戦争とクリスチャン(2017年8月15日)

2017-08-15 08:23:07 | 牧師のつぶやき
 そして彼らはその女に言った。「もう私たちは、あなたが話したことによって信じているのではありません。自分で聞いて、この方がほんとうに世の救い主だと知っているのです。」(ヨハネの福音書4章42節)

 もし上記のヨハネ4:42の聖句が何を教えているのかを世界のクリスチャンが深く理解していたなら、これまでにクリスチャンが起こした戦争の数はもっとずっと少なかったはずです。この聖句が理解されていないことは甚だ残念なことですが、せめてこれからは人々の理解が進んで、世界が平和に向かうように働くことが私に与えられた使命です。

 ヨハネの福音書の重要な目的の一つは、読者に「聖霊とは何か」を教えることです。それはイエスが聖霊についてニコデモ(3章)、サマリヤの女(4章)、弟子たち(14~16章)に教えていることから明らかです。そしてイエスは弟子たちに20章で「聖霊を受けなさい」(22節)と言っています。さらにまた「聖霊」という言葉を使っていなくても、「聖霊とは何か」を教えている箇所はたくさんあります。ヨハネ4:42もその一つです。

 ヨハネ4:42が教えていることは、人は聖霊を受けて初めて「イエスがほんとうに世の救い主だ」と知ることができるのだということです。私たちは先ずは他者(または聖書)を通して「イエスはキリスト(救い主)だ」と教わります。この「イエスはキリストだ」を信じる人もいれば、信じない人もいます。そして信じた人は聖霊を受けます。そうして聖霊を受けるとイエスと霊的に出会い、イエスから直接語り掛けを受けることができるようになるのです。聖霊を受ける前は聖書のイエスしか知り得ませんが、イエスが神の子キリストと信じれば(ヨハネ20:31)、聖霊を受けて実際にイエスに出会えるのです。イエスがトマスに「見ずに信じる者は幸いです」(ヨハネ20:29)と言ったのは、それゆえです。聖書のイエスしか知らない段階ではイエスを見たとは言えません。しかし聖霊を受ければ霊的に見ることができます。

 このように聖霊を受けたクリスチャンがイエスと霊的に出会うなら、ヨハネ4:42のサマリヤ人たちとは実は使徒8章の聖霊を受けたサマリヤ人たちのことであることがわかるでしょう。使徒8章ではピリポが種をまき、ペテロとヨハネが刈り取りました。イエスが『ひとりが種を蒔き、ほかの者が刈り取る』ということわざを引用したのは、そのためです(ヨハネ4:37)。或いはまたイエスが「まさか、あなたがたも離れたいと思うのではないでしょう」(ヨハネ6:67)と弟子たちに言ったのは、北王国の民がアッシリヤに連行されて失われたこと(Ⅱ列王記17:23、18:11)をイエスが悲しんでいるのだと霊的に見えるでしょうし、ラザロの墓に向かう途中でイエスが霊の憤りを覚えて涙を流したのは(ヨハネ11:33-35)、南王国がバビロン軍の攻撃で廃墟となったこと(Ⅱ列王記25:8-10)を悲しんでいることも霊的に見えることでしょう。北王国の滅亡も南王国の滅亡もまた戦争被害です。

 上記のようにイエスが戦争被害を悲しんでいることが霊的に見えていたなら、クリスチャンが起こした戦争の数はもっとずっと少なかったはずです。しかし、見えていなかったために多くの戦争が繰り返されて来ました。ヨハネの福音書のイエスが戦災を悲しんでいることに気付かれて来なかったのは何故なのか、私にも理由はよくわかりません。「永遠」への覚醒が関係しているのだろうと拙著の「『ヨハネの福音書』と『夕凪の街 桜の国』」には書きましたが推測に過ぎません。この理由に関しては是非とも多くの方々と議論して、真相に迫りたいと願っています。そうすれば世界はもっとずっと平和になるだろうと思うからです。
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