最近、「明治天皇御巡幸小島行在所」改修記念のイベントに、今何かと話題の竹田恒泰氏が来熊して講演したというニュースを見たので一度見てみたいと思い、所用で坪井川の川向こうを通った際、同行していた母と一緒に立ち寄ってみた。中には入れなかったが、その佇まいはさすがに風格を感じさせる。
明治天皇に随行したのは、天皇の信頼厚かった西郷隆盛だが、このわずか5年後に逆賊として世を去るとは、天皇はもちろん、誰が考えただろうか。
掲示板には次のように記されていた。
軍艦「龍驤」に乗艦された明治天皇は、日進、春日などの六艦を従えられ、明治5年6月17日長崎を経て夕刻小島沖に御停泊。直ちに上陸されてここに一泊されました。肥後の地に天皇が行幸されたのは、歴史はじまって最初のことでした。
お召艦「龍驤」は、肥後藩で英国に注文して建造され、明治3年朝廷に献上された日本最初の鋼鉄艦で、排水量2570トン、砲門9、乗組員270人でした。
なお「龍驤」の船首の一部が熊本城天守閣の一階に保存されています。
この由緒の地は新屋敷町の米村基一氏の所有でしたが、熊本市に寄贈され現在市で管理しています。
明治天皇に随行したのは、天皇の信頼厚かった西郷隆盛だが、このわずか5年後に逆賊として世を去るとは、天皇はもちろん、誰が考えただろうか。
掲示板には次のように記されていた。
軍艦「龍驤」に乗艦された明治天皇は、日進、春日などの六艦を従えられ、明治5年6月17日長崎を経て夕刻小島沖に御停泊。直ちに上陸されてここに一泊されました。肥後の地に天皇が行幸されたのは、歴史はじまって最初のことでした。
お召艦「龍驤」は、肥後藩で英国に注文して建造され、明治3年朝廷に献上された日本最初の鋼鉄艦で、排水量2570トン、砲門9、乗組員270人でした。
なお「龍驤」の船首の一部が熊本城天守閣の一階に保存されています。
この由緒の地は新屋敷町の米村基一氏の所有でしたが、熊本市に寄贈され現在市で管理しています。
熊本市