のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

2024年03月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 一日雨ふりでした。仕事にならないので今日はお休みして、本を読んですごしました。

 夕方、免許をとったばかりの甥がクルマを取りに来ました。駅まで迎えに行ったのですが、駅の様相が変わっちゃって”どうやって電車に乗るんだ?”改札口にバーコード読み取りみたいな機械が設置されているだけで、オムロンが開発した切符を差し込む自動改札も見当たらない。更に、駅員も見当たらない。ついでに乗客も見当たらないので、どうやって改札を通過しているのかわからない。 

 私が電車を利用していた頃はようやく自動改札なるものが出てくるんじゃなかろうか?と言う時代だったので、改札には駅員が立って切符切りのはさみを無駄にカチャカチャ鳴らしてリズムをとっていました。そういえば、お江戸に出陣するとき、この駅から大きな布団袋を送ったもんで、まだ宅急便もなかった。今頃だったなぁ。アパートに布団袋送ったのは。顔なじみの駅長さんに「いよいよこっちを離れちゃうのか。活躍しろよ!」なんて言われて、意気揚々でしたが、活躍と言う意味ではこの駅長さんの方が立派で、定年後にホテトル嬢とラブホに行って名誉の服上死。ホテトル嬢はそのまま逃げちまって、遺体で発見の栄誉ある末路をたどられた。まさに立派な特攻精神を体現され英霊となられた。

 待合室でしばらく電車が来るのを待っていましたが、かつてはキオスクと呼ばれる売店があって、トルコ語でほったて小屋とかあずまやなんて意味ですね。ロシアでは道端にプレハブの小屋で物を売っている店をキオスクと呼んでいましたが、元はトルコ語。

 まだ国鉄の時代で、山口百恵が布教した「いい日旅立ち」で人々の心は北の空に向かっていた。大学受験が始まったころで、キオスクの横に貼られた花巻のポスターになんだか引き寄せられちゃって、花巻と言う文字に妙に暖かで豊かな土地がイメージされて、学校さぼってそのまま電車を降りずに大宮に行って東北線に乗って花巻まで行っちゃったことがありました。共通一次試験が終わってほどなくでしたから1月でしたが、花巻はその名の通り激寒で雪は降って来るし、段ボールにくるまって駅で一晩過ごして帰ってきました。

 駅とは、人生劇場に満ちている。なんて思い返しながら待合室で電車を待っていましたが、かつては川端康成の雪国の舞台となった上越線も新幹線が開通してから1時間に一本しか電車が来ない。なんだか時代が寂しい方向に向かっているぁ。なんて思いながら電車を待ちました。

 キオスクはトルコ語で思い出したのは、スキー場にもドネルケバブの店が出たことで、トルコ料理って世界三大料理なんですね。西川口で問題起こしている連中とは違うまっとうなトルコ人のにいちゃんと時々話をしますが、豚肉食べない系の人々にとって日本は結構過ごしやすいところなんだそうです。空港にはお祈り族のために祈祷所があるし、街の中にもこうした場所が設置されているらしく、豚肉食べない教に配慮した食事を出す店も多いし、大切にしてもらっている。モスクワの劇場で銃乱射したり、西川口で暴れるような連中が腹立たしいと先日言ってました。

 案外「多様性」なんて旗を持ち上げる連中のほうが自分たち以外の考えを認めない排他性に凝り固まっているもんですが、多様性なんて物差しで測れるもんじゃない。むしろ意識しない方が多様性に配慮しているもんです。

 甥を連れて家に戻る途中ラーメンを食べに行きました。塩ラーメンでも醤油ラーメンでも好きなものを食べなさい。免許取ったお祝いに味噌ラーメンでもいいぞ!と、醤油ラーメンの大盛食わせて、「お母さんが紅麹サプリ買って今パニックになっている。」紅麹サプリで死者が出ているのだとか。最近ニュースも見ないようにしているので詳しいことはわからないけど、「紅麹」の文字は何度か目にしたな。何かと問題があった宝塚のスターの芸名か?なんて思っていましたが、そのままズバリ麹菌みたいで、健康のために命を懸けているんですね。

 燃料は満タンにしておいたからな。と、甥は私の乗用車に乗って帰りましたが、初心者マークを置き忘れてきたので、代わりに高齢者マークを張っておきました。どうせほどなくぶつけることだろうから車検所のコピーを送って保険には入ってもらいましたが、「伯父ちゃんが自動車税払ったら名義変更するね。」恐ろしいまで現実をわしづかみしている若い世代。手ごわい。

コメント
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