中学に入って、妙に馬の合う感じの仲の良い友がいた。
勉強(大してしていないが)、遊び、家まで遊びに行ったりして楽しく遊んだ。
当時の私は家は南観音本町の平屋借家、彼は福島町の市営住宅。
当時の学校区割りにより、小学校とは違う学区割りの人と友達になるのは新鮮だった。
中学2年の冬だった。
父の転職により安佐南区(当時:安佐郡佐東町八木)に転居となった。
彼とは住所を交わし、手紙のやり取りをしようとのことで別れた。
転居後、手紙は来ない。私も出していない。
互いが筆不精だったのかどうなのか、今となっては不明。
あれから幾十星霜。
彼は元気に「おじさん」をしているのだろうか。
私は十二分に「おぢさん」となった。
そんな昔を振り返える年になったのだと昨今、思うのである。
勉強(大してしていないが)、遊び、家まで遊びに行ったりして楽しく遊んだ。
当時の私は家は南観音本町の平屋借家、彼は福島町の市営住宅。
当時の学校区割りにより、小学校とは違う学区割りの人と友達になるのは新鮮だった。
中学2年の冬だった。
父の転職により安佐南区(当時:安佐郡佐東町八木)に転居となった。
彼とは住所を交わし、手紙のやり取りをしようとのことで別れた。
転居後、手紙は来ない。私も出していない。
互いが筆不精だったのかどうなのか、今となっては不明。
あれから幾十星霜。
彼は元気に「おじさん」をしているのだろうか。
私は十二分に「おぢさん」となった。
そんな昔を振り返える年になったのだと昨今、思うのである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます