発達障害が治る、というと、
「嘘だ」「でたらめを言うな」と言われる。
私は自己流で子育てをし、いわゆる療育とは無縁である。
2人の息子達は 発達障害と診断され、様々な発達のヌケや遅れがあった。
自己流の子育てを続けるうちに、息子達は発達のヌケを埋め、
睡眠障害や偏食、自傷行為などが無くなっていった。
きょうだいであっても それぞれ違う。個性を活かし、
自分達で 進路を決め、社会人として働くようになり、
休日は 家事をこなしたり、友人と出かけたり、余暇を楽しむ。
家族で 食事に出かけたりもする。
発達障害ゆえの 困り事がなくなり、行動の幅が広がった。
「治す」というと 「子どもの個性を潰すのか」と言われたりする。
わが家の息子達は、公私ともに充実した毎日を送っていて、
親が見ていても 楽しそうである。仕事の悩みももちろんあるが、
それは 働く以上当然の事である。
偏食は治ったが、味覚が鈍感になったわけではなく、
個性を潰したとは思わない。外食に行き、いいなと思った料理を、
息子達で 再現してくれたりもする。
聴覚過敏が治り、CDでしか楽しめなかった音楽も、
生のコンサートに行くようになった。
睡眠障害が治り、体力が付き、フルタイム勤務も可能になった。
息子達は 充実した日々を送っているが、
それでも 私に「無理をさせないほうがいいのでは」と言ってくる人もいる。
私は親であるが、成人した以上、問われもしない意見を息子に言うつもりはない。
でも やたらと「無理をさせないほうが」と言われるので、発達障害の界隈では、
それが当たり前なのだろう。兄ちゃんや自閉っ子の主治医であった医師でさえ、
息子達の進路については、口を出さなかったが、息子達に会った事もない人が
「一般企業で フルタイム就労なんてさせて、二次障害が起きますよ」と
言ってくるのは不思議である。
DSMー5で、発達障害は「神経発達障害(症)」となった。
神経発達障害は、生まれつきではなく、脳障害でもなく、一生治らないものでもない。
私は 医師や専門家の診断より先に、息子達の発達のヌケに気付き、
家庭で 様々な関わり方をしてきた。
「治らない」とは夢にも思わなかった。今できない事があったとしても、
子どもの未来や将来を悲観しなかった。
自閉っ子は、睡眠障害や自傷や弱視、知的障害、様々な困難を抱えていたが、
どれも治り、高等特別支援学校を卒業後、障害者枠で就労し、現在も勤務している。
IQで言えば、知的障害の範疇に入るが、日常生活では不自由はしていない。
職場でも、一般の人と同じ仕事をこなしている。
幼い頃抱えていた 困難さは、もうない。
兄ちゃんは、不登校生活の後、高校を卒業し、
一般枠で就職をした。現在は正社員として、役職にも就いている。
発達障害ゆえの特製や、そこから来る困難さがあっても、
息子達は大事な子どもであり、発達のヌケがなくなっても、それは変わらない。
大事な可愛い子どもだからこそ、他の人にも可愛がられるようになって欲しいと思った。
それを親のエゴと取る人もいるようだが、「無理をさせてはいけません」と意見を下さる人が、
私の息子達のサポートをしてくれるわけではない。
私は息子達を治す事に私の出来る範囲で取り組んだ。それが我が家での最良の選択だったから。
私が出会ってきた親御さんで、家庭でできる取り組みをしつつ、お子さんを治した方を
何人も知っている。行った方法は勿論そのご家庭ごとで違うのだが、
「一生治りません」と言われたお子さんが治り、ご本人もご家族もお幸せそうであるが、
周囲から否定的な言葉を掛けられることが何度もあったそうだ。
私自身、発達障害を始め複数の障害や持病があるが、不便さは少ない方が暮らしやすいし、
治るものは治したいと思う。
息子達に私が与えた環境が もし本人たちの望みと違ったとしても、
今 息子達は 自分の人生を自分で選んでいけるのだから、
私という不出来な親に育てられた穴埋めを自分でしていけると思う。
どんな場合でも、自分で選択した道を歩むことが一番の幸せだと思う。
それは障害のあるなしに関係がないと思う。
「嘘だ」「でたらめを言うな」と言われる。
