norinorimiffyの日記

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だれかに ちょっと聞いて欲しいお話
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27日 の 言葉

2015年01月27日 | 言葉

こんな詩を ご紹介すると

何か あったのかしら?と 思われるかもしれませんが

特に何もなく 平々凡々と暮らしております

でも 工藤直子さんのこの詩を 読むたびに

今まで 幾たびかあった この詩と同じような時を

少し 愛おしいような気持ちで思い出す自分がいます。

「あ・・・ こういう時ってあるよね」と そんなふうに思える詩。

 

「こころが くだける」というのは

たとえばなしだと思っていた ゆうべまで

今朝 こころはくだけていた ほんとうに

 

ひとつひとつ かけらをひろう

涙がでるのは

かけらに日が射して まぶしいから

 

くだけても これはわたしの こころ

ていねいに ひろう

(工藤直子「こころ」)

 

 

 


26日 の 言葉

2015年01月26日 | 言葉

生きていれば いろいろなことがある。

最近 そう思うことが多くなりました。

昨日の 叔父の法事も 叔母の方は わたしの夫の側の叔母で 宮城県の出身のため

宮城からの 叔父叔母も来ていました。

前の3回忌が 同じように一月で あの東日本大震災はその年の3月にあったのです。

地震も津波も あまりにも理不尽な天災。

人は それでも 乗り越え 生きていかなくてはならない。

昨日来た 叔父叔母は無事でしたが あの時 亡くなった叔父叔母もいます。

ある日突然 奪われてしまった命。生き残った人は その思いも受けて頑張って生きていかなくてはなりません。

でも 人は 一人ではない。

そんなことを 考えていたら こんな詩に出会いました。

 

 

他のひとがやってきて

この小包の紐 どうしたら

ほどけるかしらと言う

 

他のひとがやってきては

こんがらがった糸の束

なんとかしてよ と言う

 

鋏で切れいと進言するが

肯じない

仕方なく手伝う もそもそと

 

生きているよしみに

こういうことが生きてるってことの

おおよそか それにしてもあんまりな

 

まきこまれ

ふりまわされ

くたびれはてて

 

ある日 卒然と悟らされる

もしかしたら たぶんそう

沢山のやさしい手が添えられたのだ

 

一人で処理してきたと思っている

わたくしの幾つかの結節点にも

今日までそれと気づかせぬほどのさりげなさで

(茨木のりこ「知命」) 

 

 

さりげなく添えられた たくさんの手に

助けられていること

忘れないでいたい。

 


25日 の 言葉

2015年01月25日 | 言葉

今日は 私たち夫婦が大変お世話になった 叔父の 7回忌でした。

寒い日が 続いていたのに 今日は 暖かい日差しがあふれて

やさしかった叔父の 人柄が偲ばれました。

そういえば 1回忌も 3回忌も あたたかい日でした。

法事の後 お墓参りに行ったとき ふと一回忌の時のことを思い出しました。

お墓のあるお寺の掲示板に載っていた詩。

今日は さすがにもう貼っていませんでしたが

一回忌の時と同じように ちょっとせつなくなるほど いいお天気だったので

その詩のことを 思い出したのでした。

帰ってから その日のブログを辿って見ると ちゃんと記録がありました。

こういうことがあると やっぱりブログをやっていてよかったな~と思います。

ブログには こうあります。

 

明るい冬の日差しの中
叔父が 私の背中をポンと押してくれたようで


5年たって また わたしの背中を押してくれたのですね。

「この詩を 思い出させてくれて ありがとう」


 これでいいのだ。
それは、赤塚不二夫さんが、
漫画の中で幾度もくり返してきた言葉。

 現実はままならない。
うまくいかないことばかり。
毎日のほとんどは、これでよくないのだ、の連続だ。
自分を責めて、誰かを責めて、何かを責めて。
そして、やっぱり自分を責めて。 

