山口県岩国市の北部にある錦町広瀬に木谷峡(きだにきょう)がある。
国道434号線沿いの広瀬の街中を抜けると木谷峡への案内標識が。
県道361号となり広大な景色が眼前に広がる。
かつて町道(船津小西線)だったこの県道361号(錦鹿野線)は鹿野まで繋がる。
ダムが出来るようで(何時のことかは知らない)、眼下の旧道の一部は水没するものと。
先に駐車場があって数台の車が駐車。ここで渓谷の走りが観れる小さな親水公園的な場所。
これより先は道が細くて離合困難な状況が続き、深山幽谷の感が迫ってくる。
7/15(日)だったが、連日の降雨で山水が道をタップリと濡らして流れている。
この辺りの山林は吉川(きっかわ)林産興業が保有。事業所の建物が忽然とあらわれる。
この会社は岩国藩主・吉川家の末裔と思われる。
ここの傍らにはミヤモミジ(宮紅葉)という錦町指定天然記念物がある。
秋には見事に映えるだろうと想像に固くない。
右が事業所・正面の道を登ると直ぐ裏手が学校跡・左は木谷川の橋が架かり県道となる。
木谷小学校跡は校舎が崩れかけていて見るも無残である。
県道100m先は平地で、香椎神社・錦川源流の碑があり、林道木谷島の谷線への分岐ともなる。
ところで、この辺りでお腹がぐるぐるっと唸り始めた。我慢するには大変じゃ?!
と、いう訳で生理的行為を野で行う嵌めに・・・すっきりすると先へ進む元気が出る。
丸い岩が二つ並んだ姿が印象的な「姫岩」
その謂れがある。源氏方の人質として連れてこられた「朝狩姫」と地元の若者「清次郎」との
純愛。この岩で密かに会っていたという。(とても乗れるような地形・環境ではないけどネ)
身分違いで悲恋になるところを、舞い散るモミジと共に現れた老武人が周囲を説得して廻り
そして幸せになったという幸福の岩だそうだが、この老武人とは???
木谷峡は30年以上前に環境保全の対象になったらしいが、一般客は少ないものと思われる。
住む人は居なくて、見かけても林業関係か登山者くらいの様相である。
かつて、家があったと思われる石垣と樹木で茂った更地が山肌に残っている。
一軒ほど崩れかけた家もあった。昭和20~30年代の建て方という感じを受けた。
県道と平家屋敷跡へ向かう林道木谷線との分岐。(直進が林道)
壇ノ浦の源平合戦で破れた平家一門の松前隼人守(まつまえはやとのかみ)一族主従がこの地
へ隠れ住んだと言う。その名残から付いた平家屋敷跡があるという。ここまで行こうとしたの
だが、あと1kmというところで路面が陥没したりアスファルトは剥がれていたりという悪路とな
り、フィットのような乗用車では無理。車高の高い車にしないと腹を擦る。私はどうってこと
はないのだが、嫁さんが嫌うので諦める事に相成った。残念である。見たかった。
こうして、木谷峡の薄ら寂しくも見事な渓谷美を堪能して引き返すのであった。
それと、渓谷と言えば滝である。ここには幾つかの滝があるので次回に紹介。
国道434号線沿いの広瀬の街中を抜けると木谷峡への案内標識が。
県道361号となり広大な景色が眼前に広がる。
かつて町道(船津小西線)だったこの県道361号(錦鹿野線)は鹿野まで繋がる。
ダムが出来るようで(何時のことかは知らない)、眼下の旧道の一部は水没するものと。
先に駐車場があって数台の車が駐車。ここで渓谷の走りが観れる小さな親水公園的な場所。
これより先は道が細くて離合困難な状況が続き、深山幽谷の感が迫ってくる。
7/15(日)だったが、連日の降雨で山水が道をタップリと濡らして流れている。
この辺りの山林は吉川(きっかわ)林産興業が保有。事業所の建物が忽然とあらわれる。
この会社は岩国藩主・吉川家の末裔と思われる。
ここの傍らにはミヤモミジ(宮紅葉)という錦町指定天然記念物がある。
秋には見事に映えるだろうと想像に固くない。
右が事業所・正面の道を登ると直ぐ裏手が学校跡・左は木谷川の橋が架かり県道となる。
木谷小学校跡は校舎が崩れかけていて見るも無残である。
県道100m先は平地で、香椎神社・錦川源流の碑があり、林道木谷島の谷線への分岐ともなる。
ところで、この辺りでお腹がぐるぐるっと唸り始めた。我慢するには大変じゃ?!
と、いう訳で生理的行為を野で行う嵌めに・・・すっきりすると先へ進む元気が出る。
丸い岩が二つ並んだ姿が印象的な「姫岩」
その謂れがある。源氏方の人質として連れてこられた「朝狩姫」と地元の若者「清次郎」との
純愛。この岩で密かに会っていたという。(とても乗れるような地形・環境ではないけどネ)
身分違いで悲恋になるところを、舞い散るモミジと共に現れた老武人が周囲を説得して廻り
そして幸せになったという幸福の岩だそうだが、この老武人とは???
木谷峡は30年以上前に環境保全の対象になったらしいが、一般客は少ないものと思われる。
住む人は居なくて、見かけても林業関係か登山者くらいの様相である。
かつて、家があったと思われる石垣と樹木で茂った更地が山肌に残っている。
一軒ほど崩れかけた家もあった。昭和20~30年代の建て方という感じを受けた。
県道と平家屋敷跡へ向かう林道木谷線との分岐。(直進が林道)
壇ノ浦の源平合戦で破れた平家一門の松前隼人守(まつまえはやとのかみ)一族主従がこの地
へ隠れ住んだと言う。その名残から付いた平家屋敷跡があるという。ここまで行こうとしたの
だが、あと1kmというところで路面が陥没したりアスファルトは剥がれていたりという悪路とな
り、フィットのような乗用車では無理。車高の高い車にしないと腹を擦る。私はどうってこと
はないのだが、嫁さんが嫌うので諦める事に相成った。残念である。見たかった。
こうして、木谷峡の薄ら寂しくも見事な渓谷美を堪能して引き返すのであった。
それと、渓谷と言えば滝である。ここには幾つかの滝があるので次回に紹介。