小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



小田原市南町の天神山から板橋にかけての丘陵地は明治以降、皇族や政財界の重鎮の別邸が多く建設された。その中のひとつが日露戦争で活躍した瓜生外吉海軍大将の別荘で、別荘自体は残っていないが別荘へ通じる坂の入口には大正時代に造られた石垣が現存していたが、宅地の分譲のため今年になって石垣が撤去された。小田原市南町の山角天神社前から城山トンネル方面に向かう道路の途中に瓜生坂があって、その入口から道路沿いにかけて大正時代に造られた石垣があった。海軍提督として日露戦争に参加し、戦功により海軍大将となった瓜生外吉が小田原の地に別荘を構えたのは大正2年(1912年)。当時、別荘へと続く坂道は舗装されておらず、足の不自由だった瓜生を気遣って、親戚の実業家や海軍関係者が坂道を舗装したときに石垣も整備された。太平洋戦争中は石垣の一部を崩して軍用トンネルの出入り口ともなっていた瓜生坂の石垣。大正時代の遺構であり戦争遺産でもあったが、宅地の造成のためすでに撤去が終わっている。この石垣が瓜生外吉海軍大将の別荘と関係するものだと知ったのは、石垣が半分ほど撤去された時のことだったが、散策の途中で撮影した写真や、軍用トンネルの記事を書くために撮影したものがあったので記録に残せて良かった。

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