平和への道

私の兄弟、友のために、さあ私は言おう。「あなたのうちに平和があるように。」(詩篇122:8)

難攻不落の信仰の要害(2016.1.13 祈り会)

2016-01-14 10:41:27 | 祈り会メッセージ
2016年1月13日祈り会メッセージ
『難攻不落の信仰の要害』
【Ⅱサムエル5:1~7、9~10】

5:1 イスラエルの全部族は、ヘブロンのダビデのもとに来てこう言った。「ご覧のとおり、私たちはあなたの骨肉です。
5:2 これまで、サウルが私たちの王であった時でさえ、イスラエルを動かしていたのは、あなたでした。しかも、【主】はあなたに言われました。『あなたがわたしの民イスラエルを牧し、あなたがイスラエルの君主となる。』」
5:3 イスラエルの全長老がヘブロンの王のもとに来たとき、ダビデ王は、ヘブロンで【主】の前に、彼らと契約を結び、彼らはダビデに油をそそいでイスラエルの王とした。
5:4 ダビデは三十歳で王となり、四十年間、王であった。
5:5 ヘブロンで七年六か月、ユダを治め、エルサレムで三十三年、全イスラエルとユダを治めた。
5:6 王とその部下がエルサレムに来て、その地の住民エブス人のところに行ったとき、彼らはダビデに言った。「あなたはここに来ることはできない。目の見えない者、足のなえた者でさえ、あなたを追い出せる。」彼らは、ダビデがここに来ることができない、と考えていたからであった。
5:7 しかし、ダビデはシオンの要害を攻め取った。これが、ダビデの町である。
5:9 こうしてダビデはこの要害を住まいとして、これをダビデの町と呼んだ。ダビデはミロから内側にかけて、回りに城壁を建てた。

はじめに
 礼拝のメッセージでは先日から始めた幕屋と神殿に関する学びを進めて行きたいと願っていますが、祈り会のメッセージのほうは今しばらく、その都度示された箇所を開くことにしたいと思います。
 先日の会堂祈祷会では、司会者がマタイ7章を開いて下さり、会堂問題に取り組んで行くためには私たちは岩のように強固な信仰の基盤を築く必要があることを改めて学ぶことができて感謝でした。そうして今日の祈り会では私は聖書のどこを開いたら良いのか思いを巡らしていた時に示された箇所が、今日の第二サムエル5章にある、ダビデがシオンの要害にダビデの町を築いた記事です。

久能の山城
 半月前の年末に私は家族旅行で清水の三保にある旅館に泊まり、三保松原と久能山を訪れました。旅行とは言えないような近場ですが、母が高齢になってからは、ほとんどの旅行は近場で済ませています。久能山ではイチゴ狩りを楽しみました。私が久能のイチゴ狩りを楽しんだのは小学生の時以来のような気がします。天気が曇り気味で気温が高くなかったのでハウスの中も温度が上がっておらず、本当においしいイチゴを楽しむことができました。イチゴ農園の人の話だと天気が良いと冬でもハウスの中は室温が上がって暑くなり、中に長くいられないだけでなくイチゴも生温かくなってしまうとのことでした。イチゴは生温かいよりは少し冷えていたほうが、おいしくいただけます。農園の人が「きょうは涼しいですからイチゴもおいしいですよ」と言っていましたが、果たして本当にその通りでした。ハウスの中に実っているイチゴを取り、取れ立てをすぐに口に入れると、とても水々しくて本当においしいかったです。ハウスに入る前は、イチゴなら十個も食べれば十分に満足だろうと思っていたのですが、結局五十個ぐらい食べてしまいました。あまりにおいしいので自分でも信じられないくらい、次々と食べてしまいました。イチゴ農園の人が、「スーパーで売っているイチゴなら十個も食べれば満足でしょ。でも、取れたてのイチゴならいくらでも食べられますよ」と言っていましたが、本当にその通りでした。スーパーのイチゴとは水々しさがぜんぜん違うので、本当にいくらでも食べられました。五十個ぐらい食べても、まだ食べられると思いましたが、やめておきました。
 きょうの話の本筋とは少しずれますが、私は新鮮な水々しいイチゴを食べて、聖書からのメッセージも、このように水々しいものを提供したいものだと感じました。スーパーのイチゴでも十分においしいのですが、それは十個も食べれば満足してしまう程度のものです。これまでのメッセージは良くてもスーパーレベルのおいしいイチゴだったのではないかと思います。そうではなく、久能の取れたての石垣イチゴのような水々しいメッセージを取り次がなければならないと思わされました。そのような説教者になれるよう努力したいと思います。
 さて石垣イチゴを堪能した後、私たちは食後の運動を兼ねて久能山東照宮への石段を少し上ってみることにしました。母と妹は下の茶店で休憩していてもらい、中腹ぐらいまで行ってみようということになりました。一番上の東照宮までだと全部で1159段(いちいちごくろーさん)あるので大変ですし、時間も掛かりますから、帰りの時間も考慮して、途中までにしようということで上り始めましたが、結局上まで上ってしまいました。そして上の見晴らしの良い所から下の景色を楽しみ、下りて来ました。この上の見晴台に久能山東照宮の説明書の看板があり、それによると、ここは徳川家康が開いた場所ではなくて、徳川時代のずっと以前からの歴史があり、戦国時代には武田信玄の山城が建てられていた時期もあったそうです。この看板の山城についての説明を読み、下の方を見晴らすと、確かにここは天然の要害になっているなと納得しました。

