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




今年も2月17日から19日の3日間、小田原市会館で菓子展示会が開催された。菓子展示会は小学生の頃、毎年下校途中に寄り道するのを楽しみにしていたイベントだったが、その後20年ちかく訪れることは無かった。しかし今から10年ほど前に仕事の関係で菓子展示会に訪れた際に、関係者から抽選券を頂き何気なくガラポン抽選をしたところ結構良い賞が当たり、以来菓子展示会には抽選会目当てで出かけている。2月18日の夕方、菓子展示会が行われている小田原市民会館へ出かけた。中から漏れる白熱電球の光と甘い匂いは昔から変わらない雰囲気でなんとも懐かしい気分になる。混雑しているのはあまり好きではないので、終了30分前くらいに出かけた。例年このくらいの時間帯は結構空いている。お楽しみ抽選会の行われている3階へ上がり、1枚150円の抽選券を2枚購入。お楽しみ抽選会の賞品は5種類。ハズレでも2個入りの最中が貰えるので、あまり損した気分にはならない。10年ほど前、初めて抽選した時に1番良い賞がいきなり当たった。結構立派な菓子折りだった記憶がある。店主賞かお米狙いで年季の入ったガラポン抽選機を2回まわした。結果は白玉が2つ連続で出て、お茶+最中をゲット。例年ハズレが出ることが多いので今年はまあまあの結果だった。早速包みを開けて最中を取り出す。最中の皮は小田原市章の形で河内屋で作られた最中だった。最中はあまり好んで食べる菓子ではないので、毎年菓子展示会の抽選会のハズレ賞品で食べるくらい。次に最中を食べるのは来年の菓子展示会のことだろう。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )



« 前ページ 次ページ »