多病息災発達障害者こよりの日常

両手で数えきれない障害と持病を抱えつつ毎日元気に活動中。発達障害の息子たちの子育ても終え、悠々自適の毎日です。

嫁姑問題

2018-10-27 10:13:51 | 人間関係
世間では、「嫁姑関係」というのは


大変なものらしい。間に挟まった夫の難しい立場とか、


夫が 親の味方になり、妻が苦しい立場になるとか、


私が経験したことのない苦労をしている人が たくさんいるそうだ。


私が 結婚した時には、夫の両親と 祖父母がいた。


高齢の両親と祖父母との別居は 考えられない、と夫は言ったし、


私は 高齢者のいない家庭で育ったが、それはそうだ、と納得がいったので


結婚=高齢者4人との同居であった。


祖父母には 近隣に 息子娘がいて、そちらで一緒に暮らそうという話も


あったそうだが、祖父母は 慣れた土地で、家族や友人と暮らしたいという。


高齢になってから 環境が変わるのは 大変だろうし、若い私が


身一つで移動するのが一番いい方法だと 納得しての同居であった。


が。私は 生来の不器用で 発達障害で コミュニケーションが下手で、


家事も 推してしるべしである。夫の住む地域の方言も


ちんぷんかんぷんで、意思疎通ができない中での 同居で、


私よりも 夫の家族の方が 大変だったと思う。


生活上の 不便さや 諸々もだが、


大事に育ててきた孫や 息子が、いきなり(誰かの夫)になってしまった事の


寂しさや 理不尽さは 筆舌に尽くしがたいものがあったのでは、と思う。


もちろん 適齢期になった孫や息子に「配偶者を」と望んではいただろうが、


それが 実現したらしたで、喪失感があったのだろうと思う。


私個人の 出来の悪さや 失敗は 謝れば許してもらえたが、


この「喪失感」を 埋めてあげる事は 私ではどうしようもない事だった。


嫁いびり、のような出来事もあったが、


「長いこと可愛がって 手塩にかけた孫や息子を 同居とはいえ


手放した感情は 寂しいだろうなあ」と そんな気持ちになった。


まあ たとえていったら 昔から ファンで 影日向になって支え、


応援してきた人たちが、人気が出てからファンになって きゃあきゃあ騒いでいるのを見たら


面白くないだろうなあ、という気持ちかなと。


何十年来のファンで、物心両面において 夫を支えてきたファンクラブの重鎮の


お姉様方が、「こないだ 見かけてファンになりました~」という小娘を


歓迎する事は少ないだろうなあ、と。


私としては 長年「夫ファンクラブ」で 苦労され


現在も 絶大なるファンの お姉様方に せめてお茶を出したり


言われたお使いをするくらいしかできないが、


ご機嫌の良い時には 「夫」さんの 昔のエピソードやら


「私の作るこういうものが好きなのよ」と いろいろ 良い事を


教えて下さる。ははー、感服いたしました、と お礼を申し上げ、


私の中の 「夫」情報が 増えた事に感謝である。


なにしろ お見合いでの結婚で、春に出会い、秋に結婚した。


どういう人なのか、ほぼ不明である。私が知っているのは「良い人」というだけである。


こうして 夫ファンクラブの 重鎮のお姉様方のおかげで


夫の 個人情報や 衣食住の好み、などを 把握できたのは幸いだった。


もし 二人だけで 暮らしていたら、生活パターンも


何も 分らず、多分神経の細い夫が 音を上げていたのではないかと思う。


一緒に暮らすうちに、夫ファンクラブのお姉様方の お好みもわかり、


手落ちは 限り無くあるものの、少しは お世話ができるようになった事に


感謝である。もう姑も、大姑も 舅も 大舅も いない。


4世代で にぎやかに 食卓を囲んだ事を 懐かしく思い出す。


呼びつけられて、あれこれお世話をした事も、遠い昔になった。


夫の母や祖母のような 家事の手際の良さや、日常の様々な事の切り盛り、


何も 私は かなわない。夫は 良い家族に 囲まれて育ち、


生活に困る事も無かったが、今 私も無職で 夫を経済的に支えられず、


家事全般に 行き届かない事だらけで 申し訳ないと思う。


しかし 私の不出来を 息子達が 補ってくれ、


夫と息子達が 仲良く語らう姿を見て、安心してくれているのではないかと


思う。











 



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