のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

巣鴨のマグロ

2024年03月15日 | 日記・エッセイ・コラム

 ぽかぽかと眠くなるような温かい日中でしたが、夜は台風並みの強風が吹き荒れました。

 夕方、近所の老夫婦宅に顔を出すと、先週はバス旅行でお江戸見物してきたんだそうです。まだ桜の花にはちょっと早い季節でしたが、そんなのこの辺だって桜なんか咲くのだから、それよりうまい食い物!と、柴又帝釈天のウナギ食ってきたそうです。スカイツリーにも行ってきたそうです。

 一泊して翌日は巣鴨のとげぬき地蔵尊をお参りしてきたとかで、おばあちゃんの原宿と呼ばれだしたころはあざけわらっていたものの、今やそのファッション感性がぴったりと納得できるおばあちゃん世代になっていたことを実感したと奥さんが申してました。やがて我々世代もそういう感覚になるのだろうか?

 なんたって、言葉にとげがありますからねぇ。

 私がお江戸にいたころ原宿のタケノコ族なんてのが話題になっていましたが、お目にかかったこともなければ、着るものには無頓着だったので気にしたこともなかったのですが、原宿が天皇家の御用列車の発着駅だということもあって、菊の紋章が入った列車を見に行ったことがありました。

 あの時代、竹下通りあたりだろうか?シャンゼリゼと言う喫茶店がありまして、グランドピアノが置かれていて、時折スタッフがダブルベースとピアノで生演奏などしていましたが、このピアノが自動演奏期の付きのピアノで、勝手に鍵盤が動くんですね。これが実に興味深くて何度も見に行ったことがありました。

 巣鴨はねぇ。初めて行ったのは巣鴨プリズンの跡地を探しに行ったんですよ。後にその跡地が池袋のサンシャイン60だと知ったのですが、戦犯で処刑された人の人数が60人だったことから、この60を用いている裏事情などを聞くことになるのですが、事後法で裁かれた東京裁判への静かな抗議を感じました。巣鴨プリズンってもっと町はずれにあるようなイメージだったんです。

 巣鴨プリズンはGHQの押収以前は東京拘置所と呼ばれ、ゾルゲ事件のリヒャルト・ゾルゲやその協力者の尾崎秀実なんかが処刑されていたんですね。

 昭和23年12月23日に東条英機が処刑され、その翌日に娑婆に出てきたのが安部元総理のおじいさんの岸信介。「幸せの黄色いハンカチ」では網走刑務所を出てきた高倉健がおいしそうにカツどんを食べるシーンが名演技で、娑婆に出たらカツどんのイメージが定着してますが、岸信介はマグロの刺身が食いたいと言ったそうです。弟の佐藤栄作の家に行って念願のマグロの刺身を食べたけれど、拘置所で食べたときのおいしさは感じなかった。以後、「マグロの刺身は巣鴨に限る」と言う名言が生まれたそうです。

 こうした話を伺えたのが巣鴨とげぬき地蔵尊の高岩寺付近のビル建設工事の現場にアルバイトに行ってた時で、商店街の居酒屋のカウンターで隣に座っていた名も知れぬおやじさんに伺いました。ついでに、マグロの刺身をおごらされました。授業料?

 ふとそんな昭和のことを思い出しました。

コメント
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