のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

わが心は石やきいも

2006年12月05日 | 日記・エッセイ・コラム

061205b  北風が吹くこの季節になると石やきいもの軽トラが出現します。「い~しや~きぃ イモォ~」あの独特のメロディーと節回し。トルコやアラブのモスリムの祈りの時間(サラート)を告げるアザーンのようです。

 これらの国では1日5回メッカへ向かって祈りの時間を告げるアザーン(祈りの時間を呼びかける声)が流れますが、石やきいもは来る日もあれば来ない日もあります。

061205a  イノシシが畑のサツマイモみんな食っちまったもんですから、石やきいもの写真がありません。変わりに石焼ビビンバで勘弁してください。

 本来なら今頃枯れ葉を集めてイモを焼いていましたが、イノシシが。

 サツマイモを食べさせて育てた良質な黒豚の肉なんて耳にするだけでも腹立たしい!そんなの天然物が山をうろついています。

 いつの日か、未曾有の飢饉がこの日本を襲い、極端な食糧不足に陥った人々はゴルフ場にイモを植える日が来る!そんな希望を抱きながら農産物を作っています。

061205c 農作業から長く遠ざかっていた農耕民族日本人には既にイモを作る技能さえなく、そんな時代に私はゴルフ場にインストラクターとして請われてイモ作りを教えに行く予定です。

 その名の通りカントリークラブとなったゴルフ場には、ラコステのモンペやフィラの半纏来たハイソサエティーな人たちが集まっていて、キャディさんが「社長、ここからのラインはフックしていますから、畝が曲がらぬよう気をつけてください。」なんてアドバイスし、鍬を振って掘り起こしたゴルフ場にサツマイモの苗を植えたり、肥料をすきこんでいく。

 クラブメンバーの話題も「ダンロップの堆肥はよく効く。」とか「最近、ミズノのチタンヘッドの鍬に変えたらスコアが伸びた。」「カーボンシャフトの鍬に限る。」なんて話題になり、鍬を振った数が多いほどスコアは上になる。ゴルフクラブのメンバーは配当のサツマイモを感謝のあまり涙ながらに持ち帰っていく。なんと麗しい光景でしょうか。

 私なんか鍬振りのレッスンプロで「社長、いいスウィングしていますね!もう少し手首を鍛えれば畝が5cm深くほれるようになりますよ!」なんて指導して謝礼をもらうヤクザな稼業。

 小麦を植えたホールも収穫はコンバインなんて野暮ったいものは使わず、大鎌で手刈り!最後は収穫に感謝して黄昏の畑で仏様にお祈りして、ミレーの絵画のような美しい光景が広がります。

 こうしてクラブのメンバーが手間隙かけてゴルフ場に農作物を作れば、ビジターも容易には近づけず、ゴルフ場の会員権は価値が上がります。

 早く世の中がひっくり返るような飢饉が日本を襲わないか、楽しみにしています。

 「戦争中、飛行機の操縦の訓練を受けていたものの中で、現在も民間航空機のパイロットになっているものはいる。だが敗戦末期に〈死の操縦〉を学んだものの中で、いまも操縦士であるものはいない。それは航空時間が乏しく、操縦技術においておとるからだけではない。一つの意図のもとに修得したその同じ技術を、他の目的に転用することは、別の職種に転ずることよりも心理的により困難だからだ

061205  高橋一巳の「わが心は石にあらずに出てくる有名な言葉です。元特攻隊のパイロットがジャンボジェットに満員の乗客乗せて、片道分の燃料積んでハワイに向けて「行きます!」とフライトされては穏やかではありません。

 ソビエト時代に最先端の科学技術(軍事技術)を持った科学者やエンジニアはたくさんいましたが、ソビエト崩壊後のロシアではこの技術を有効に活用できなかったことに混迷の一因があったと思います。

 一部の人たちは国外へ脱出し、さらにその中の一部の人たちは新興核保有国の核爆弾製造やミサイル技術の流出が流出し、新たな細分化された脅威を作ってしまいました。

 最先端の現場にいた科学者やエンジニアの中でも、他国へ出なかった人は多数いますが、第一線を離れた後は国内でも遠方の地や、かつてのソビエト構成国に移り住んで科学や技術とは孤立無援の生活をしている人たちも多いです。

 のんびりとたそがれの海辺を散歩している夫婦が、実は大陸間弾道ミサイルの設計者だったなんて事は往々にしてありえそうです。かつてのソビエト政治局幹部で今ホームレスを営んでいる人物にお目にかかった事はありますが、大物技術者にはまだお目にかかっていません。

 ソビエト崩壊後の混乱期、こうした科学者や技術者が外国に高く買われるともくろんだマフィアが、科学者の誘拐を企てたり、暗殺を企てる(実行されたこともあったようだけど)事件は頻繁にあったようです。

 石の森章太郎のマンガ「サイボーグ009」や、最近深夜のテレビで放送している「鉄人28号」には、こうした戦争に加担した科学者たちの愛憎が背景に見られますが、今のロシアの背後ではこうした科学者の悲哀がまだ存在しているように思えます。

 第二次大戦後の日本が聡明だったのは、技術や科学を極めるよりも、咀嚼して広く取り入れる方向に持っていったことでしょう。道具を磨き上げることに力を注いでいたソビエトと、道具は使い方を模索していった日本との明暗かもしれません。

 「何ものかへの奉仕こそがその人の心を支え勇気づける」同じ著書「わが心は石にあらず」の中で高橋和巳はこのように言っています。

 さて、話は変わりますが、ソビエト時代から日本の小説がロシア語に翻訳されて読まれていました。これがまた日本でもマニアックな作品が読まれていたりするので驚かされることがあります。

 高橋和巳もロシア語に翻訳されて読まれているようですが、私が本屋で見たのは唯一「邪宗門」だけでした。はたしてあの難解な文章がどう解釈されているのだろうか興味ありますが、難解な小説が意外と人気があったりもします。

 安部公房の難解でおどろおどしい心理ゲームのような小説は今でも人気があります。「砂の女」はロシアでも人気がある小説なのだそうです。私はしばしば安部公房の「砂の女」と松元清張の「砂の器」と高橋和巳の「悲の器」が混沌となってしまうのですが、この三つともロシア語で出版されているようです。

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