だけど、ためしてみる価値はある。
これでいいのだ、という言葉のちからを。
信じてみる価値はある。
あなたが、もうこれ以上どうにもならないと
感じているのなら、余計に。

胸を張る必要はないし、立派になんて、別にならなくたっていい。 

「あなたは、あなたでいいのだ。」

あなた自身がそう思えば、世界は案外、笑いかけてくれる。 

人生はうまくいかないことと、
つらいことと、つまらないこと。
そのあいだに、ゆかいなことやたのしいことが
はさまるようにできているから。 

どうか、あなたの人生を大事に生きてほしい。

(acコマーシャル「あなたはあなたでいいのだ」より)


叔父の好きだった 蠟梅の花

そろそろ 咲いているかしら 今度 見に行ってみよう。




24日 の 言葉

2015年01月24日 | 言葉

我が家の 沈丁花は まだ・・・

 

一昨日か スーパーの駐車場から 店内に入ろうとしたとき

沈丁花の香りが どこからかやってきました。

「寒い日だけれど 春は 少しずつやってきているのね」と ちょっとうれしい気分

その時 思い出した詩。

工藤直子さんが 続きますが ご紹介したいと思います。

 

ジンチョウゲが匂い

ハコベの白い花が咲いていたりすると

なんだか「よし! よし!」とうなずいて

じつに気合がはいるのである

 

麦の金いろの穂がゆれ

アリが荷物をかついで歩いていたりすると

なんだか「うん! うん!」とうなずいて

じつに張りきっちまうのである

 

じつにもう なにか・・・

なんでもよいから始めたくなるのである

そして 太陽をみあげ

(なにはともあれ ともかく)なんて

わけもなく つぶやいて

わけもなく 安心するのである

 

今日もちゃんと 今日だな と

(工藤直子 「今日」)


23日 の 言葉

2015年01月23日 | 言葉

冬の木を見ていると 思い出す詩があります。

冬枯れの枝は 寒々しくて 寂しく見えるけれど

この詩に出会ってからは また違う気持ちで 眺めるようになりました。

 

葉がおちた はだかの冬の木の

枝のさきは 寒くて淋しいか?

いいえ はればれ笑っています

枝先に 春夏秋が あつまって

出番をまって 遊んでいるから

(工藤直子 「冬の祭り」)


22日 の 言葉

2015年01月22日 | 言葉

昨日 ご紹介した 長田 弘さんの詩の中に

「嘘でしょう イソップさん」という詩があるらしくて

その一節が 長田さんを検索しているうちに 幾度か目にするのですが

長詩であるからか 全文を読むことが出来ていません

でも 紹介されている詩の一節に 「なるほど」と思えるものがあったので

全文を読まないうちに ご紹介するのも どうかと思いましたが

実は 昨日の毎日新聞にも 同じ一節が引用されていて その言葉に私がこころ惹かれて長田さんを調べてみようと思ったので

今日は それを 本日の言葉にしようと思います。

 

 

気をつけたほうがいいのだ

何事も きっぱりと 語る人には

 

です。であります。なのであります。

 

語尾だけを きっぱりと 言い切り

本当は 何も 語ろうとしていない。

 

ひとは 何を きっぱりと語れるのか

 

語るべきことを もつ人は

 

言葉を さがしながら むしろ

 

ためらいつつ 語る。

(長田 弘「嘘でしょう イソップさん」より)

 

 

きっぱりと 言い切らなければ 「自信がないのか」と責められる。

どう語ればよいのかと 言いよどむと 「どうしたいのか」と言われる。

そんな 世の中になってきたような 気がします。

言葉を選びながら 語ることの大切さを 考えています。


21日 の 言葉

2015年01月21日 | 言葉

昨日の毎日新聞朝刊の中で 長田 弘さんという詩人の名前を見つけました。

少し気になって PCで検索をかけてみたら

阪南大学図書館のサイトにたどりつきました。

ここでは 大学の教員や図書館員の方々が 詩人や本について述べておられますが

その中で 長田 弘さんも 祈ること・あること・もつこと~長田 弘の言葉~と題して 紹介されていて

いくつか詩も引用されていました。

その 引用された詩の中で 心に残ったものがありましたので

それを 本日 21日の言葉にしたいと思います。

 

 

    立ちどまる。
    足をとめると、
     聴こえてくる声がある。
     空の色のような声がある。

      木のことば、水のことば、
     雲のことばが聴こえますか?
      石のことば、雨のことば、
     草のことばを話せますか?