私は自己流で子育てをし、いわゆる療育とは無縁である。
2人の息子達は 発達障害と診断され、様々な発達のヌケや遅れがあった。
自己流の子育てを続けるうちに、息子達は発達のヌケを埋め、
睡眠障害や偏食、自傷行為などが無くなっていった。
きょうだいであっても それぞれ違う。個性を活かし、
自分達で 進路を決め、社会人として働くようになり、
休日は 家事をこなしたり、友人と出かけたり、余暇を楽しむ。
家族で 食事に出かけたりもする。
発達障害ゆえの 困り事がなくなり、行動の幅が広がった。
「治す」というと 「子どもの個性を潰すのか」と言われたりする。
わが家の息子達は、公私ともに充実した毎日を送っていて、
親が見ていても 楽しそうである。仕事の悩みももちろんあるが、
それは 働く以上当然の事である。
偏食は治ったが、味覚が鈍感になったわけではなく、
個性を潰したとは思わない。外食に行き、いいなと思った料理を、
息子達で 再現してくれたりもする。
聴覚過敏が治り、CDでしか楽しめなかった音楽も、
生のコンサートに行くようになった。
睡眠障害が治り、体力が付き、フルタイム勤務も可能になった。
息子達は 充実した日々を送っているが、
それでも 私に「無理をさせないほうがいいのでは」と言ってくる人もいる。
私は親であるが、成人した以上、問われもしない意見を息子に言うつもりはない。
でも やたらと「無理をさせないほうが」と言われるので、発達障害の界隈では、
それが当たり前なのだろう。兄ちゃんや自閉っ子の主治医であった医師でさえ、
息子達の進路については、口を出さなかったが、息子達に会った事もない人が
「一般企業で フルタイム就労なんてさせて、二次障害が起きますよ」と
言ってくるのは不思議である。
DSMー5で、発達障害は「神経発達障害(症)」となった。
神経発達障害は、生まれつきではなく、脳障害でもなく、一生治らないものでもない。
私は 医師や専門家の診断より先に、息子達の発達のヌケに気付き、
家庭で 様々な関わり方をしてきた。
「治らない」とは夢にも思わなかった。今できない事があったとしても、
子どもの未来や将来を悲観しなかった。
自閉っ子は、睡眠障害や自傷や弱視、知的障害、様々な困難を抱えていたが、
どれも治り、高等特別支援学校を卒業後、障害者枠で就労し、現在も勤務している。
IQで言えば、知的障害の範疇に入るが、日常生活では不自由はしていない。
職場でも、一般の人と同じ仕事をこなしている。
幼い頃抱えていた 困難さは、もうない。
兄ちゃんは、不登校生活の後、高校を卒業し、
一般枠で就職をした。現在は正社員として、役職にも就いている。
発達障害ゆえの特製や、そこから来る困難さがあっても、
息子達は大事な子どもであり、発達のヌケがなくなっても、それは変わらない。
大事な可愛い子どもだからこそ、他の人にも可愛がられるようになって欲しいと思った。
それを親のエゴと取る人もいるようだが、「無理をさせてはいけません」と意見を下さる人が、
私の息子達のサポートをしてくれるわけではない。
私は息子達を治す事に私の出来る範囲で取り組んだ。それが我が家での最良の選択だったから。
私が出会ってきた親御さんで、家庭でできる取り組みをしつつ、お子さんを治した方を
何人も知っている。行った方法は勿論そのご家庭ごとで違うのだが、
「一生治りません」と言われたお子さんが治り、ご本人もご家族もお幸せそうであるが、
周囲から否定的な言葉を掛けられることが何度もあったそうだ。
私自身、発達障害を始め複数の障害や持病があるが、不便さは少ない方が暮らしやすいし、
治るものは治したいと思う。
息子達に私が与えた環境が もし本人たちの望みと違ったとしても、
今 息子達は 自分の人生を自分で選んでいけるのだから、
私という不出来な親に育てられた穴埋めを自分でしていけると思う。
どんな場合でも、自分で選択した道を歩むことが一番の幸せだと思う。
それは障害のあるなしに関係がないと思う。
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