徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

酒井先生の思い出

2024-03-28 22:06:43 | 友人・知人
 先日まで行われた「春のくまもとお城まつり」などで熊本城二の丸広場に行くことが多いが、西大手門への通路の脇にある「歩兵第十三連隊の跡」記念碑を見る度に9年前に94歳で他界された酒井恭次先生のことを思い出す。酒井先生は僕がブリヂストン時代に最もお世話になった横浜工場の産業医で、亡くなられるまで年賀状のやり取りが続いた。亡くなられる数年前から、年賀状には必ず、戦時中熊本の「西部第十六部隊」に入営された頃の思い出が書かれていた。「西部第十六部隊」というのは、この記念碑の「歩兵第十三連隊」の後身の部隊のことである。よほど懐かしい想い出だったのだろう。
 久留米ご出身の先生は横浜工場勤務が永かった。僕が東京勤務だった30数年前、横浜工場の酒井先生のところへ新医療システムの相談で度々お伺いした。お伺いすると必ず、終業後は横浜の街へ繰り出すのがお決まりだった。行きつけの店へ行くと先生は必ず、財布を店の女将に預けた。精算は女将にまかせて店を出る時、財布を受け取って帰るというのがお決りだった。ある時、2、3軒回った後、カラオケバーに入った。先生は病院に出入りしている製薬会社のプロパーさんを呼び出した。それは、その若い男性のプロパーさんはおそろしく歌が上手い人で、先生は僕にそれを聞かせたかったのだろう。特に松田聖子の「SWEET MEMORIES」や「赤いスイートピー」などは絶品だった。テレビなどで松田聖子の「SWEET MEMORIES」や「赤いスイートピー」を見る度に先生とあの夜のことを想い出す。


歩兵第十三連隊の跡