小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



明治の初期に、居留外国人の移動範囲を横浜から測量した測点に置かれた標石は、神奈川県内に約60ヶ所。そのうち小田原周辺では約10ヶ所に標石が現存している。このブログでもおだわら諏訪の原公園小八幡神社五百羅漢の玉宝寺の3ヶ所の標石を紹介したが、わんぱくランド近くの小田原市久野の茶畑の脇にも現存していると知り、その標石の写真を撮りに出かけた。小田原市荻窪、県道74号小田原警察署入口交差点からわんぱくランドへ向かう農道沿いの枝道の先に目指す標石がある。たかん堂の横を通り坂道を上る。小田原警察署入口交差点から5分ほど坂道を進むと小田厚の跨線橋を通過する。この跨線橋から小田原西インターまでの区間にいくつかの跨線橋が架っているが、どうしてもたどり着けない跨線橋が一ヶ所だけある。跨線橋を渡り5分ほど坂道を上ると右手にアンテナ鉄塔が見えてくる。そのアンテナ鉄塔へ向かう脇道を曲がる。アンテナ鉄塔の直前で道が二股に分かれるので左側の道を進む。二股の分岐から7分ほど坂道を上っていくとロボットの顔のように見える農作業小屋が見えてくる。その少し先には左手に茶畑が広がっている。茶畑の下の作業道を茶畑の縁に沿って進んでいくと。錆びたトタンが重ねられて置かれている。そのトタン置き場のすぐ近くに2段に積まれた石が目に入った。探していた外国人遊歩規程測量標石だ。標石の上にちゃんと蓋石も被せられていてちゃんとした形で現存している。資料によると、明治の頃に標石を設置した際は土中に標石を埋め込んだらしいが、それから130年近く経過しているので標石も半分ほどが露出していた。上に乗っかっている蓋石を持ち上げてどかす。蓋石と標石の間にビニールに包まれた名刺が挟まっていた。どうやら以前、地図愛好家が訪問した際に残していったもののようである。刻面の保存状態も良く、はっきりと「地理寮 測点 第57号」の文字が読めた。標石の置かれている場所から小田原市街が眺望できる。東側には曽我丘陵が連なっている。その曽我丘陵の山中に、この外国人遊歩規程測量標石が3つ現存しているので機会があれば探索に出かけたい。

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