天然の要害に築いたダビデの町
 武田信玄と言えば、今年のNHK大河ドラマ『真田丸』の主役の真田一族は武田氏に仕えていたのですね。先日放送された第1回では、真田幸村の父親の真田昌幸が親方の武田勝頼に真田氏の城の岩櫃城(いわびつじょう)に入るよう進言していました。この岩櫃城は天然の要害になっているので攻め落とされる心配はないと言っていました。それで私は、武田氏が久能山も山城にしていたことを思い起こし、この時代の武将たちにとって城を天然の要害に作ることは防衛上、非常に重要なことだったのだなと改めて思いました。
 きょうの聖書箇所のダビデが町を築いたエルサレムのシオンの丘もまた天然の要害になっていました。カレンダーの写真を見ても丘になっていることがわかりますから、正に天然の要害であることが納得できます。このようにエルサレムは地形的に天然の要害となっており、そしてダビデはその周囲にさらに城壁を築きましたから、守りは万全のものになりました。
 後に北王国イスラエルのサマリヤがアッシリヤに攻め滅ぼされた時、アッシリヤは南王国のユダをも攻めました。そしてユダにある町も攻め落とされて行きましたが、最後に残ったエルサレムだけは攻め落とされませんでした。それはヒゼキヤ王の信仰が主の目に適っていたからですが、もしエルサレムが天然の要害になっていなかったなら、ヒゼキヤ王が祈る前に攻め落とされていたのではないでしょうか。
 さらにその後、エルサレムはバビロン軍の攻撃によって攻め滅ぼされます。それは、当時の王たちのエホヤキム王、エホヤキン王、ゼデキヤ王たちが皆、主の目の前に悪を行う悪王たちだったからです。エルサレムがいくら天然の要害の鉄壁の防御を誇る町であっても、中にいる王たちが主の目の前に悪を行っていたのでは、主は守っては下さいません。ですから、先ずは先日の会堂祈祷会で開かれたマタイ7章のように私たちには岩のような信仰の基盤が必要です。先ず、内をしっかりと固めて私たちは一つになる必要があります。しかし、それだけでは少し足りないようです。岩の基盤を持った上でさらに要害とならなければならないと感じています。

おわりに
 いま私は、31日の教会総会の礼拝のメッセージでは聖書のどこを開くべきか、あれこれ考えています。教会総会の前までは幕屋の話を続けますが、総会はどうすべきか少し迷っています。幕屋の話を続けるのか、或いはまた総会の日は違う箇所を開くことにするのか、もし違う箇所を開くとしたらどこが良いのか。そうして、いま候補として上がって来ているのが、エペソ人への手紙の6章です。
 私たちは自分たちの信仰をしっかり固める必要もあり、なお且つ外からの揺さぶりにも備えなければなりません。会堂問題は主が不思議と祝して下さっています。しかし、このように祝されている時は悪魔もまた策略を練っている時でもあります。私たちは、このことも心しておかなければならないと思います。
 きょうはエペソ6章の説明はしませんが、最後に、この箇所を交代で読んで、きょうのメッセージを閉じたいと思います。エペソ人への手紙6章10節から19節までを交代で読みましょう。

6:10 終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
6:11 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。
6:12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
6:13 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。
6:14 では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、
6:15 足には平和の福音の備えをはきなさい。
6:16 これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。
6:17 救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。
6:18 すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。
6:19 また、私が口を開くとき、語るべきことばが与えられ、福音の奥義を大胆に知らせることができるように私のためにも祈ってください。

 このように外からの攻撃にも備えることができる時、私たちの信仰は強固な岩盤の上に立つだけでなく、さらに万全な要害となります。
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