徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

熊本城 と ザ・わらべ

2017-01-11 19:51:48 | 音楽芸能
 一昨日、熊本城二の丸広場で、はつ喜月若(くるみ)さんの成人式写真撮影の時、お母様が傷ついた天守閣の方を眺めながら「くるみは本当にいい時代に育った・・・」と、しみじみとおっしゃった。たしかにおっしゃるとおりで、ザ・わらべのリーダーとして活躍した約10年、熊本城は彼女と仲間たちにとっての大舞台でありOJTの場だった。熊本城は彼女たちにとっての学校だったと言っても過言ではない。もちろんそれはそういう場を提供し続けた中村花誠先生のご尽力によるものなのだが。
 ザ・わらべが初めて熊本城のイベントに登場したのは、足かけ3年にわたって繰り広げられた「熊本城築城400年祭」が終盤にさしかかった2008年1月のことである。「冬絵巻 迎春・華舞台」という舞台に登場している。さらに創作舞台「清正公 新春の言祝ぎ」では大勢のプロの役者などに混じって女芸人として登場した。この時、ザ・わらべの三人は小学5年と4年だった。
 そして、本格的に熊本城のイベントに登場し始めるのが2010年のこと。この年から本丸御殿がイベント会場として使用できることになり、「春の宴」や「秋夜の宴」などが頻繁に行われるようになった。そしてその多くでメインキャストとして成長していったのが、ザ・わらべだった。本丸御殿を始め、二の丸、奉行丸、竹の丸、そして城彩苑など城内の各所で踊りを披露した。
 2013年には舞踊団花童として法人化され、活躍の場も広がる一方だ。しかし、花童の骨格が形成されたのは熊本城内の各舞台で展開された花誠先生一流のOJTであることは間違いない。今、熊本城は熊本地震からの復旧・復興を目指してやっと踏み出したところだが、ザ・わらべが育ったような環境に戻るのはいったい何年先のことだろう。


▼2008年1月 二の丸「熊本城築城400年祭・創作舞台「清正公 新春の言祝ぎ」

※クリック拡大してご覧ください


▼2008年1月 奉行丸「熊本城築城400年祭「冬絵巻 迎春・華舞台」






▼2010年3月 長塀前「熊本城坪井川園遊会」
熊本市議会議員 田尻善裕先生よりお借りしました

▼2011年5月 本丸御殿「春の宴スペシャル」


▼2011年10月 竹の丸「くまもと秋のお城まつりオープニング」



▼2012年10月 奉行丸「秋夜の宴スペシャル」


▼2013年9月 本丸御殿「秋夜の宴」



▼2014年3月 二の丸「城下町くまもと時代絵巻エピローグ」



▼2015年3月 二の丸「くまもと春のお城まつり・くまもとをどり」







▼2012年3月 二の丸「くまもと春のお城まつり・くまもとをどり」


▼2012年5月 本丸御殿「春の宴千秋楽」


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2 コメント

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Unknown (呑兵衛あな)
2017-01-12 10:41:43
たいへん感慨深いものを感じながら写真を拝見しました。
30年ほど経って、熊本城が以前の姿に戻った時、ザ・わらべの娘達はどこで何を思い、語るのでしょうか。
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Re: 呑兵衛あな様 (FUSA)
2017-01-12 13:28:16
ありがとうございます!
おっしゃるとおりで、何十年か経った時、彼女たちは遠い過去の輝ける日々を回想し、懐かしむことでしょう。
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