のら猫の三文小説

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新しい子猫たち No.575

2015-09-28 00:01:14 | 新しい子猫たち 

香奈は、ジブトラストがどれ程、利益が出ようと、ジブシラストから、恵への財団への寄付の比率は変えなかった。









財団で必要とする資金が足りない、初期の頃は寄付を増やした事があったが、ジブトラストの利益が急増して、爆発的に増えてからは、もう一定比率を維持していた。









恵も財団としてけっして無駄使いはしなかった。ジブトラストからの寄付が膨大になろうとも無駄使いはしなかった。必要となる経費はケチらなかったが、経費で酒のむ事は許さなかった。









飯食うのは限度を決めて認めたが酒飲みながらする会議など認めなかったし、夕方になれば晩飯を食う経費は認めるものの、酒飲む事を経費には決してしなかった。









財団が膨張するにつれて、それは鉄則となった。恵教政治連盟もそれを従っただけの話だった。









恵の財団は初期の頃は、治部一族の無税扱いの資金管理財団とか言われていたが、母の子のための施設が全国に散らばって、公的な施設ともみなされるようになるにつれて、そんな声もいつしか消えた。









公的施設なら金をとるが、恵の財団では、低所得の人たちは無償になった。公的施設よりはゼニは安く、施設は完備していた。日本の公的施設の中核となるのに時間はかからなかった









恵の財団が特定社会保障財団となって、財源も制限を受けなくなって、寄付も利益の特定比率までは無税扱いになったが、これもジブトラストから財団にしていた比率を準じたものだった。









むしろ、こうした施設の監督主体の厚生労働省の奴らとジブトラストに最初の天下りが入るようになって、協力して最初にした仕事の成果ともいえた。それまでは税金関係なく、財団への寄付は続けていた。









ただ香奈は、香奈オフィス時代から、税金の安い、タックスヘイブンに資産管理会社を置いて、そこから運用を受ける形にするなどの節税対策は、もはや身に染みついていたので、そうした対策は常にしていた事はいうまでもなかった。









ただ表面的には利益の一定比率を恵の財団に寄付する事はけっして変わらなかった。



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