のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

季節感

2024年03月25日 | 日記・エッセイ・コラム

 イチゴのシーズンも終わりだとかで、残り物をいただきました。

 ふと考えたのですが、イチゴの季語っていつだっただろう?本来初夏のはずだけど。私も露地栽培でイチゴを作っていたことがありましたが、秋の終わりごろ株を分けて植え替えをして梅雨時になると実をつけていました。こうしてストレスを与えてやらないと甘みを出さないんですね。

 ハウス栽培が中心になってイチゴの最盛期はいつ?となると、今頃か、クリスマスごろか?完全に季節感がおかしくなった果実ですね。

 でも、おいしくいただきました。ごちそうさまです。

 カン太君のおとっつぁんと農協のガソリンスタンドに行ったら、大宮ナンバーの日産セドリックが給油していました。かつてはクラウンと並ぶ日本を代表するセダンでしたが、20年位前に販売終了してしばらく動いているクルマを見かけることはなかった。さすが高級車!ガソリン63リットルも入ってました。ガソリン価格高騰の今のご時世、恐ろしくて給油なんかできない。ちなみにこちらの軽トラ19リットルでした。気のせいか、農協のスタンドの態度が違う。

 「セドリックって人の名前だったんですよね。」とカン太君のおとっつぁんが言うので、フランシス・ホジソン・バーネットの小説「小公子」の主人公の名前だね。「あ!それ、セーラが出てくる奴!」違うよそっちは「小公女」。セドリックはアメリカの少年の名前だったね。たしか、父親の実家の跡取りが死んで英国に養子に行った少年。セーラはお嬢様だったけど親が死んで家が倒産して雑用の仕事をしながらもしっかりと生き抜いた少女の物語だったよね。どちらも同じ作家の小説だよ。

 どちらも貧しさや逆境にめげず高貴さを失わない少年少女を描いた物語で、見栄はあっても誇りはないニダやニーハオでは受け入れられないだろうな。昨今のUSAだって厳正御利益第一主義化しているので、100年前の製品の精神なんぞ見向きもされないかも。せめて我々だけでも美しい貧乏人でいよう!

 

コメント
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