     立ちどまらなければ
      ゆけない場所がある。
      何もないところにしか
      見つけられないものがある。

(長田 弘「世界は一冊の本」より「立ち止まる」)

 

少しでも早く 決着をつけること

すぐに 判断して 結果を残すこと

それが 評価されることが 多いような気がします。

ちょっと 立ち止まって考える余裕がほしい。

自分も そして 世の中も

そう 思います。

 


20日 の 言葉

2015年01月20日 | 言葉

昨日 ご紹介した本の中から

今日は もう一つご紹介して

20日の 言葉にしようと思います(ちょっと手抜きかも・・・) 

 

いのちの輪


暴力を前にして

おののきふるえぬものはいない

私たちは死をおそれる

わたしたちはみな生を愛する

 

幸せを求めているものを傷つけて

幸せになれるだろうか?

 

なぐればなぐり返される

刺せば刺し返される

撃てば撃ち返される

殺せばあなたも殺される

 

あなたのいのちはつながっている

他のすべてのいのちと

(谷川俊太郎「すこやかに おだやかに しなやかに」よりいのちの輪)


 

 

いのちはつながっている 他のすべてのいのちと

皆が そう思うことができたら

お互いが傷つけあうことはなくなる と 思うのですが・・・

 

 


19日 の 言葉

2015年01月19日 | 言葉

毎日 言葉を探していると

昔 買った本などにも 目が行ったりして・・・

本棚の片隅から こんな本が出てきました。

谷川俊太郎さんの詩集ですが あとがきにはこうあります。

このささやかな詩集も そのような言葉のひとつである『ダンマパダ』から生まれました。トマス・バイロムによる英訳を基本にして わたしは自分が共感するところを自由に日本語にしてみたのです。

「ダンマパダ」 ??? はてなんでしょう??? 気になる方はクリックしてください。

簡単に言えば お釈迦様の言葉のようです。真理の言葉とも訳されます。日本語では「法句経」と言います。

その言葉の中のいくつかを 谷川俊太郎さんのことばであらわした本です。

心痛むことが多い昨今。

久しぶりに この本を読むと 言葉が胸に沁みてくるようでした。

ひとつ ご紹介して 今日の言葉にしたいと思います。

 

おだやかに

追い求めると

楽しみには哀しみしか残らない

甘えると

苦しみはいつまでもうずく

 

失うもののないこころには

喜びが流れこんでくる

 

怒りが閉ざす

こころを閉ざす

うぬぼれがしばる

こころをしばる

 

おだやかにあれ こころよ

のびやかに しなやかに はれやかに

(谷川俊太郎「すこやかに おだやかに しなやかに」より)

 

 

 


18日 の 言葉

2015年01月18日 | 言葉

我が家の長男は 朝早く仕事に出かけます。

今は 明るくなるのが遅いので 彼が出かける時は まだ暗いことが多いです。

一昨日 彼を送り出すとき ふと西の空を見ると

星が一つ 出ていました

パッとデジカメで撮ったので あんまりいい写真とはいえませんが

少し白み始めた空に 星が一つ。

思わず こんな詩を思い出しました。

今日の言葉は まどさんのこの詩にしようと思います。

 

 

いちばんぼしが でた

うちゅうの

目のようだ

 

ああ

うちゅうが

ぼくをみている

(まどみちお「いちばんぼし」)

 

 

一番最初に出る星を いちばんぼしというのなら 最後にお空に残った星はなんというのでしょう。

一所懸命光っていたので いちばんぼしで いいですよね